12.麦わら男も憂鬱だ
《三月九日金曜、陽の傾く頃》
西区。
Fiesco館。
「ああ、ナネット! ここにいた!」
「おう、使いを遣ろうと思った矢先じゃ」
「婿殿、公文書館はどうしたの?」
「ギルドに頼んどいた宿直の子が来たんで、鍵預けて来ました。誰か来たら呼びに来るようにって」
「ここに来とるの、知らんじゃろが」
「あ・・」
「何を、そんなに慌てているの?」
「それが」
「それが?」と、女三人声を揃える。
「ヴィリ=ガルデッリ男爵って・・誰?」
◇ ◇
西区。
フロラン邸。
「まあ、飲って呉れ」
ペテロ・フロリアーノが差し出す猪口は、青硝子の切子に瀟洒な銀細工の細い脚が付いている。彼が細い硝子瓶から透明な液体を注ぐと、見る見る猪口に白露が置く。瓶ごと氷壺に入れてあった様だ。
「いいグラッパですね」
「本当は、こんな冷やさん方が香りが立つのだけれど、喉越しはこれがいい」
「ちりんと猪口の縁を合わせる」
ペテロは一気に呷ってしまった。
「弟は先月四十の誕生日。十六の春から進歩がない。全く・・あれから丁度二十四年になるんだな」
「俺、母ちゃんの腹の中ですね。四月生まれだから」と、イル・モロ。
「あの時のことは話したくもないが、時々無性に喋ってしまいたくなる事もある」
「複雑な心境ですか」
「喋ると死ぬような気がするし」
「それって聞いても同じですよね、桑原桑原」
「ガレッティは弟より二つ上で、グループの頭だった・・あと薬屋のニコロとか」
「薬屋のニコロ・・昨日の昼から行方が知れません」
「あの時は弟の悪友が五人行方知れずになった。ガレッティは正気じゃなくなって施療院に入り、ガレッティの親父は参事も辞め、町一番の富豪が店を手放し商会も解散して家に引き篭もっちまった。翌年だか翌々年だか寂しく死んだが、葬式には誰も行かなかった」
「何が有ったんですかね」
「詮索した奴は・・或る日ふと居なくなるって、皆が言ってた・・」
「おっかねえ」
「親父の怯え方も普通じゃなかった。俺に店譲って、トスキニアに小さな別荘買って二度と帰って来なかった。結局長生きしたんだけどね」
「他の『消えた』人ん中にも、そうやって無事だった人いるんじゃないですか?」
「まあ親父も結構な人生さ。若い愛人連れて行ったし」
「そいつぁ結構」
「結局、異端審問官も姿を見せなかった」
「その異端審問官ですが・・」
「?」
「先月末から対魔女コミッサールの委員と名乗る男が現れて、審問官の名をちらつかせて、陰であれこれ探り回っていたんです」
「なんだって!」
「一昨日に公文書館へ現れ、その後は寺町坂下で酒を飲んでいました。それが目撃された最後です」
「あんた、それ何時の間に調べたんだ」
「情報屋には情報屋の横のネットワークがありましてね、同業者を出し抜く方が利がある場合と、情報共有した方がいい場合。色々使い分けて俺ら生きてます」
「まあ商売全般に言えるが」
「俺とか、情報屋専業じゃない荒事係は、情報共有のお世話になることが多いですね。審問官の影なんて警報みたいな出方しますし」
で、そいつが最初に消えたわけか。
◇ ◇
寺町男坂の、とある屋根の上。
「うーん、あっちの屋根の方がよく見えるか」
ガン伍長こそこそ移動する。
人を狙撃などする予定はないが、持っていないと何かと落ち着かない。分解した小型の弩を袋に入れて背に負っている。
ようやく良さそうな場所を見つけ、巻いて持参した毛布を敷き、横になる。ちっと寒いのでフラスクに入れてきた蒸留酒をひと舐めする。
いくら夜目が利いても闇夜は困る。上を見る。
少し赤みを帯びてきた空に、月が高い。
◇ ◇
「ヴィリ=ガルデッリ男爵って、おまえ知らんわけ無かろ?」
「誰だっけ?」
「これだ、この甚六」
「やあね、月影様じゃないの」と、ナネット。
