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7 応接の上客既に酔漢の事

《三月八日木曜、夕刻》


 街も場末。丘上の伽藍正門に通じる石畳の参道から薄暗い路地へと斜めに逸れると、人の行き来も急に減る。急な登り坂に、隣り合う間口の狭い建物が階段様に乱れ並び、岩山を穿った径道も斯くや。

 化粧濃い女が戸口の薄暗がりに立っていたりする。

 珍しく身なりの良い厳つい男が女とひそひそ話する背後を、猫男がすり抜ける間だけ会話が止む。曲がりくねって先へ先へ上って行くと、と或る玄関の階段に、揃いの袖無しガンベソンを着た男が三人。窮屈そうに腰掛けて辺り憚らぬ声で喋っている。


「デキムスさん死んだってよ」


「裏切ったって本当なのか?」

「知らねえよ。裏切って逃げた奴が宿に帰って寝てるか普通?」

 革袋の酒を回し飲み。

 猫が来る。

「にゃ」

「おう」男たちが尻をずらして通す。

 ドアが開くと酔漢たちの騒ぐ声。女の嬌声が混じる。

 どこにでもいる浮浪児風の少年が猫にいて入っていくが、誰も見咎めない。

 ドアが閉まる。


「デキムスさん探せってアレ、お手当出んのか?」

「知らねえ。俺たち探してねえし」

「あのさ」

「何だ?」

 小さなひそひそ声になる。

「攫ったガキ、売っ飛ばしてないって噂、本当かな?」

「野菜売りが今朝畑で収穫した野菜売らねでどうすんだよお」

「デキムスさんが殺したって・・」

「わけわかんねえ」

 男たちの呂律が怪しい。

「じゃあさ、デキムスさん逃げたんじゃなくて、誰かに攫われて殺られたんじゃねえの?」

「何だそれ」

「言うじゃん。『運命は月みたいに満ちては欠ける、因果の車輪は回る』って」


                ◇ ◇

 街娼と別れた先程の厳つい男が、路地の急坂を上っていく。

 伽藍の裏手に出る近道だ。

 ガンベソンの男たちが無駄話に興じている前を一瞥もせず俯いて通り過ぎる。

 飲んでも買っても気は晴れぬ、気が重い。

 命令は断れぬ。

 人けのない裏木戸を潜り僧院敷地内に入る。

 奥の方では何か催しが始まっているのか、時折遠くで子供たちの歓声が上がる。


 小径の傍ら木陰の石造りベンチに腰を下ろす。

 石畳の登り坂から正門を通って僧坊に向かうなら、ここを通るはずだ。

 どうやるか。今はまだ考えたくない。何も考えたくない。

 接触してから考えよう。

 隠しの中の小瓶を握り締める。顔に掛けるだけでいいと言われた。


 待ち人が、なかなか来ない。


                ◇ ◇

 その頃、伽藍の丘北急斜面、草生した旧城壁の更に下。段丘の崖下を西流する深い川は旧城時代に外堀だった。その川を、今日の昼過ぎに嘗て尼寺だった廃墟の隅で、先の厳つい男へ小瓶を渡したニコロ・ベリンゲリオの肥満体が、一糸纏わず仰向けに、ゆつくり流れていく。春が訪れ、水辺の草花が新緑の上に紫や黄色を彩る。水面が夕日できらきら光る。

 川のほとりの貧民街で、小さい男の子が見ているが、丸裸と見て興味を示さない。


                ◇ ◇

 薄暗い急坂の路地から浮浪児風の少年が出て来、元きた石畳の坂を降りて行く。

 道端に寝ていた四十と少し程の痩せた乞食の前を通る。

 突然、男が瘧病おこりやみの様に震え出す。

 合わぬ歯の根で懺悔の言葉と聖句と、そして訳の解らない単語の羅列を始める。

 膝を抱えて、いつまでもそうしていた。


                ◇ ◇

 矢張り、その日の夕刻の話。

 王都のとある大手商会から赴任してきて間もない支店長が、探索者ギルドの特上客応接室にいた。

 遍歴の遺跡探掘者わくけいろが持込んできた古拙な酒器や異国の宝飾品などが、違い棚の上でこれ見よがしに妍を競っている。然し乍ら、上座の側に一番麗々しく飾られている、黄金の継ぎ手など備えて華美流麗な急須に似た器が、肛門に酒精あるこほるを注ぎ込む超古代異民族の謎の宗教的行事に使われたものであるのは、誰も知らぬ事であった。


