1-6 推しの話は何でもおいしい
「えっと、この荷物をお願いしたいのですが……」
ルトアシアが窓口越しに声をかけると、ガラス窓の向こうで小さな眼鏡をかけた初老の男性が気づいてくれた。
「はいはい、こちらだね。どれ大きさを確かめさせてもらうよ」
窓越しに返ってきた男性の優しい対応に、ルトアシアはホッと肩の力が抜けていくのを感じる。
ルトアシアは国の中央にほど近い郵便局を訪れていた。
タチアナの家に向かう前にルトアシアが一人で郵便局に寄るという計画は、当初アスコットに全否定される結果となった。
「君さ、自分の立場わかってるの? 一応君は『魔界の王女様』なんだよ。さらにいえばこの国では法律違反を犯してる犯罪者なの。もし一人でぶらぶらして、何か事件に巻き込まれたらどうするの? ちなみに僕は無視するし、君は魔術を使ってはいけない。それにまた同じように魔力を暴発させたらどうするの。はい、どうするか答えて」
「そ、そんなに脅さなくてもいいでしょう……? それにこの国はそんなに危険なの?」
「危険とかそういう話じゃなくてさぁ。はぁ……君って本当にめんどくさい」
アスコットは諦めようとしないルトアシアに深くため息をついた。
(だってあの人、早くタチアナの所に行きたいだけなんですもの。それに一人は無理だって言ったけど、私だってそのくらい出来るわよ。まあ、付き人を誰もつけずにっていうのは心配だったから、アスコットが一人つけてくれて良かったけど……)
結局タチアナの元に早く向かいたかったであろうアスコットは、お付きを一人連れて行くという条件でルトアシアが一人で郵便局に向かうことを許してくれた。
何度も「絶対に魔術は使わないように。何があっても無を貫くように」と言い含めて……。
(まったく、私だって子どもじゃないんだから……)
アスコットとのやり取りを思い出して頬を膨らましているルトアシアの前で、窓口の男性が思わずというように声を上げた。
「おや、劇団トロピカにだね」
その声にルトアシアは即座に反応した。
劇団トロピカはグレーヴが所属している劇団の名前だ。役者個人に贈り物をするわけにはいかない。そのため手紙でも花でも一度劇団に送ることが決まりとなっている。それに劇団へわかりやすい推しアピールが出来るわけだ。
「ご存知ですの?」
ルトアシアは窓口に身を乗り出すように聞き返した。
普段、ルトアシアがグレーヴの話をする相手は限られている。いつもとは違う話が聞けるかもしれないと、ルトアシアの期待は高まった。
「もちろんだよ。あそこの団長とは昔から知り合いなのさ」
「まあ、そうでしたの。団長さんと。それでしたら俳優の方々とも顔見知りでいらっしゃるの?」
(ききききましたわー! 予想外の所でグレーヴ様に繋がるお話! どんなお話でも構いません、情報を、新情報をくださいっ!)
興奮で荒くなった鼻息を隠すことが上手なのも王女だからこそ。ルトアシアは思わず身を乗り出してしまったものの、溢れる好奇心を必死に隠しながら話を進めようとした。
「ああ、公演前にはたまに差し入れなんかしてね、劇団の子たちとも昔は仲良かったんだよ。まあ、今みたいに有名になってからは、そんなのも出来なくなっちまったが。ちょっと寂しいもんだね」
「そうなのですね。急成長しましたものね」
男性の語る「少し寂しい」という感覚はルトアシアも良くわかる。
(長い間、劇団トロピカは無名に近い劇団だったから……。看板女優のレナータさんが入団なされてから注目されるようになったけど、公演チケットの競争率が上がってしまったり、グレーヴ様推しの方が増えたり……自分の元から旅立ってしまったような。……まあそれは自体は喜ばしい事だけど、ご新規の方のマナーには少々物申したいところはあるのよね)
一人うんうんと頷いているルトアシアに男性は配送料金を示しながら、思い出したように付け加えた。
「はい、980マルだよ。ああそうだ。お嬢さん、劇団トロピカは荷物をここに留め置いているから、向こうから取りにくるタイミングでしか渡せないんだよ。生ものは入っていないよね?」
(――トロピカへの贈り物は留め置かれている、ですって!? 新情報、新情報です!)