「えぇぇぇ・・・!」
「だから、先から何を騒いでおるんじゃ」
「いや、代書屋だって男が打診の使いだって言って来て、私と養子縁組の話が」
「えー!」
「おう、到頭話が進んだか」
「驚かないんですか?」
「驚くって婿殿、月影の姉様、お独り身でしょ。で、男爵家の御当主ですもの」
「必要じゃろ養子」
「でも、なんで私らが」
「わしとワリーとヒルダ、仲良し三姉妹が妹分じゃもの」
「ヒルダの息子とわたしの娘の夫婦なんて、甥姪みたいなものだわ」
「そんな仲良かったでしたっけ?」
「むっつり無口同士、お前の母親とは特にあれだ、いつも連れ歩いとったし」
「そうそう。今でもヒルダは御城でご一緒だわ」
「私はトルンカの家あるし、マリオの方が都合いいんじゃないです?」
「お前あれ、嫁が来ると思うか?」
「男爵家、絶えちゃうわ」
「ひどい。義母さん達、あいつをそんな目で見てたんですか」
「うん」
「え? ナネットまで!」
◇ ◇
ギルド協会会館。
屋上庭園。
マリウス・フォン・トルンケンブルク派手に噴嚔をする。
「まだ屋外は肌寒いですね」
「そこだけ、吹き曝しでぇす」
「いや、つい景色に釣られて見晴らしの良い方へ出てきて了いました」
(言ってよ)
「後ほど此処に宴席を設えまぁす。星が出てくるとろまんちっく。でも、お花は明るいうちお目にかけたくてぇ、ご案内しました」
本当は時間を持て余してである。
宴席になる辺りの三方を囲んで炉に火が熾っており、銀色の反射板の向かいは結構暖かい。
「町の真ん中で狩猟祭の宴のような趣向ですか。面白い」
判事補殿既に楽しそうだ。
◇ ◇
僧院の中庭。
話し込んでいたアンヂェとマグダ、流石に肌寒くなってきて移動しようとした矢先、ご商売仲間が駆け込んでくる。
「急でごめんマダレーナ、あたしダブっちゃった。陽が落ちたら山猫屋に出られる?」
「どんな客?」
「髭面の熊みたいなの。二人客なんだけど一人は出かけるからって」
「うう、気が乗んないな。ま、仕方ないか」
「恩に着る!」
「(あいつらか?)」
老人が聞き咎める。
◇ ◇
西の草庵。
黒頭巾の男でなくなった男。名をタンクワルド。
緑色の目に整った鉤鼻。がっちりした顎と発達した僧帽筋。
追放刑になった元騎士だ。
寝床から上半身起きて、フラ・ジェヴァンニの話を聴いている。
「何も聞かないんですね」
「あなたが話したい時は聞きます」
「あの・・」
「何でしょう?」
「お坊様の名前はなぜジェヴァンニなのですか?」
「むかし、町の修道院長が困った人で、孤児院で受け入れた子供の名前を市庁に届ける書類を書いているとき、酔っていたのです」
「はあ」
「よく聞かれます」
◇ ◇
協会大広間。
今は長剣を下げてもいないし、麦わら帽も脱いでいる男ルイジ・ダ・ラマティ。
情報屋のファッロが話す。
「朝一番に入市するのは近所村の者。さもなきゃ徹夜仕事から帰ってきた市内居住者。この町が初めてな人がいたら、おかしいのは分かりますよね?」
「ひと晩夜道を歩いてきた不審者だ」
「それが今朝は二人も来た。門衛局が警戒するのは当然です。二人目は尾行を撒いて市民を一人殺り、市内に潜伏中です。門で目撃した市警の職員が似顔絵を描いて、うちらも連携して行方を追ってます。もう見つけて監視中って未確認情報もありますし、時間の問題って思うでしょ?」
「違うのか?」
「引っ張る手立てがないんですよ。殺られた市民は人付き合いのない独り者で、親の遺産で食ってて仕事仲間も無い。誰も訴えて無いんです。さっきまで一緒にいた男が死体で見つかったってだけですからね」
「厄介だな」
「監視するしかない。尻尾出すまでね」
「で、一人目は?」
「入市を諦めて町外れの坊さんとこに居ます」
「アジールか。これはこれで厄介だな」
ルイジは思案投げ首する。