 商談恙なく終わって雑談に花が咲く。日没前だが実は葡萄酒の大きなデキャンタが既に半分ほど空いている。


「この町が栄えて商工が殷賑にぎわうて、パルミジエリ伯爵領内一番の都会になったんは、怪我の功名でっしゃろ。代々武辺者の伯爵家が商工ギルドに町の経営丸投げしよったンは、そんな先々のこと考えてたんとゃう。ほっぽっといたから成功したんやろ」

「まあまあ、結果オーライ十分結構じゃないですかぁ」


「下のもんに自由にやらせてヤル気出させて、肝心なとこを舵取りする。それが良い君主良い店主よい親父や。伯爵はんは全部ほっぽり放しやろ? そんなん善政でも何でもあらへん」

「でも私の故郷じゃ規制規制、罰則罰則でぇ。それに比べたら天国ですよぉ」

「なんやー、パトロン様ベッタリの商工ギルドおたいこはんと同じこと言うやないけ。姉ちゃんもイッケ好かんなー」

「怒りますよ。アレと一緒にしたらぁ」

「えーやん、それ言うたれー! 奴らに言うたれ、増上慢どもに言うたれー」

だんさん、二人で未だ半本なのに酔いすぎぃ」


 相手をしているのは平素大広間の受付にいる美人職員。接客は手慣れた様子なのだが、自分ももう長椅子上に胡座のような座り方をしていて、相手が酔ったとか言えた義理でない。尤も毛色から元々血筋が胡人のようではあるが。


「元凶はコレや。

 『域内に店舗もしくは工房の本拠を構える市民による同業者組合連合会』

商工ギルドのこの規定! これで本店が王都にあるウチら、市政から締め出しや。伯爵はんが口出さんよって、内輪だけの参事会作ってオールお手盛り好き放題やっとる。こんなやり方、今までは通っても、お先あらへんで」

 美人職員手を打って、

「それはウチも同じ立場ですよぉ。店やら工房やら構えない職種の技能者のための探索者ギルドなんですからぁ。ギルドのトリンクハウスを共同の事務所にしてるってことで本拠地条件ほんとはクリアなんですよぉ。ぶうぶう」


「せや、実はただの業種差別や。そもそも連中あんたらを口が裂けても『ギルドあるで』呼ばへんやろ。規約とか盾に取っとるけど、ホンネは自分らだけが堅気衆とお高く止まっとんのよ」

「山師もとい鉱脈鑑定人なんて、他所の市民締め出しちゃってたら仕事ンなりませんよぉ〜。自分たちだって市民じゃない渡り職人雇ってるくせにぃ」


「連中は親方以外人間だと思ってないから勘定に入っとらんねや。吹けば飛ぶよなちっさい店の親父に思いっきし上から目線で『大店構えててもアンタ所詮使用人の身分』とか面と向かって言いわれたで。『金で買った市民権』とまで言われたで。売ったの、奴らがヘイコラ米搗きバッタしとる伯爵はんやのに。つか、市民権だって言うて売ったお人を詐欺師扱いしとることになるやん」

「売ってるもん買って何が悪いんですよね〜。ちなみに私はこの美しくもカワユらしいカダラで買いましたわぁン。嘘ですけどぉ」

「あんときゃ、職人のこらず金づくで引っこ抜いて店潰したろかとマジ思ったわ」

「何でやんなかったんですぅ、ぶうぶう」

「おいおい」


                ◇ ◇

 商工ギルドへの不平不満はますます花が咲く。

「要するにぃ、市民権持ってないマイスターは認めないってことは、参事会員の被選挙権人質にして『非市民マイスターは渡り職人価格帯で仕事しろ』って無体な値下げ圧力かけてんですぅ」

