8.謎めく僧は町に至り、一同公文書館に赴くの事
ギルド会館大広間。西壁側にある厨房窓口近く。
スレナス姉とギルド長が会話中。恐らくバイトの勧誘。受付には、目端が利いて顔が広く、交渉上手で野郎に舐められない人材が欲しい。喉から手が出るくらい。
ギルド長が何かくねくねした挙動。
脇の卓で弟二人、パイを齧っている。
スレナス兄が、西陽射す中庭の方から帰って来る。
卓の蔭から浮浪児風の少年がふいと頭を出し、スレ兄に話しかける。
◇ ◇
伯爵の居城は北部の山麓にあって稍か森閑として居る。尾根の巍々たるV字谷の出口を堤防様な城壁で塞ぎ要塞然。門前纔かに街区らしきものが並ぶが旅籠も酒亭も見ゆる処か人の気配も無しで、到底城下町の体を為さぬ。単に伯爵の『御城』と通称して定まった地名も無い。
実は嘗てパルミジエリ渓谷という名があり、谷に住まう幾つかの氏族がパルミジエリ党と総称されて居たりもしたのだが、いつしか本宗家の家名と認識される様になり、谷ひとつが丸々お城となる頃には地名も忘れ去られて行った。伯爵家のアステラリという本姓も古記録に残る而已となり、今は其の名で呼ぶ人も無い。
谷間の城には宵闇が迫る刻も早い。
当主の私室は万が一にも外からの炮弾が届かぬ崖側にあって眺望絶不佳。恰も伯爵の心境の様に閉塞していた。表ては悉皆り暗い。
執務机で居心地悪そうに巨軀を縮めて古い書簡や記録類を繙く禿頭の男が、最近とみに白いもの混じることの増えた髯を撫でながら呟く。
「狼跋」
◇ ◇
ラマティ街道西端。
遠くにエリツェブルの町の東門。もう城壁の櫓の辺りに夕陽が輝いている。ここから先は街道の並木が無くなり、灌木の林を縫う様なだらだら登り坂となって城門に続く。儂ら地元の者は門の中ばかりを南部語で「町」と普段いうが、ここいらはもう行政単位として北部語で謂う「市」内じゃ。道脇の小高い所に土塁を積んで見附の四阿。中に斧矛を持った兵士が三人。
兵士の一人がこちらに走って来る。
取り調べかと思うたら、
「おじいさん、今からじゃ閉門に間に合わないよぉ。ちょっと待っててぇ」
また走って行ってしまう。
見附の方を見ると、残りの二人が手を振っておる。
何かの指図ではなく、ただの挨拶のようじゃ。
返事に手を振り返してから一礼する。
頓て、見附の高台を回り込む様に折れた道の向こうから、幌付き荷馬車が来る。
馭者台の脇に、さっきの兵士が横乗りして手を振っておる。
近くまで来るとヒョイと飛び降りて、
「つい先通った馬車。乗せてくれるように頼んだよ。これで閉門前に町に着ける」
全力疾走したらしく、まだ少し息が切れておるわ。
若い兵士に丁重に礼をいうが、翩々手を振りつつ、早々と見附のほうに走って行って了う。なんとまあ気持ちのいい若者じゃ。
◇ ◇
齢十二になれば、町人なら皆な徒弟で修行を始めておる。士分なればお小姓しとった子供らも主を定めて忠誠宣誓する年頃じゃ。森も城も春が来て緑が芽吹くのと同じ。成熟期の始まりじゃな。十五にも成れば娘らは嫁ぎ始め、をのこも元服、機会に恵まれれば初陣を果たす。兵隊なら少年兵じゃな。十八にゃ若者は徒弟から巣立ち、侍の子もそろそろ槍持ち盾持ちは卒業じゃ。
「ここらが一番眩しい年頃じゃのお」などと目を細めたりしてみる。
儂はと謂えば城に生まれて貧民街に沈み、寺の雑用から僧兵やって学僧やって、後半はともかく初発は殺伐。禄なもんじゃ無かった。
門衛の若者の後ろ姿を見遣り、
「ああいう若者は、どんな美しい光が育んだんじゃろうなあ」
ああ、じゃが戦争になったら真っ先に死んでしまうかも知れんがのう。
でも此の町は何故か長いこと戦争に巻き込まれておらんのじゃ。伯爵は庇護しておるのに兵を送らぬし伯爵の敵も此処を攻めぬ。世に謂う「エリツェブルの戦い」の名前ばかりは有名じゃが実はこれ、町の南十里辺りであった他所様同士の野戦のこと。町は門を閉ざし声を殺しておったらしい。
なんでかの。
・・ひと頻り思い出に浸ったり溜息ついたりした挙げ句、我に返って・・
それより馭者殿に挨拶じゃ。
「後戻りさせて了うて済まぬことじゃ。ひらにひらにお詫びするわい。どうぞ乗せて下され。おたの申す」
馭者は鍔広の麦藁帽子被った黒髪の青年。何処にでもある様な肩口覆うケープ頭巾うしろ前に被り、フードを喉元に下ろしてゆったり巻いては小粋な焦茶の襟巻のように見ゆる。
