表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鋼の翼はゆりかごに孵る  作者: 桐生瑛
第二章 死者
11/51

いつか《城》が陥ちる日に

読んでいただき、ありがとうございます。

次回更新は10/1予定です。

  6


 夕暮れの薄暗がりの中で、東棟四階はひとけもなく静かだった。

 昼間、僕は《城》中を歩き回ってエルリを捜してみたけれど、見つけられなかった。

 となれば、やっぱり、帰ってくるのを待つしかない。

 エルリがねぐらにしている部屋には、鍵がかかっていなかった。誰もいない。

 勝手に中で待たせてもらうことにして、部屋に入る。窓際の椅子に腰を下ろすと、背もたれに鎖が引っかかって、耳障りな音を立てた。


 エルリがここに帰ってくるかどうかは分からない。もうひとつのねぐら、蔓草模様の離れのがらくた部屋には、エタが張り込んでいる。

 ここに来る前に、もう一度エタに会って情報を引き出そうとしてみたけれど、無駄だった。何のためにエルリを捜しているのか、エタは頑として言わない。

 ただ、危害を加えるつもりはないようで、捕まえたらお互いに知らせるという協定だけは結ぶことができた。


 一昨日の夕方から、食料を取りに来ていないというエルリ。もしかしたら、エタも僕も、生きているエルリを見つけることはできないのかもしれない。

 ディナに唆された誰かが、既に()()()()しまった可能性もある。

 引っかかった鎖を外して座り直すと、重みで椅子が軋み、そのまま躰が沈んでいきそうになった。

 もうすぐ夜だ。

 小猿のように跳ね回るエルリは見つからない。

 気温が下がり、闇が満ちる。

 ため息が零れた。夜中まで待っても戻って来なければ、エルリは死んだと思って諦めよう。クロトのありがたい忠告のとおりに。


 ──なあ、エルリのことには首突っ込むなよ。


 連れ立ってディナとシアの傍を離れた後、クロトは脅しているんだか頼んでいるんだか分からない口ぶりで言った。


 ──バールの邪魔すんな。おまえ、目つけられてるぞ。痛い目見ても知らねえからな。


 クロトからそんな親切な忠告が聞けるとは思っていなかったから、面食らった。僕の表情をクロトは素早く読み、いやそうな顔をした。


 ──おまえがバールの機嫌を損ねたら、おれまで、とばっちり食うじゃねえか。

 ──おまえのせいだぞ。前に変なこと言ったせいで、おれもおまえの仲間みてえに思われてるんだよ。くそっ。


 食料貯蔵庫でバールと相対したときのことを言っているらしい。

 お気の毒様だ。僕が首を竦めると、クロトは僕の鼻先に指を突きつけ、もう一度同じことを言った。


 ──とにかく、大人しくしとけ。バールはおまえに目ぇつけてる。


 本当にありがたい忠告。《城》から逃げる方法さえ絡んでいなければ、すぐにでも手を引くところだ。

 バール。《城》の王。情け容赦のない、あの猛獣の一撃。

 頭をかち割られ、倒れ伏したヤックの姿が思い浮かぶ。あれ以来、僕は一度も彼を見かけていない。たぶんあのまま死んだのだろう。手当てもしてもらえず、冷たい床にうち捨てられて。

 次に地下室に行ったときには、血の跡だけ残して躰はなくなっていた。誰かが埋めてやったに違いない。少しだけ思いやりのある誰か。あるいは、食べ物の横に死体が転がっているのが気に入らない誰か。

