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1-2 推しと同じ空気を吸える幸福

※6/24 大幅改稿しました。

 この部屋は相変わらず変な薬草の臭いがして、湿っぽく埃臭いからあまり好きではない。だがルトアシアがこの国に来るゲートはここにしか開いていないのだ。


「話をまとめると、どうしても取りたかった最終公演のチケットの発売タイミングにお説教を受けていて、チケットを取り逃してしまったってことだね」


 要約にうんうんと頷きながら、とめどなくあふれ出る鼻水と涙を拭くルトアシアに、この部屋の主アスコット・ウィギンズは心底呆れた顔でため息をついた。


「はぁ、それで『絶対に見合いも結婚もしない』と啖呵を切って、飛び出してきたわけだ。君もなんというか……」


 アスコットのため息と共に肩口で切り揃えられた栗色の髪がさらりと揺れた。


「お姉様、どうぞ涙をお拭きになってくださいまし」

「……ありがとう、タチアナ。あなたの婚約者はあんなに冷たいのに、タチアナはなんていい子なのかしら」

 

 美しく澄んだ青空のような瞳を心配そうに揺らしながらハンカチを差し出してくれたのは、アスコットの婚約者であるタチアナ・スウィアだった。だが、そこで引っかかるものがあったのか、アスコットが椅子から腰を浮かせてルトアシアに反論してきた。

 

「タチアナはいい子なんじゃない。天使もしくは女神だから。君さ、今遠慮なくターニャのハンカチを使おうとしているけど、それがどれだけ尊い事なのかわかってる? わかったうえで使わないと僕は納得――」

「はいはい、わかってます。タチアナは可愛くて健気で優しくて誰よりもアスコットに愛されている幸せな女の子です」

「まあ、お姉様ったら……」


 どうやらアスコットはタチアナからハンカチを渡されたルトアシアに嫉妬したらしい。タチアナの愛称「ターニャ」と口にする時は、アスコットがタチアナを自分のものだと主張したい時だ。

 そんなアスコットをなだめるべく、ルトアシアは若干ぞんざいに返事をしたが、アスコットはそれでも大体満足したらしい。


「……まあわかっているならいいけど」

 

 アスコットは満更でもない様子で椅子に座り直した。タチアナはそんな二人の様子を見て楽しそうに微笑んでいる。


 このアスコットとタチアナは、ルトアシアの幼馴染である。

 とはいえ、人間界と魔界での時間の流れは異なる。現在十七歳のルトアシアだが、アスコットには生まれたばかりの頃に初めて会った。しかしその彼ももう二十歳。そしてタチアナはルトアシアとほぼ変わらない十六歳になった。


(ずっと年下だと思っていたけれど、あっという間に時間は過ぎ去るのよね。うふふ、やっぱり今回の私の判断は間違ってなかったわ……)

 

 ルトアシアがしみじみと感じ入っていると、タチアナがちょうどいいタイミングで今回の本題に触れてくれた。

 

 「――で、ルティお姉様! 今回はいつまでこちらに滞在できますの? 私、お姉様にお話したいことがたくさんありますの」


 タチアナはきゅるんと音がしそうな程大きな瞳をうるませ、ルトアシアに熱のこもった視線を送ってきた。さらにはいつの間にかルトアシアの足元に跪き、その身をすり寄せている。


(ま、またタチアナは可愛くなったわね。アスコットが必死になるのもわかるわ)

 

 斜め下ほぼゼロ距離から見つめられると、同性でもどぎまぎしてしまうほどタチアナは魅力的な女性だ。そしてアスコットはそんな彼女を溺愛している。アスコットも()()()()からこの国では有名人なのだが、タチアナへの溺愛ぶりも同じように有名な語り草となっている。


 ルトアシアは期待に満ちたタチアナに向き直り、今日二人に話そうと心に決めてきた話題を満を持して口に出した。

  

「いいえ。期限はないわ。実は私、しばらくこっちで暮らすつもりなの」

「はぁっ?!」

「まあっ!」


 ルトアシアの言葉にアスコットとタチアナはそれぞれ異なる反応を見せた。アスコットは唖然とし、タチアナは頬をバラ色に染めた。


「お兄様とお姉様の許可は取って来たのよ。『ルトアシアの言い分もわかる』と言ってもらえたわ」

「それ、体良く追い出されたわけじゃないよね?」

「そう簡単に追い出される訳ないじゃない。私だって曲がりなりにも王女なんだから」

 

 アスコットは釈然としない様子で問い返した。それもそのはず、現在この国と魔界の往来は法律で禁止されている。もっぱら魔力を持たない人間たちが魔界の人間を恐れて、という背景があるのだが……。


「王女どうこう以前に、君がこっちに来るのは違法なんだよ。『曲がりなりにも』一国の王太子と王女たちが違法行為を促すなんて信じられないね。バレたら国際問題じゃ済まないだろ」


 憮然とした表情のアスコットはさらに詰め寄った。ルトアシアの身分を知っているのは、今この国でアスコットとタチアナ、そしてその家族しかいない。付き人もなくやって来たルトアシアがもしこの国で事件に巻き込まれでもしたら、責任はどこに向かうのか……。アスコットは能天気な幼馴染に頭痛を感じ始めた。

 

「アスコット様。心配なさるのはわかりますが、お姉様にもお考えがあってのことでしょう? ねえ、お姉様」


 ありがたいことにそこでタチアナが助け舟を出した。

 

「ターニャがそう言うなら、聞いてあげなくもないけど。で、どうなの?」


 再びアスコットとタチアナがルトアシアに目を向けると、得意げな深紅の瞳が二人を捉えた。


「交換条件を出したのよ。『戻ったらちゃんと言うこと聞いて、見合いでも結婚でも何でもするから』って言ったの」

「え……」

「そんな……!? お姉様、よろしいのですか? 」


 今度は今度で、素直に言うことを聞こうというルトアシアに、二人とも驚いたようだった。その驚きように焦ったのはルトアシアだった。


「ま、待ってよ。そこまで驚かれるとは思わなかったわ。でもよく考えてみてちょうだい。『戻ったら』よ、『戻ったら』。私が自分ですすんで戻ると思う?」

 

 ルトアシアの言葉に二人は顔を見合わせた。そして揃って首を横に振ったのだ。

 二人の様子に安心したルトアシアは、ツンと顎を上げて続けた。

 

「絶対に戻らないわ。正直、もうこっちで一生を終えても良いんじゃないかと思ってるの」

「はあっ?!」


 呆れたアスコットの声が響いた。しかしルトアシアの頭の中は、今ある人物のことでいっぱいだった。

 

「だってグレーヴ様と同じ空の下、同じ空気を吸えるなんて、そんな贅沢ある? それに私はこの国の空気になりたいし、水でも土でもいいから、グレーヴ様のためになりたいの! そして何より、グレーヴ様にお会いしたいのよ!」

「お姉様っ! 素敵ですわっ」

「ちょっと、もう何も聞きたくないな……」

 

 高らかに宣言したルトアシアを見つめるタチアナの目は光り輝いていた。一方でアスコットは何も考えまいとするように据わった目でルトアシアの向こう側を見ていた。

明日以降は6時と18時の2回更新です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] な、なんて大胆な王女だ・・・。 ドラクエ4のアリーナを彷彿とさせるものがある。 お転婆姫だなぁ。
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