444. 憂鬱な追及者の人
《四月五日、夕刻》
サーノ河畔、ブラーク城。
ヴォルフ、早足で現れる。
「ド・ケア卿! チョーサー家から使者が来ました。自室に隠れてて下さい」
「来たのは、誰?」
「州兵第二師団のオレーグ上級曹長と名乗ってます」
「伯爵世子専属の護衛だ。世子って人付き合い悪いってか引き籠り系の兄ちゃんで側近も秘書も置いてないから、身近に侍ってる数少ない人物だな」
「警戒した方がいい?」
「した方がいいな。ボディガードが使者に立つって、変だろ」
「そう言う要素、あり?」
「そりゃ有るさ。俺が逐電を決意したのは、あいつに背後に立たれて『俺ゃここで始末されるのかな?』って感じたときだ」
「そのピンチ、どうやって逃れたんです?」
「あれ、前に言わなかったっけ? 俺が生きて帰らなかったら彼らの秘密を書いたレポートが大司教座に『お恐れながら』って段取りになってるとか嘘八百、ブラフ吹きまくって遁走したのさ」
「そうかぁ。相当強いか・・」
「そりゃ俺が・・背後に感じた気配で死を覚悟するくらいだ」
「ふぅん」
◇ ◇
家令オーギュストに奥へ通されるフィリップとオレーグ。
「男爵さま、チョーサー家から謝罪の使者が参りました。世子護衛官オレーグ上級曹長です」
オレーグ、部屋へ一歩足を踏み入れた瞬間、異様な圧に蹂躙される。
心拍が昂まり、跪拝の姿勢で思わす己が左胸の辺りを掴む。
冷や汗が噴き出す。
「クラウス卿、そのくらいにして上げてくだされ」と、ド・ブラーク男爵。
卿、ゆっくり男爵の傍を離れる。
足音がしない。
オレーグ深呼吸して、来意を告げる。
「伯爵世子ビヨンの謝罪をお伝えに参上致しました」
「許す」
オレーグ、発言を許されたのかと思って言葉を続ける。
「スカンビウムにて男爵様を襲撃せんと企み・・」
「許す」
「え?」
「許す。実行犯の生存者も赦免致す」
「しかし今般は一個小隊の兵力を投入し・・」
クラウス卿が遮る。
「徽章を外し軍旗を掲げず、武装して妄りに他領に侵入したため身共が討伐した」
卿、実は愛馬が襲って蹴っちゃったと言えないので、理屈を付けている。
「あなた様は・・?」
「身共は、嶺南ガルデッリ家の問責使である。さる三月二十六日ガルデッリ伯爵の一向を襲撃した賊の討伐は終わったが、その背後で是を幇助した当家への敵対者を糾弾しに参った」
卿、少し嵩に懸かる。
「・・な、なな」
・・なんと、エドガー・ラーベンヴァルトがガルデリ伯爵を襲っていた?
これは計画齟齬だ。バッテンベルク伯との諍いが外へ燃え拡がらぬ様にした上で成る可く少ない賠償金で勘弁して貰おうというプランは蹉跌だ。
「我々はまったく知らぬ事でした。さきの戦争の後、大公家は戦没者遺族に子供が成人したら士分に取り立てるという証文を幾つか発行しており、彼はそれを持って現れたのです。チョーサー家は約定に従う義務が有りました」
男爵、驚きの表情。
「そなた、ラーベンヴァルト家が反逆者として国王陛下よりお家取り潰しの処分を受けていた事、知らぬのか!」
「実は、状況がだいぶ進んでしまってから、昔の事を知りました。坊ちゃんも私も当時は子供でしたから。弁解の余地もありません」
「国王陛下の下された確定判決は、確かに私的戦争の結果を追認したものである。然し是れは、参審人の評決を判事が宣告するのと同じ。大公の私的な証文は陛下の判決を覆せぬ」
「はい・・。証文は無効であります。意図せざるところと言いながら、チョーサー伯爵家はご迷惑をかけた皆様に賠償する責めを負うことは疑いありません」
オレーグ、深々と頭を下げる。
◇ ◇
隣室。
覗き穴の前。
「あの旦那の威圧、凄えな」
「こっちまで冷や汗出ましたよね」
「男爵様って肝っ玉太ぇな。平気で隣に立ってたぞ」
