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1-7 推しの血となり肉となり

 劇団トロピカ団長ヘイルは困っていた。

 数日前、友人から「小間使いになりたい子がいる」と連絡を受けた。小間使いはしばらく雇うつもりはなかったものの、少女のあまりの熱心さに感心してしまったから、と旧知の友に言われてしまったら彼の顔を潰すわけにはいかない。とりあえずその少女に会ってみることにしたのだが……。


「ええ、問題ないです。私、この劇団トロピカのため、粉骨砕身、働かせていただきます!」

「だがねえ、あんた見たところ良い所のお嬢さんだが……」

「ご心配いりません。文句を言わずに働きます!」


 ヘイルは目の前の少女を改めて観察した。

 この国ではあまりお目にかからない深紅の瞳。しっとりとした黒髪は良く手入れされているのが一目瞭然だ。そしてトロピカの看板女優と並んでも遜色ない整った顔立ち。


「本当に小間使いなのかい? 女優希望ではなく?」


 ヘイルは念を押した。この少女が何か勘違いをしていたら困ると思ったのだ。しかし少女の答えは一貫していた。


「いいえ、小間使いです。雑用を引き受けたいのです」


 きっぱりと答えた少女の手はほっそりとして、まったく荒れた部分はない。きっと力仕事も水仕事もしたことが無いであろうこの少女に任せられる雑用仕事はない。


(女優希望じゃないとしたら、考えられるのは誰かの追っかけだろう。小間使いという立場を利用して、劇団の役者に近づこうと思っているのだろうな。まったく、厄介な子を紹介してくれたもんだ。問題しか起きないし、彼らには近づかないで欲しいんだよ……。ここまで来たら大きく騒ぎ出す前に、出来る限り穏便に帰ってもらうしかないだろう……)


 これまでもこういったケースがなかったわけではない。

 ファンが「より役者の近くにいたい」という理由で、従業員として忍び込むことがあった。ただ理想と現実は違う。大抵は彼らの現実の姿を見て、すぐに辞めていくのだが……。


「申し訳ないんだけど、しばらく小間使いを雇うつもりはなくて――」

「無給でも構いません」


 ヘイルが言い終わる前に、少女が言葉をかぶせてきた。その生真面目な発言にヘイルも思わず真面目に答えてしまう。


「いや、さすがにそういう訳にもいかないよ」

「構いません! お金には困っておりません。それに劇団員の皆さんにはお会いしません。郵便のお使いや買い出しなど、外に出る仕事であれば顔を合わせることもありませんわよね? ご安心ください、どなたとも必要以上に接触いたしません」

「あ、ああ。まあそれは安心ではあるが……」


 ハキハキと答える少女にヘイルは圧倒されながらも、ふと疑問が頭をよぎった。


(ん? 私はこの子に、出来る限り役者に近づかないで欲しいと言ったか?)


 ヘイルがその疑問を意識するのと同時に、目の前の少女がジッと自分を見る視線に気づいた。少女のどこまでも深い紅を見ていると、どこか身体が落ち着かなくなる。ヘイルは無意識に身体を震わせ、何か言わなければと口を開いたが、それは無駄な抵抗だった。


「えっと……」

「働かせてくださいませ!」

「あの……」

「ここで働かせてください!」


 結果、ヘイルは少女を小間使いとして雇う事にした。いや、してしまったという方がしっくりくる。


 早速明日から来ると言い残して去る少女の後ろ姿を見送り、ヘイルは首をひねりながら自室に戻った。


 部屋の前まで来た時、ヘイルはそこに立つ人影に気づいた。同じようにその人影もヘイルに気づいたらしい。琥珀色の瞳を細め、人懐っこい笑顔を浮かべながら近づいてきた。


「お、来た来た。ほら、郵便局から荷物取って来たよ」

「ああ、グレーヴ……」

「今の新しい子?」


 どうやらヘイルが少女を見送った場面を見ていたらしい。幼い頃からこの劇団にいるこの男はヘイルにとってはもはや息子のような存在だ。なぜか落ち着かない気分になっている今、この男の顔が見られた事にヘイルは少なからず安心した。


「小間使いで雇ってほしいと来たんだ。はぁ、雇うつもりはなかったんだけど……」

「へぇ? 団長が折れるなんて珍しい」


 グレーヴが出した楽しそうな声色にヘイルはハッとした。


「グレーヴ。頼むから手を出すんじゃないよ。すぐ辞められるのは困るし、それ以上に、お前が絡むとレナータの機嫌が悪くなる……」


 残念ながらこのグレーヴという男は女癖が悪い。これまでも劇団内外で何度となく問題を起こしている。役者として、女性の恋愛感情を利用するのが上手だという見方も出来るが、女性側からしてみればたまったもんじゃない。


 だがここ数年、トロピカの看板女優として活躍するレナータのお気に入りだと知られてから劇団内でのトラブルは減った。グレーヴに近づこうとする女性が格段に減ったのだ。


(レナータに睨まれたら劇団の中に居場所はない。そんな雰囲気の劇団にしたいわけではないが、劇団の存続にはレナータの実家からの援助がなければ……)


 ヘイルの言葉を笑顔のまま聞いていたグレーヴは、軽く笑ってヘイルに背を向けた。


「ははっ、そうだね。俺は看板女優のご機嫌取りしかできないから」

「グレーヴ、そういう言い方は……」

「いいんだよ。本当のことだろ」

「あっ……グレーヴ!」

「じゃ、お使いに関して俺は『お役御免』ってことで」


 手をヒラヒラと振りながら、グレーヴはヘイルの呼び止めが聞こえなかったかのように廊下の向こうに姿を消した。


(確かにグレーヴがレナータに目をかけられてから売れたのは間違いないが、あの子自身が自分の才能に気づいていないのが一番残念だ……)


「はあ……お前に足りないのはそういう所だというのに」


 ため息をつきながらヘイルは受け取った荷物に視線を落とした。そこには見慣れた文字で書かれたグレーヴ宛の荷物があった。


§


「や、やりましたわ!! とうとうやってしまいました……! ああ、死の国にいらっしゃるお母様。私、道を踏み外してはいないでしょうか? グレーヴ様の仕事場に足を踏み入れるだなんて……ハッ、だめよルティ! 欲望になんか飲み込まれてはダメ! 劇団トロピカのために働くことで、間接的にグレーヴ様の力になるのよ! ああでもどうしましょう! もし、もしよ、グレーヴ様にお会いしちゃったりしたら、どんな顔をして出勤すれば……」

「ねえ、うるさいんだけど。僕仕事中」


 色とりどりのガラス瓶が並ぶ机の上で、慎重に調合作業を行っていたアスコットが耐え切れずに顔を上げた。


「あら、ごめんなさい。私、声に出てた?」

「君の脳内、いつもそんなに騒がしいの? しかもどうして僕の部屋に来るんだよ」

「グレーヴ様のために働ける喜びを分かち合うため?」

「はぁぁ……もうやだ。集中力切れた」


 作業をあきらめたのかアスコットは手に持っていた小瓶を置き、ルトアシアに難しい顔を向けた。


「君がどう過ごそうか僕には関係ないけどさ、人間界で魔法はご法度。それに君が魔界の王女っていうのがバレたら即帰国だからね」

「わかっています」

「それでなくても最近骨董品の魔術具が盗まれたせいで界隈がピリピリしてるんだから」

「ふぅん……」


(まあいいわ。ああ、明日何を着て行けば良いのかしら……。そうだわ、後でマーサに町で流行っている服装について相談しましょう。それがいいわ、そうしましょう!)

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