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1-3 推しに会うときは心の準備が必須(1)

※6/24 大幅改稿しました。

 道行く人々には、いつもと同じ黄昏時だった。家路を急ぐ人や、のんびりと食事に向かおうかという人の流れは、突然聞こえた青年の声に遮られた。

 

「――駄目だっ!」


 何事かと振り返った人々の視線の先には、半泣きの少女と肩で息をする青年の姿が飛び込んで来た。その後すぐに二人は立ち去って行ったので、人々は特に気に留めることなく再び流れを作り始めた。

 なぜか周囲には焦げ臭さが漂っていたが、きっとその辺の屋台から漂ってくる臭いだろうと納得していた。


 しかし、当の本人たちには大変なことが起こっていた。足早にその場を立ち去る二人の男女、アスコットとルトアシアは非常に焦っていた。


「こんな町中で魔術使って良いと思ってんの!? ほんと勘弁してよっ!」

「ごごごごべんなざいぃぃぃ~! だっで、だっで……がっごよがっだぁぁぁっ」

「うるさい。その口、閉じてやろうかな」


 苛立つアスコットにルトアシアは必死で謝りながらも、気持ちは全く違うところにあった。

 ルトアシアの涙もアスコットの怒りをかってしまったせいではない。


 一体ここで何が起こったのか。それを知るには少しだけ時間を遡る。


§

  ――劇団トロピカ。

 ルトアシアの暮らす魔界でこそ知られていないものの、こちらの国ではそこそこの知名度を持つ劇団である。所属団員数は五十人弱。はじめは鳴かず飛ばずの役者たちの寄せ集めのような劇団だったが、数年前、看板女優のレナータが入団してからは一気に人気劇団となった。最近ではトロピカのチケットが売り切れる日も多い。


「あああ良かったぁ……っ!!」

「君それ何度繰り返せば良いわけ?」


 街角のカフェの個室で過ごしたこの一刻ほど、何度ルトアシアは喜びをかみしめただろうか。目の前でお茶を啜るアスコットが冷たい目を向けていたとしても全く気にもならない。

 なぜなら取り逃したと思っていた「劇団トロピカ前期公演『薔薇はいかにして散るか~リュミエールとロゼッタ最後の3日間~』」の最終公演のチケットをかろうじて手に入れることが出来たのだ。


 アスコットは深いため息をつき、呆れた顔を向けた。


「君の買い物に付き合ったおかげで手に入ったんだから、感謝するなら着替えも何も持たず、手ぶらで飛び出してきた自分にするんだね」

「……えへへ、それはたしかにその通りね」


 ルトアシアはアスコットの皮肉を笑ってごまかそうとした。今日の用事というのは、ルトアシアの生活に必要な物を揃えることだった。

 父王に啖呵を切って魔界を飛び出してきたものの、生活に必要な荷物をなにも持って来ていなかったのだ。唯一持ってきたものと言えば、グレーヴに手紙を書くための文箱と、お金に換えられるような宝石を少しだ。

 

「でもタチアナも忙しいのね。今日は本当はタチアナを誘うつもりだったのだけど、“修行”があるって断られちゃったのよ」


 ルトアシアはそう言いながら、タチアナとのやり取りを思い出していた。


(“修行”ってきっと“花嫁修業”のことよね。タチアナもアスコットと婚約して長いもの、そろそろ本格的に結婚準備に移る時期なのかしら)

 

 ルトアシアは無意識にアスコットの顔をジッと見ていたらしい。アスコットのヘーゼル色の瞳が嫌そうに細められた。

「なに? 君に見つめられても何も出ないけど……」

「いいえ、タチアナはあなたのどこがいいのかしらと思って」


 何気なくルトアシアが口にした疑問はアスコットにとって思いがけないものだったらしい。それまでしかめていた目をパチパチと瞬かせ、アスコットは少し考えるような様子を見せた。

 

「元はと言えば、僕がタチアナに一目ぼれしたのがきっかけだからね。でも波長が合うのは間違いないから、タチアナも僕の全部を愛しているはずだよ」

「……そこまで真面目に答えて欲しいとは思っていなかったけど、よくわかったわ」

 