「乗って。荷台は血抜きしたての豚六匹が占領中。街の宿酒亭に届けるとこ」
「邪魔して悪いのう」
「虫除けで幌に封しちゃった。馭者台のほうに座って。弟らもいるから狭くてごめんね」
見ると馭者台の後ろに少年二人。乗っているというか挟まっているというか、曲芸のような乗り方をしておる。
「よっこら」
馭者の青年が無理して詰めてくれたので横に乗るが、儂の體軀が大きすぎて是れ申し訳無さすぎるのじゃ。青年も脇に寄って無理な姿勢でよく馬を馭する。見附の兵士たちに手を振り返すと、少年二人も一緒に手を振る。
◇ ◇
「旅のお坊様?」
「ふぁはは。鉄鍋被っとる坊主は珍しかろ。野宿で野草鍋が食えるのじゃ」
「旅慣れてるんだね」
「修道僧は院内に閉じ篭っとると思われ勝ちなれど、実は坊主の暮らしにゃ旅が付きもんじゃ。近所の村の冠婚葬祭、聖蹟にお義理の顔出し挨拶。お布施集めに村役の慰問。勉強したくば図書館巡り、面倒臭い会派会議。役所に請われて事務官のヘルプ。旅の途中に野原で昼寝が一番の安らぎじゃわ」
「大変そうだね」
「家族の日々の糧を稼ぐ人の親のが百倍大変じゃろ」
弟二人が後ろから儂の鍋カンコン叩いて聖歌を歌い始め、早速兄に叱られとる。背は伸びとるが顔つきもやることも子供じゃわい。
「おうおう、さすが馬車じゃ。あっといふ間に城門に着くのう」
「お坊様、この町の僧院一寸治安の悪い地区にある。泊まるの止めた方がいいよ」
「お兄さんのお薦め宿は何処かいの?」
「オルトロス街のカイウスの宿。ほんらい月極め週極めの下宿だけど、融通きく」
「それじゃ早速行ってみるかの。おお、道すがらか。有難い」
◇ ◇
この町は珍しく街道が城壁内を通らず、城の南壁に沿って通過する。そもそも自分たちの父祖が作った軍道だから通行税や入市税で稼いでいけない義理は無いんじゃが、町に用事のない人間はさっさと通り過ぎて欲しかったらしい。昼間は南壁に屋根を差し掛けて街道沿いに屋台が夥た並ぶが、今はもう皆な畳む時刻じゃ。
街道から分岐して、道は東門に入る。
跳ね橋前で鉄兜被った数人の男らと門衛が何やら揉めておる。
入市手続に並んだ非居住者が十人近く。無駄話の一つもせず不安げな表情じゃ。
文官らしき若い男が馬車に駆け寄って来る。
「どうしたの? 助っ人呼んでくる?」と馭者台の青年。
「僕らで凌ぐよ。早く通っちゃって!」と、たぶん書記官。顔見識りらしいのう。
「儂、非市民じゃが、通っちゃって良いのかの?」
「あ、御坊様。めでたき成長を導ける至聖のお方様の祝福を。ようこそ我らが町へ。市民一人のお客様は、市民みなのお客様です」
いいのかのう。初対面で馬車に同乗させて貰っただけなんじゃが。忙しそうだから迂闊に余計なこと言って手を煩わずのも不可ん。
「貴官と此町の皆様に、今日は木曜の守護聖者の祝福が両手一杯ありますように」
若い書記官殿も合掌する。
閉門の鐘が鳴ったが、並んでる者がいるからか一向に閉めそうにない。東門の総兵さん上のひとに叱られんのじゃろか。こういう緩いところが此の町らしいわい。
門内に入って路肩に馬車を停めると、
「やっぱり俺、一寸様子見て来るね。待ってて」と、青年が門外に走って行く。
◇ ◇
「あの鉄兜ら、何者じゃろなあ」
「ゲルダン人(Guerrdini)」「最近うざい」
「さっきの、ゴテゴテ武装見掛け倒しなのだ。門衛のお兄ちゃん達で大丈夫だよ」
「市警のおじさん物陰で見てたから、ケンカになったら十五対四であっしょーだ」
「チラッとだけで、よう見とるのう」
「へっへー」
「これでも騎士んちの子だもんね、戦局判断ぬかりはないのだ」
「これはなんと! 若様たちであったか」
「亡くなった母様の実家が西のガルデリ谷ってとこ。ちょびっと痩せた畑がある」
ーーほほっ、あそこで娘に婚資で世襲地ぃ分割相続さす云うたら結構格上の土豪の姫さまか。それを息が相続したてふことは、嫁入り先「えへんぼると」確定じゃから、
「ななんとフライヘル階級かの」
「畑ちょっとだからオナカヘルだよ」
「市民なんじゃろ?」
「うん。わりと最近。オナカヘルだもん。下宿屋で兄弟四人暮らしさ」
「最近は持ち家なくても市民権取れるんかいの?」
「持ち家ぜんぶ貸して借家暮らしの方がもーかるって姉さんが」
「ほ・ほんとかのう・・」