 どちらにしたって、ヤック当人には関係のないことだ。次に転がるのが僕の死体だとしても、死んだ後のことなら、僕にも関係はない。


 死んでしまえば何だって同じ。ただ、その前に、死にたくないだけだ。


 虚しい笑みが漏れた。いっそ諦めがつけば、どんなに楽だろう。何も望まず、生きようともせず、殺されるままに死んでいけたら。

 だけど、僕は怖い。

 死んでもいいなんて思えない。たとえ何の意味もない、ろくなことのない命でしかないとしても。


「──入りなよ、カナ」


 廊下との間の扉に向かって声をかけると、「ぎゃ」と情けない声がした。


「ええ……何で分かったの?」


 扉の隙間から覗いていたカナが、おずおずと顔を出して尋ねてくる。自分で開けて覗いたくせに、何でも何もないものだ。


「何か用?」


 聞き返すと、カナは室内に入ってきて、両手に抱えていた缶詰や固形保存食の箱を寝台の上に落とした。


「花壇に行ったら、パムが、イサはここかもしれないって。おなか空かない?」

「……あっ」


 僕は慌てて立ち上がった。

 パムを連れ帰らなければ。夜の間、外に放りっぱなしになんかしたら、寒さで死んでしまう。

 カナは僕を両手で押しとどめて、「部屋まで送っといたよ」と笑った。


「パムも心配してた。エルリ捜してるんだって? 鍵、開けられる子でしょ。バールも捜してるって噂、聞いたけど。ねえ、危なくない?」

「そうかもね」


 僕は苦笑いしてまた椅子に腰を下ろした。


「クロトにも言われたよ。僕はバールに目をつけられてるから、手を出すなってさ」

「ほんと? やばいじゃない。やめようよ」

「今日、何も収穫がなければ、やめるよ」

「もう。何ですぐにやめないの?」


 唇を尖らせるカナに、僕は窓の外を指した。


「《城》の外に出る方法が欲しいから」


 カナには分からないかもしれない。でも、僕は決して忘れない。火薬と血と土埃の匂い。敵の影。

《城》はいつも眩しくて穏やかで、美しくて、夢のように嘘臭い。壁の向こうに立ちのぼっているはずの死の煙を、僕は毎朝目覚めるたびに感じて、それが壁を越えて襲いかかってくる幻を視る。

 いつか《城》が()ちる日に、何もできずに踏みにじられることが僕は怖い。

 カナは円い目でじっと僕を見て、尋ねた。


「イサは、《城》から出ていきたいの?」


 僕は窓の外の空に目をやった。

 何と答えればいいか考える。

 出ていきたくはない。外には何もいいことなんかない。ずっと今の暮らしが続けばいいと、そればかり思っている。

 だけど、カナは別のことを尋ねているように思えた。もっと痛切で、寂しい何かを。

 考えた末に、僕は言った。


「出ていきたくなくても、出ていくしかない日が来ると思う」


 カナは拗ねたように「ふうん」と呟いた。


「あたしは、今のままがいい」

「そうだね」


 望んだとおりになるなら、僕だってただ望み続けるけれど。

 頷いた僕に、カナは一言、「意地悪」と言った。





 結局、夜半まで待ってもエルリは戻ってこなかった。

 僕は潔く引き上げることにして、ずっと横にくっついていたカナを促し、部屋を出た。

 廊下の突き当たりの階段を二階まで下りると、すぐそこにカナの部屋がある。扉の前で立ち止まり、カナは尋ねた。


「明日はもう、エルリを捜すの、やめるんだよね?」


 僕は頷いた。


「エタの首尾だけは訊いてみるけどね。もう一か所のエルリの部屋を見張ってるはずだから」

「しょうがないなあ。ひとりで訊きに行かないでよ? あたしも一緒に行くからね?」

「気になるわけ?」


 意外に思って聞き返すと、カナは「心配なの!」と怒った。

 そのとき、暗い明かりに影が揺れて、ディナが階段を上ってきた。

 気怠げな視線をカナに向けて、「うるさい」と冷えた声を投げる。


「あんたはいいわね、カナ。簡単で。はしゃぎたくもなるわよね。うっとうしい」

「あれ、ディナ。バール、今夜も自分の部屋にいなかったの?」


 無邪気らしい表情に猫のような残酷さを潜ませて、カナが言い返す。


「誰の部屋に行ったのかなあ。けっこう『好き』だよね。あたしには関係ないけどぉ」

「──死ね!」


 ディナは吐き捨てた。足早に僕たちの傍を通り過ぎ、叩きつけるように部屋の扉を閉める。廊下に音が響き渡って、僕は怯んだ。

 だけどカナは怯えたふうでもなく、ただ寂しそうにしていた。簡単じゃないもん、馬鹿、と小声で呟いた。


「ディナを怒らせて大丈夫?」


 僕が尋ねると、カナは笑って頷いた。


「ディナはあたしが嫌いだけど、攻撃はしないよ。あたし、口が悪いだけで、ディナの邪魔は絶対にしないもの。……イサもいるし」

「僕? どうして?」

「あたしに手を出したら、イサが怒ると思ってる」


 そろりと手を伸ばして、カナは僕の頬に触れた。


「ねえ、イサ。怒る?」

「ディナが君に手を出したら? それは──」


 声が喉に引っかかった。

 仮に、ディナがカナに嫌がらせか何かしたとして、僕は腹を立てるだろうか。どちらかといえば、カナに文句を言いたくなる気がする。「自分の喧嘩に僕を巻き込まないでくれる?」とか何とか。

 でも、カナは怒ると言ってほしがっている気がした。

 僕が黙っている間に、カナは指先を離して、「じゃあ、また明日」と手を振った。

 また明日、か。

 躰の中に存在しない言葉を探しながら、僕は西棟の自分の部屋に戻った。


 その夜は、あまりよく眠れなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