 予想以上の惚気ぶりにルトアシアがげんなりしそうになった時、ちょうど個室の扉がノックされた。

 

「お待たせいたしました」


 姿を現したのは、ウィギンズ家のメイド長マーサだ。赤毛をきつく結い上げた彼女はルトアシアよりもはるかに年上のはずだが、いつまでも若々しさが絶えない人物だ。


「お嬢様に必要なものはあらかた買い揃えて参りましたよ」

「ありがとう、マーサ! 仕事以外のことを頼んでしまってごめんなさいね」

「構いませんよ。お嬢様のことを考えながら揃えるのは楽しゅうございました」


 マーサにはアスコットとルトアシアがチケットを買いに行く間に、当面の生活に必要な物を揃えるように頼んでいたのだ。アスコットの家に仕えて長いマーサはルトアシアの身分も事情も全て知っている、こちらの国では数少ない存在だ。単なるメイド以上の仕事もこなしてくれるマーサのような人物は、ルトアシアが過ごす魔界でもなかなか存在しない。


「マーサはすごいわよね。向こうでは自分の仕事以外はしない人が多いもの。お父様には悪いけど、本当に窮屈な国だわ……」


 ルトアシアの素直な言葉にマーサは優しく微笑んだ。

 

「光栄ですわ、お嬢様。でも、与えられた仕事をこなすことも立派な事なのですよ。きっとお国の皆様も『お嬢様に幸せに過ごしていただきたい』という思いを持っているはずですわ」

「それはそうだと思うけど、マーサは特にルティを甘やかしすぎじゃない。君の主人は一体誰なのか間違えないでよね。ほら、用事が済んだのなら帰ろう」


 二人のやり取りに呆れた表情を見せたアスコットは真っ先に席を立った。そんなアスコットの様子を見ながら、マーサはルトアシアの耳元でこっそり囁いた。

 

「坊ちゃまはあんな風に振舞っていますけれど、お嬢様の『好みに合いそうなものを見繕うように』と仰っていたのは坊ちゃまなのですよ」


 そう言ってパチリと片目をつぶって見せたマーサに、ルトアシアは満面の笑みを浮かべて頷いた。

 

「ありがとう。アスコットが優しいのは知っているわ」


 アスコットは率直な物言いをすることが多いので誤解されることも多い。だが、ルトアシアにとってアスコットは全幅の信頼を置いている幼馴染なのだ。


§


 会計を済ませるマーサを一人店内に残し、アスコットと共にルトアシアは先に外へ出た。

 カフェが面するこの通りは、いつ来ても忙しそうに人々が歩いている。一人で歩く女性の姿も見える。

 魔界と異なり、身分制度のないこの国では仕事に就く女性も多い。ルトアシアはこの国にくる度に自由を感じ、羨ましくなるのだ。


 その時だった。ルトアシアが何気なく見ていた人通りの中に、一か所パッと光が差す箇所があった。

 

(あ、あれは……)


 その人の姿をルトアシアが見間違えるはずがない。どんなに隅っこにいようと、どんなに悪条件の席であろうと見逃したことはない。


「ア、アスコット……」


 ルトアシアは震える声で隣のアスコットの名を呼んだ。


「え、何? 具合悪い?」


 アスコットはルトアシアのただならぬ様子に焦った表情を見せた。しかしルトアシアは勢いよく首を振り、アスコットの発言を否定した。そしてぶるぶると震える指を人通りに向けた。


「……何もないけど?」


 アスコットはルトアシアの指の先を追ったものの、そこにはただの人の流れがあるだけだった。しかしルトアシアにはしっかりと見えていたのだ。

 ルトアシアは怪訝そうな顔を見せるアスコットに向けて、必死で声を絞り出した。

 

「あ、あそこっ。ググググレーヴ様よっ! 本物、本物よ!」


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― 新着の感想 ―
[良い点] 幼馴染だから、ある意味遠慮しない接し方なのか。 扱い方も慣れてると見たな。
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