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441. 憂鬱な酔漢の人

《四月五日、昼》

 州都ボスコ・・嘗ての州都と言った方は良さそうだが、そう言ってしまうと今の州都が存在しなくて困る。

 いや、困らないか。嶺南州なども州都は無い。

 いや、あれは旗諸侯である伯爵家が州まるまる一つ支配しているから困らないので有って、同格の三伯爵が鼎立している当地では、困る。


 困るには困るのだけれど、大公家が統治能力を喪なうと、まるで腐った果実から食べられる部分を切り取るかの様に、治安の紊乱したボスコの町の端の辺りを、三伯爵のうち二家がそれぞれ切り離して自分の物にした。

 それが北のノビボスコと、南のナシュボスコである。

 それで、西からボスコへ向かう街道も三叉みつまたに枝分かれした。


 そんな合流点の少し南。

 ひた走って来た若い武官が下馬して歩み寄り、足腰立たぬ態で崩れ落ちた一人の親衛隊員を扶け起こす。


 この世界、ドラゴンの様な異形の魔物が実在する。実は永らくお伽噺と思われて居たのだが、数年前に王都が襲われたとき多くの人が目撃している。

 正規軍の防御を一蹴したその黒龍を、冒険者の三人組が追って討ち果たした話は伝説になっている。

 彼ら、報償で巨万の富を得て引退したとも、相討ちで生涯癒えぬ傷を負ったとも噂され、トンとその後の話を聞かぬ。


「確かにあれは黒龍だった・・少し小さいが」

 そう言われると信じてしまう素地が有る。


「俺たちの部隊は、ブラーク城奇襲の命を受けて、密かに城に接近して居たんだ。木陰に潜んで上の人が作戦会議をしていたんだ」

「そこを襲われたんですか?」

「夜は城門が閉まってしまうだろうから夜襲は無理とか、いっそ君命で出征するため領内を通行すると挨拶に行く振りをして城内に押し込もうとか、いろいろ談義して居たところだった。あの怪獣が襲って来たのは」

「こっちが攻めたんじゃなくて?」

「ああ。人目に付かない場所で、下士官以上は会議してて俺たち兵士は訓練どおり戦闘のイメージトレーニングをしてた」


「突然来たと」

「突然だ! 最初の一人が背後から頭を噛み千切られて、何が何だか解らんうちに何人も踏み殺された。黒い怪獣に立向かって行った隊長の頭が一撃で無くなった。首の上に下顎と、あと何だか分からん物とかが少しだけ残ってた状態で未だ暫らく立ってて、やがて痙攣しながら倒れた。地獄だった」


「ほかの皆さんは?」

「生き残れたろうか。みんな散り散りになって逃げたよ。そりゃ逃亡は厳罰だけど指揮官が居ないんじゃ如何どーしょも無いだろ?」

「ブラーク男爵んとことは交戦しなかったんですね?」

「たりめえだ。相手がドラゴンじゃ仕方ないだろ」

 ・・これは良い言い訳だ。


 でも、なんて報告しよう。


                ◇ ◇

 ノビボスコ代官所。代官グリゴリ・ド・ギーズが昼飯掻っ込んでいる。

 食い方が下層階級くさい。

 このひと、伯爵の甥でれっきとした貴族だが、庶民の集まる町道場で長いこと撃剣を修練してきたもので立ち居振る舞いが俗っぽい。代官としての政務でも民衆寄りの姿勢が強い。

「オクタヴィアちゃん、地味めの服を選んどいて」

 外見もあまり気にしない。


 伯爵の居るギゼレラード城までは大した距離ではない。午後の安らいだ時間帯に建議書を携えて伯爵を訪ねる支度である。

「うーん。でも伯父上、昼飯が気に入らなくて不機嫌だったら嫌だな」

 余計なことも心配する。

 実はギーズ伯爵、気分屋だとか贅沢だとかで食い物にうるさいのでなく、昔ある肝心な時に食中毒で寝込んで大失敗したので食品衛生にうるさいのだが、そういう意識高さが一向に周囲から理解されていない。家来の料理人にさえ、である。