「いやいや銭金ちゃうで。つまるところ連中のホンネは、姉ちゃんみたいな『見るからに外国生まれのもんが絹のベベ着てええ暮らししとんのが気に食わん! 名士ヅラすな!』の後半のが重いんのや。ましてや市政にまで口出されたら我慢ならんと!」

「人間ちっさぁ〜い」

「この際ハッキリ言うたるわ。王国に白旗あげた南部人が、まーだ南部人だけで町ぃ切り盛りしたがっとんのや。伯爵様が南部人なのに甘えてな」


「そらまあ確かにウチらって余所者のスクツですよねぇ」

「ほら、そやってスカートで立て膝すんのも目くじら立てよるだろ」

「えー? これ、皆んな喜びますよぉ」

「そらぁ、ここの荒らくれ達や」

「そうかなぁ、まぁ故郷じゃパンツルックがデフォだったしぃ、でもこの国の下まるだしスースーも慣れると快感」

「あのなあ」


「ねえねえ、南部人の南海の方じゃ、おにゃの子もおぱんつすぶりが一丁穿いて海で泳いでるって知ってますぅ?」

「うひぇへへ胸も丸出しかいな」

「上は着てるに決まってるでしょぉ、ウチのギルド長とおんなじぃ反応っ」

「ありゃ彼と同じかいな。ワイ反省」

「わざと誘いましたぁ」

「あん人も超超一流言われてたんに、今はスケベオヤヂ素しか残っとらへんなあ」

「それ方面でぇ、市警のご厄介にならないかが心配のタネですぅ」


「あんたらは市警が一番アレやろ? あの商工ギルド の飼い犬ら『人足寄場の毛の生えたの』とか『犯罪者予備軍の巣窟』とか言いたい放題に陰口叩いとるで」

「ぶー。こっちも『酒屋の御用聞き』とか呼んでますから、お互い様ですぅ。それにぃーー」

「それにぃ?」

「飼い犬って、アレお座敷犬ですもんね。いくら伯爵のお墨付きで警察権握ったって、大捕物にはコワモテ貸してくれってウチに頭下げて来ますからぁ」

「そん時ドヤ顔すっから、また恨まれるんやで」


「ウチの盗品買戻交渉人が偸盗どろぼとツルんでるとか、示談代行人が身代金狙いの人攫い一味じゃないかとかぁ、め付けてそんな嫌疑ばかりかけてキャンキャン騒いでて、主犯さっぱり追わない駄犬だしぃ」

「駄犬いいわぁ、それ。今後そう呼んだろ」ーー

ーー「それ、もしかして逆に身の証し立てて呉れとるんと違ゃうか?」という言葉を、支店長は飲み込む。


「あっちの連合会内部じゃ、同じ織物業界内で生産職系ギルドと流通業系ギルドが主導権争って血の雨が降る騒ぎなんですよぉ。徒弟の徒党が互いに殴り込み掛けてるの、駄犬はオロオロ見てるだけンだからぁ」

                  (註:偶然この国の言葉で同韻だった)

「上も参事会役員の座ぁ争うて、山吹色の菓子折が飛び交っとるゆうのんに、駄犬は『待て』で『お座り』やからなあ」


「いや、今回はすいませんでしたね、ナンバー・ワンが出張っててぇ。二番手の『雷神社中』も断然そこいらの正規軍精鋭部隊の一枚上行きますから失望はさせませんわん。掛け値なしの猛犬ですわん。むしろ人数多いぶん適材適所。どうぞ、大船に乗ったつもりでキャラバン進発して下さいねぇ」

 犬で話が繋がる。


「まったく最近の伯領南部はどないなっとんのや。野盗出過ぎやろ」

「となりに野盗山賊製造機みたいな国がありますからぁ」

「迷惑やなー」

「大手さんと長期契約で増員したら、お隣りの政情安定期には護衛さんの余剰人員が遊んじゃいますもン。本店様で契約されてる大手傭兵団もさぞや腕利きさン揃いとは思いますけどぉ、急な補充とかてんぽらりいは、今後ともぜひウチにお声掛こへがけ下さいねぇ。絶対お得ですからぁ」