初めて知る情報にルトアシアは身体中に魔力がみなぎってくるのを感じた。しかしここで表に出してはいけない。ルトアシアは努めて冷静に男性の質問に答えようとした。
「ぇえっ……、ええ、ええ問題ないわ。はい、980マル」
「はい、確かめさせてもらいますよ」
一瞬声が裏返ってしまったものの、にこやかな表情を崩さずに返事をしたルトアシアに、男性もにこやかにお金を受け取った。
しかし、会計を済ませた男性の次の言葉が、ルトアシアの運命を変えることになろうとはこの時は予想だにしなかった。
「はい、確かに980マルいただきました。ありがとう。それとね、最近トロピカの小間使いが辞めてしまったと聞いていてね。だから荷物もなかなか取りに来られないそうだ。そういう訳もあって、さらに届くのが遅れてしまいそうなんだよ。すまないね」
(きゃー! またもや新情報! トロピカには小間使いを担う方がいるのね。もしかしたら私の手紙もその方の手を通じて、グレーヴ様にお渡しされていたということね!『はい、黒猫さんからだよ』、とか言われていたのかしら! 新情報にいちいち興奮してしまうわ! このおじさまとお話していたら心臓がいくらあっても足りそうにないわね)
推しにつながる話に胸をいっぱいにしながら、ルトアシアは窓口を後にすることにした。用も済んだのに、いつまでもここに居座ったら業務妨害だろう。
「いいえ、お気になさらないで。では荷物をお願いしますね」
窓口の男性に軽く会釈をし、待たせていた付き人の元に戻ろうとしたルトアシアは、はたと気づいた。
「ん……?」
ルトアシアの脳内で、先ほどの男性の発言が急速再生される。
(――小間使い。辞めてしまった、小間使い、荷物を届ける……はっ!!)
ガバッと回れ右したルトアシアは、勢いよく先ほどの窓口にかぶりついた。
「おじ様!」
「な、なんだい? 忘れ物かい?」
ついさっきまでにこやかに談笑していた令嬢のものすごい剣幕に気圧されたのか、男性は怯えた様子を見せた。しかしそんなことよりルトアシアには聞きたい事があった。
窓ガラスに顔を押し付けんばかりの勢いでルトアシアは男性に尋ねた。
「先ほどの話をもう少し詳しく聞かせて頂ける? 小間使いがどうとか、という話を!」
§
アスコットはタチアナを愛している。
愛しているタチアナと飲む紅茶は、この世のどの飲み物よりもアスコットの喉と心を潤す。
「ほぅ……いつもにも増して紅茶がおいしく感じるよ。ターニャがいてくれるからかな」
そう言って視線をカップからタチアナに移せば、アスコットの天使タチアナは嬉しそうに微笑み返してくれる。
「アスコット様はいつもそればかり。照れてしまいますわ」
うふふ、とはにかむタチアナに息が止まりそうになる。
「本当さ。ターニャがいてくれたおかげで僕の世界はまだ続いているんだから……」
「まあ、アスコット様。そんな重たいこと仰るなんて、少しお疲れですか?」
そう言って心配そうにタチアナはアスコットの額に手を当てた。柔らかく温かいタチアナの手の感触にアスコットはうっとりと目を閉じた。
――バァーーンっ!!
突然、屋敷全体に響き渡るほどの大きな音と共に、部屋の扉が一気に開け放たれた。
「な、なんだっ!! タチアナ、こっちに!」
「タチアナ! アスコット! 私、働くことにするわ!」
アスコットは素早くタチアナの前に立ち、扉から見えない位置に隠した。しかしアスコットの目と耳に飛び込んできたのは、腐れ縁ともいえるめんどくさい幼馴染の満面の笑みと浮かれた声だった。