ヴォルフ、使者が乾坤一擲男爵の暗殺を図って来るリスクも考え、クラウス卿に主と倶に引見の場へと願い出たが、卿もともと其の積もりであった。
「しかし・・あの旦那、あんな凶悪な顔して、意外と法務とか詳しそうだな」
「人殺してもギリ合法って場数を相当踏んでんのと違ゃいます?」
凶悪は言い過ぎである。それなりに風雅も解するし、フェンリス卿には及ばねど学もある。
◇ ◇
別室に下がる曹長。
「オレーグさん、大丈夫か?」
「だ、大丈夫。心の臓すこし疲れたが・・」
「嶺南三強のひとりだってさ」
「あの黒騎士って、ドラゴンが化けてたり・・じゃないよな?」
「ああ。人間だ・・と思うよ。あの人の馬がまた真っ黒の怪物みたいな巨体でさ。思うに、その兵隊さんって、あの人が騎馬で攻めて来たんで恐怖のあまり幻覚とか見ちゃったんじゃないか?」
「有るかも知れんな、そういうの・・」
ちなみにオレーグ氏、『黒騎士』という言葉を間違って使っている。
まぁ黒服着て黒目黒髪口髭も黒い彼をそう呼びたい気持ちは良く解る。然し乍ら『黒騎士』と謂うのは紋所を消して身元を隠した騎士のことで、黒っぽい騎士でもホワイトナイトの宿敵でもない。
大きな溜め息。
「つまり黒騎士殿に討ち取られた者以外の親衛隊員は、みんな敵前逃亡なのです。正体不明の怪獣に襲われたので避難したのは軍規違反に当たらない、というようなシナリオ作っといたんだが」
「お家の心配より逃げた兵士が先か。あんたらしいや」
「いや、お家も心配も心配なのだが、先方が『問答無用! 皆殺しだ!』みたいな態度ではなくて、ひと安心しました。ラーベンヴァルト党が嶺南の伯爵を襲ったと聞いたときは目の前が真っ白になったが・・」
フィリップ、軽口めかして言う。
「かるく撃退しちゃって嶺南側に被害が出てないから特に怒ってないようですよ」
一転眉顰めて・・
「・・でも、何人も人が殺されてるバッテンベルク領の方は問題ですよね。人々は怒ってるんじゃないですか?」
「でしょうな。賠償のために交渉しないといけません」
「聞いてて思ったのは、問題が二つあるんですよね。二つというか二重というか」
「ははは」
「どうしました?」
「いや、可笑しくて。二つと言われて、少なくてほっとしている自分が」
「ははは。一つ目は『お取潰し』処分が法的に確定してるラーベンヴァルト家を独断で再興しようとしたことです」
「それなんですが、最初は本当に気付かなかった。事務方の杜撰なんですけどね」
「そんな単純な話なんですか?」
「単純という訳でもない。チョーサー家は雇った文官に政策決定権みたいなものを認めてないし、勤続年数も長くない。彼らは言われた個々の事務仕事をするだけで誰も全体を見ていない。根深い問題です」
「なるほど」
「だからエドガー・ラーベンヴァルトが大公家の感状を持って現れたとき、過去の経緯の調査が通り一遍だった。彼の父親が騎士身分を剥奪された理由が記録上ただ敵前逃亡の廉となっていたらしいんです」
「で、後で気付いたと」
「で、『お取潰し』になったのはラーベンヴァルト本家だから分家は良いだろうと話を進めてしまった。『お取潰し』を申請した相手の意図が血筋の断絶だって事を理解してなかったんですね」
「文官さんって平民出身の僧侶とかも結構いますよね。そういう人に貴族の感覚と『ずれ』が有ったんでしょうか」
「それで、話が上がってきて『これ、バッテンベルク家とモメるんじゃね?』とか議論になる頃にはワルダーという事務官が話を変な方向に進めていました」
「これはバッテンベルク側から突かれる所ですね、重過失だと。そして、あの顔が剣呑な旦那は『知りつつ幇助した者』を見つけては首ちょん切る訳だ」
クラウス卿言われ過ぎ。
「二つ目ですが・・」と、フィリップ。