「ナンバワンの腕が見れへんのは残念やなぁ。スレナス兄弟ゆうたっけ?」

「用心棒の腕前なんて見られない方が幸せなんですよぉ。保険金もりない方が幸せ。もう一口上乗せで懸けませんかぁ?」

「姉ちゃんには、かなわへんな」


                ◇ ◇

 上客様が厠へ立った隙に、元は結構ハンサムだったと思われなくもない小太りの中年男が足音忍ばせ小走りに駆け込んで来る。

「カルサヴィィィイナくうぅぅん! 飲んでないで仕事してよぉぉ!」


「あっら、ギルドまいすた。ウチで接待が仕事じゃないのは貴方だけですよぉ。この前も酔っ払ってお客様に介抱されてたしぃ」

「だってイーダくん早退で、受付パニックなんだよぉぉ!」

「大手の常連客獲得あと一歩なんですぅ。事務はギルド長が頑張って下さいよ。それとも貴方が接待の続きやります?」


 立て膝して捲れた裾の奥を覗こうとしたギルド長の顔面が足裏で押し返される。

「うぶううっ、だってベラスコ廃荘園の襲撃犯十三人護送されて来たんだよ」

「それ、働くの警備主任ですぅ。貴方、暇! それより、プフスの代官所へ早馬出しましたぁ?」

「あ、まだだ」

「ンもうぅ、オっちゃん使ッかえなぁ〜いぃ」


「すまん」

「だぁからぁ、先に『兇状持ちいないかご確認』伺い立てとかないとぉ! 代官所の判事補(iudex)さん『また関所で慇懃無礼に見せかけたイヤガラセされたあ。急いでんのに三日も接待されたあ』とか愚痴愚痴ぶちぶちいうお酒の相手、私なんですよぉ」

「だから、すまんて」

「受託契約に紐付けて自治権干犯にならない道筋作っとかないと、あとでみぃんなが迷惑するんですよぉ。きちんと伯爵家了承済み事項ってエビデンス作っとかないとぉくどくど」

「すまんよお」


「十三人も、どうしよう! 領主裁判権と折り合い付けないと」

「問題な〜いでっす。ベラスコは伯爵家が庇護くりえってないんだから自力救済権ふえでが生きてますぅ。襲撃犯連中が伯爵家発行のご立派ぁな身分証でもお持ちでないなら護衛契約に基づく代理行使でウチが吊しちゃっておっけぃ。

ーーですけどぉ、手数料になんないしぃ、プフスの巡察判事補さんにご出座仰ぎましょ。連中にヤられたリッピ館の相続人探しとか官費で受注できたら、実質不労所得でらっきい」


「伯爵に引き渡せって言われない?」

「伯爵だって三人にち転がされる十三人なんて要りませんよぉ」

「そうかな」

「最悪でも出費はドンゴロスの芋袋代*だけ」

「やだよ、それ」


「どうせ伯爵家ってば館主の間引き狙いで片目瞑ってゲルダン連中見逃してんだから、うちがまた連中間引いて調整とって稼いで、うぃんうぃんじゃないですかぁ」

「オトナって汚いなあ」

「ぶうぶう。ギルド長の歳、ちょーど私の倍ですからぁ」

「でぇも資産家の独り者だよお? 今晩どおお?」

「貴方の未亡人ンなら為ってあげてもいいけどぉ、新妻はお断りです」

「ひどくない?」


「尋問はぁ?」「スレあにがやってる」

「ギルド長、働いてますぅ?」

「窓口の留守番。必要だろ?」

「いっそスレあねを臨時バイトにスカウトしません?」

「その手があったかぁぁぁ」


「ギルド長、支店長おきやくさんにはスレナス兄弟がもう帰って来てるの、気取けどられないようにお願いしますぅ。もう、雷ちゃん出動しちゃったからぁ」


 居住まいを正して裾を払う。

 そして溜息ついて、

「片づいちゃったかぁ。『雷神社中』さん、お仕事楽になりましたぁ、休暇旅行並みに」



註*ドンゴロスの芋袋代:受刑者を簀巻にして川に流す処刑法を遠回しに言う。生きたまま縛って芋袋に詰めて大川に捨てるので、経費は粗織りの麻袋代だけで埋葬費用も不要



:扨て何かありそうで何もなき日暮れ時なれど、且く下文の分解をお聴き下さいませ。


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