ーーその計算大丈夫じゃろか、維持費倒れの豪邸でもあるまいし。
「ひと部屋でわいわい暮らすの方が楽しいよ」
「畑は?」
「小作人に貸したけど、土地ちょびっとだから賃もちょびっと」
「それで市内で仕事しとるわけか」
「うん、なんでも屋!」
青年が帰って来る。
「終わったよ」
「皆、大丈夫じゃったかの」
「『新しい雇い主に挨拶に伺うから帯剣したまま街に入れろ』ってゴネてただけ。説得はまあ楽だったみたい。『騎士身分でないなら警護勤務中以外は原則丸腰』って町のルール納得して貰って一件落着。あれって、下手に追い返して近隣の村で武装のまんま屯ろされても、また問題だからね」
弟達がまた鍋鳴らしコラール始めて叱られた。
◇ ◇
東門から中央公園へと抜ける手前で南に入って1ブロック、すぐ犬の化け物の銅像が出迎える。日が落ちて賑やかなのは、この町ではここと、西の色街だけだ。ここには色気はあまり無い。見目佳い女は少なくないが、尻を撫でれば怪我をする。
オルトロス街である。
カイウス(Caius)の宿の前。
「それじゃ俺たち、ここで」
ぱたぱたと手を振る弟二人を乗せて、兄の操る馬車は通りの向かい、探索者ギルドの馬車口へ向かう。「豚肉」六体の納品だ。
「随分とまた腕の立つ・・」
アサド師、手を振って見送る。
◇ ◇
伽藍に向かう本参道の坂下、好立地の辻にある酒亭。
昔は精進落としの客で賑わった。
寺が寂れ門前の歓楽街だけ残り、尽底り場末ふうに品下って始末ったこの一角。
数少ない堅気な店として生き残った。
木曜は日暮れ前から結構客も入る。
路面のテラス隅、木製の古びた揺り椅子にいつもの白髪の義足男。それらしく酒杯で鉱泉水を飲んでいる。赤髪の少年が足元に寄り掛かり酒肴の豆を奪っては齧る。老酔客と孫かと見えるが、ギルドから来た用心棒の二人組だ。
膂力自慢ながら走れぬ老兵と韋駄天走りの小僧とで組んで三年。義足でない方の爪先で赤髪の尻をつつくとか、白髪の履くブーツを握り返すとか、盛んに余人には聞こえない会話をしている。今しがた店に入って行った『七人組』のことだ。
口に出すのは、ひとに聞かれて大丈夫なことだけ。
「アイクス(Aicus)の店のツケ、いつ払う?」(ギルドに連絡入れる?)と、赤髪。
「もうちっと金が貯まったらな」(もすこし様子見だ)
白髪が考える。(連中がこの店で暴れねえ限り、俺の仕事じゃねえ。ありゃあ、日が落ちてから他所で何かやらかす迄の暇潰しだ。つまり、この店は荒さんな)
「払いはちぃと待ってくれって頼んどくか」(報告だけ入れとけ)
「それがいいよ」
「赤葡萄酒が三本じゃ足りねえぞ」(市警の捕り手なら三倍で囲まないと負ける)
「強いね」
赤髪が立ち上がる。
◇ ◇
エリツェブルの公文書館。
「二十四年前の記録を端から調べて行こう。ときにイーダくん何故ここに?」
「急な腹痛で早退しましたわ」
「イーダさん、ぼくより背でかいのにゴツくなくて綺麗ですよ。眼鏡とった素顔見たいけど駄目ですかね」
アルの調子がいい。
イーダさんは、その……女性として見て、かなり美しいひとだーー眉と目は見たことがないがーーと思う。一緒のベッドで寝ようと言われた時には、思わず体が強張った。むろん彼女は媾合しようとか性的な意味で言ったのでは無いとは思うが。
ただ、いろいろ個性的というか……服装も独特で、眼鏡はまあ別格として、まず宝石真珠の類を一切身に付けていない。
すべて高純度の銀の細工物だ。額の金輪も、長く垂らした三編髪の留飾りも耳飾りも喉もとも胸元も、十指も腕も銀づくめ。手甲飾りの黒ヴェルヴェットも銀鎖で覆われている。ベルトも織物でなく全て革紐と銀鎖の細工品だ。ここまで徹底されると、コルサージに施された見事な銀糸の刺繍と見えたものも実は銀の針金の細工物の縫い込みでは、とか疑ってしまう。
全身に一体何リューラの銀を帯びているのだろう。これは何かの術具か願掛けに違いない。いや、私の故郷は、馬鹿か! と思うくらい金細工大好き村なので、広い世界には銀大好き村も有るのかも知れないが。
「これでしょうか。子供の行方不明6、お宮入り」
「早ッ! 瓶底すげえッ」
「領主様に初孫が御生誕で……恩赦が発生、捜査打ち切り……? 『恩赦』って、そういうことするものでした?」
:扨て記録繙く一同が何を見つけますかは、且く下文の分解をお聴き下さいませ。