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SORA  エピソード8  作者: 蒼井柚葉
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トーマ

エピソード7 トーマ


 桜の花びらが全て落ちて、若葉が木々に芽生え始めた五月のことである。ある日の放課後、海斗はサツキを連れて、夏美の指定した高校近くのカフェを訪れた。一度面会をドタキャンされた日からしばらく連絡が途絶えていたが、五月に入ってようやく夏美からメールが来た。


 海斗と再会するやいなや、夏美は少し申し訳なさそうに笑って「いやあ、ずっとアトリエに籠って描いていた作品がようやく完成してさ。連絡できてなくてごめんね。」と言った。

 海斗は「構いませんよ。」と言った。加えて「こいつはサツキです。夏美さんに会いたいと言って、俺に一か月間ストーカーしてきたやつです。」と無表情に言った。海斗の斜め後ろに立つサツキは、意外にもモジモジと黙っていた。それを見た夏美は少し目を見開いていたが、よろしくね、照屋さんと言ってサツキを歓迎した。


 初めは学校の話をしたが、すぐに夏美の本題に入った。海斗と夏美の注文したコーヒーが運ばれてきたとき、

「絵を描いていると、あちらの世界のことが頭に思い浮かぶの。」と夏美は言った。この前、学校の絵の前で彼女が言っていたものだ。海斗が

「あちらの世界ってなんですか?」と聞くと

「こちらの言葉であえて言うならば、ユートピアとか、桃源郷とか、楽園っていう言い方をするかな。老いも死もなく、物を食べなくても生きていける世界。弱肉強食もないから、動物たちは種族を超えて仲良くしているの。」と言い、コーヒーを一口含んだ後、

「そして、想像できないくらい美しい世界なの。私がこの世界で目が覚めてから、そこで見た幻想的な風景を何とか絵にしたいと思ってるんだけど、絵の具だけで表現するのはかなり難しい。」と言った。


「学校に飾ってある絵も、実際にあっちの世界にあったもの?」とサツキが聞いた。実のところ、サツキがあまりにもしつこく夏美のことを聞いてきたので、海斗は彼女のことを知っている限りサツキに教えた。夏美の絵が高校に飾られていることを知ると、サツキは真っ先に絵を見に行った。


「あの絵の木は、あちらの世界でも特に大事にされてた。」

「…木?絵の中に木なんて描いてあったっけ?」とサツキが聞くと

「中心の泉と宙に浮かぶ目は、一本の大樹に守られていた。あの絵は、私が木の幹の中に入ってみた時の風景だよ。」と夏美が答えた。


 サツキの注文したカフェラテが運ばれてきた。店員が目の前でミルクを注ぎ、サツキは目を輝かせてその光景を眺めていた。

 海斗はブラックコーヒーを一口飲んだ。

「木の中に入ったことは覚えてる。そして、すごく綺麗だなって感じたことも。だけど、記憶が欠けている。あの大樹のことで、すごく大切なことを忘れている気がする。」と夏美は呟いた。目を閉じて頭を押さえ、何とかして思い出そうとしていた。


 兄さんから聞いていた夏美さんの印象と随分違う。兄から聞いていた夏美は、悩みひとつなく人生を謳歌している自由人だった。だけど、海斗から見た夏美は、何か大きなものに囚われているが自分には認識できていない、と言った感じだ。

 

 海斗の隣で、サツキがカップを両手で大切そうに持って、幸せそうにカフェラテを味わっていた。能天気な奴め、と海斗が呆れていると、サツキが急に

「話変わるんですけど、天崎君、最近好きな人が出来たみたいですよ。」と言った。

「はあ!?いや、そんなんじゃ…」と海斗が慌てて答えると、夏美はさも大好物といった調子で、

「あら、全く女の子に興味がなかった海斗君がね。どんな子なのよ?」と聞いた。

「まず好きじゃないし。もし好きでも二人には言いませんよ、特にサツキには。」

「うわあ、天崎君ひどいじゃないか。」とサツキは悲しそうな顔をした。


 少し冷めたコーヒーを一気に飲み干し、夏美は目の前の男子高校生たちを眺めた。海斗の顔が真っ赤になっているのを見ると、割と海斗君の方がウブなのね、と思った。


 その時、急に一つの場面が頭に浮かんだ。


 海斗のように顔を真っ赤にした少年。おでこには少年の頭よりもずっと大きなキツネのお面をつけている。お面の下からはみ出るレモン色の髪の毛。馬のたてがみのような独特な癖のついた前髪。藍色の帯をしめた白い浴衣。少年は夏美から目を逸らしながら一本のリンゴ飴を差し出している。そして、そのリンゴ飴のように真っ赤に染まった少年の柔らかな頬。

 

 夏美の口から、まるで幾度となく繰り返し発していたかのように言葉が漏れた。

「…トーマ。」


 正面で海斗と取っ組み合いを始めていたサツキが「はい?」と言って夏美を見た。

 夏美はハッとしたようにカップを皿に戻し「何でもない。」と言った。そして物憂げな顔で肘をついて窓の外を眺め、遠くを見つめた。


 何かを思い出した顔してる、と思って海斗は目を細めた。でもそれは、海斗たちには言えないものなのだろうか。


「今度図書室で待ち伏せして、あの子探そうぜ。」と言って騒ぐサツキを一回はたいて、海斗は「そろそろ帰りましょうか。」と夏美に言った。夏美は「そうね。」とだけ言って席を立った。会計は全部夏美が払ってくれた。「私を誰だと思ってるの。天才画家NATSUだよ?」と言って笑い、財布を取り出していた海斗を制した。しかし、夏美はどこか空元気に見えた。


 海斗たちと別れた夏美は寄り道せずに自分の家に帰った。洗面台の鏡の前に立ち、今日思い出した少年と同じ色の髪を一つに束ねた。鏡に映る夏美の顔は、少年の顔と瓜二つであった。

 そしてアトリエに籠り、一晩中出てこなかった。

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