 代官、手近に有った蝋燭に指輪を押し当てる。

「今日中に帰れないことは無いと思うが、封蝋にこの印が無かったら、その書状の指示には従うな」

「そんな事やりそうな人物が居るのでござりまするか?」

 メーザー師とジョルジャ、眉根に皺寄せて面つき合わせる。

「万が一だ。この世界、碌でもない奴なら掃いて捨てるくらい居るだろ」

 そりゃ、そうである。


                ◇ ◇

 ブラーク城。

 城主の男爵が暗い顔。

「左様でしたか。来てましたか」

 十中八九はチョーサー伯の親兵であろう部隊が侵入して来て居たのは、城からは四里以内の地点である。

 今はもう居ないが。


「回収してきた遺品にある紋章を調べれば、身元は確認が取れると思いますわ」

「まぁ、確認して苦情入れても喧嘩になるだけですが」とヴォルフ。

「入れなくても、もう喧嘩でやんす」


寧、いっそ嶺南の我が実家より一個小隊くらい呼び寄せて、暫く麾下に置かれるか?」

 クラウス卿、真顔で言う。

「今後の展開次第では、お願い申し上げて宜しいだろうか」

「嶺南勢と結んだとして物議を醸したく無ければ、政治色の付いてをらぬ傭兵団を雇う策もございますわ。資金は御提供申し上げます」


「常備兵では彼我の差は僅かである。であるが、伯爵家が家臣団に陣触れをすれば然るべき軍勢は集まろう。そうなれば劣勢である」

「卿の仰る通り。由々しき事態であります」と、男爵も渋面。

「敵はどれ程に本気で内戦を惹き起こす覚悟なのであろう? いま我が方が急速に軍備を充実させれば、却って敵の暴走を誘発し兼ねぬ。或いは亦た一方的な開戦の口実にも利用される懸念も是れ有りである」


「お義兄にいさま、脳筋らしくなくて吃驚ですわ」

其方そなた、身共をそう思うて居たのか」

 そう言いつつ表情変えぬクラウス卿。

「此処はひとつ身共が此の城に常駐して、加勢を半日程度で駆け付けられる地点に密かに駐留させるのが最善と思惟おもうのである」

「それ、『身共、独りで云人斬った』とか仰りたいのでは?」


 卿、やはり『好戦的な男』に違いないと偏見を抱かれて損している模様である。かなり容貌の所為なのだが」



                ◇ ◇

 代官所から程近いノビボスコの冒険者ギルド。

 まぁ程近いのは当然。この町は元々が郊外のベッドタウンから発展したもので、そんなに広くもない。個人住宅以外の施設は大体一箇所に集中しているのである。

 スカンビウムの受付嬢アンヌマリー、大広間に一歩入って少々当惑する。自分の知っている冒険者ギルドとだいぶ違ったのである。

 単なるロビーといった風情で、事務所っぽい部分が無い。

 第一、求人票を貼った掲示板が無い。

「・・(あれ無いと、この町で冒険者というものが顧客層にどんなニーズ有るのか見当が付けらんないなー)」

 たむろしている冒険者たちがほぼ全員同じ服というのにも驚く。

「・・(州兵団が大幅に軍縮したっていうから、古着屋市場にミリタリーウェアが大量放出されたのかしら?)」

 実は服の中身も、大量放出された元兵士ばかりであった。


「うーい! エールお待ちっ」

 ・・かろうじて二十代くらいかなって女給が、近くの卓に大きなジャグを運んで来た。お兄さん達お昼から飲み過ぎじゃない?

 厨房ブースは大回転の様子。

 そうだ、お昼たべよ・・と、女給の姉さんを捉まえる。

「うーん、うちって腹減らしの男どもの客ばっかりなもんで、献立が偏っちゃってボリューム重視なんだよね。女の子が来たからハーフで作ってくれるよう料理長に頼んで来るわ」

「あちゃあ! 『男どもの客ばっかり』ってことは、女の冒険者とかってあんまり需要ない?」

「ごめん! いま昼飯対応中で大車輪だから。あそこで飲んだくれてるダメ親父がギルマス。彼に聞いてくんない? あんなのしか居なくて、ごめんね」

 恐縮されてしまった。


 ギルマスのウルリッヒ・ブロイケラー。地域連合会の席で姿を遠目で見てて顔は知っている。見た目はダメ親父であるが、しかし父やエルザママから聞く限りでは油断したら確実に一本とられる相手らしいから要注意だ。

 まぁ認識表じゃ何処のギルド所属か分からないし、大丈夫か・・そもそも個人を特定できない認識票って認識票として本当は意味ないんだけどね。まぁ、これって冒険者ギルドが『ギルド』って呼べるようなコミュニティとして確立してないって事なんだけど。


 ギルマスに近づく。

 ウルリッヒ彼女を見て、はたと杯を取り落とす。


「マリー?」


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