432. 憂鬱な投降者
《四月四日、夕刻》
サーノ河畔、ブラーク城。
城主ドラコ・ド・ブラーク男爵に全面降伏。膚脱ぎして跪いていたウィレム・ド・ケア元男爵、もう腰を落として座り込んでいる。
「だって・・世子ビヨン殿ったら、多感な少年時代に母親が違う男の子供を産んで其の弟べったり偏愛でしょ? 実の父親は、家臣からさえゴミ野郎と面と向かって罵られてる針の筵。これで人間歪まなかったら、どんな聖者です?」
今でこそ『親の讐を討てない息子には相続権など無い』という古い時代の民法は生きていないが、人の目は依然そうだ。
二十年ばかり前の戦役で、先代チョーサー伯爵と二人の息子を縊り殺した挙句に五体バラバラにして晒した南軍に対し親兄弟の仇を討つどころか遺体の回収にすら行かなかった三男。つまり今のチョーサー伯に対して、家臣団さえもが口を揃えて聞くに堪えない程の面罵を繰り返した。
妻にさえ、事実上去られたのだ。
「あの坊ちゃんは、子供の頃に病んじゃったんですよ。でも、弟さえ絡まなきゃあマトモなんです。昔のこと蒸し返し南と喧嘩しようとか、そんな企みしてません。悪巧みの実行犯だった俺がよく知ってます」
(・・・小声)
「なんだか是の旦那って、尻尾切りで自分を打っ殺そうとした元・主人を弁護してやがりますねぇ。目端が利いて調子良くてずっこい奴に見えたんだけど、ほんとは結構いい奴?」
『道化師』が変な感心をする。
「いや、『ちょっとお頭弱くて嘘がつけぬ』というのが此処ら地元の我らの気風でござってな。ゆえ、信じて良いのではないか?」
男爵も自虐っぽいこと言う。
「いえ、何事にも真摯で嘘が無いのは、男爵さまの御性分でもありますわ。敏腕で冷徹でありながら、なお相手に寄り添う優しい心根の御方。まこと、男性としての魅力がお有りです。伯爵夫人にもお優しかったのですね?」
「うう・・あの頃は儂も未だ若う御座いましてな。ただ御家を絶やしてはならぬと隠忍自重する伯爵のお立場を説明してお慰めしているうち、ちょっと・・つい」
「出来ちまったと」
「其れでは男爵さまがゾーティン男爵のお父上なのですの?」
「いや・・まさか・・そんな・・」
「少なくとも世子ビヨン殿はそう信じて性格捩じくれちゃってますんでね、それで色々嫌がらせして来た訳です」
「では・・刺客など送って来られたのは元々儂の蒔いた種か・・」
「いや文字通り」
ド・ケア卿、床に胡座かいて頭掻いて居る。
「俺が暗殺の指令を受けたのは、世子ビヨン殿が後押ししてたエドガー・ラーベンヴァルトの奴が、勝手に南で何だか分からん動きを始めたってリーク情報が入った時で、相当慌ててた。自分が黒幕と思われて南の恨みを買うのは真ッ平だし、この際もう恨めしいブラーク殿ごと暗殺して口封じをすれば万事ギーズ伯爵の差し金に見せ掛けられるってのが、あちらの本音」
チョーサー伯以下、北軍兵士の遺体を州境に晒して、のこのこ遺体の回収に来る遺族を手薬煉挽いて待って居て、罠にかけ次々と殺していた南軍も、凶悪といえば凶悪だが、チョーサー伯の兵も南に攻め込んで色々やらかして居た。
実は問題行動のあったのはラーベンヴァルト衆でチョーサーは特に悪く無いとの抗弁の声も有るのだが、既に南で甚だしく恨みを買って仕舞っている事実は今さら如何しようもない。
報復対象として槍玉に挙げられ易いのだ。
「世子ビヨン殿がエドガー・ラーベンヴァルトの奴を再び騎士に取り立てる方向で動いてたのは、士道不覚悟で召し上げられてた旧ラーベンヴァルト領を上手いこと自分のモノにしている弟への嫌がらせ。それなのにエドガーに勝手に南と揉め事を起こされちゃ堪らない。それで先手を打ったつもりが、とんだ後手引いてた訳だ。まさか、もうブラーク殿が南と結んでたとは」
男爵、偶然の邂逅だったと今更言い出し難い雰囲気。
◇ ◇
裏の方。
スカンビウムのアンヌマリーが城に来ている。
「来客中だから邪魔しないようにな」と、ヴォルフ。
「しないしない、した事も無いっ・・て、来客中なのに護衛さんが男爵様のお側を外してて良いわけ?」
「良いんだよ。俺が束になっても敵わない人達が束んなって付いてるから俺なんぞお呼びじゃない」
「ブッフォーネさん達?」
次の間を裏から覗くと、今朝の騎士さんが二人、武者隠しで控えている。
「ねぇ! あの口髭の騎士さん凄いと思わない?」
「嶺南の名門家の方だから失礼が無いようにな。お前って直ぐ遠慮なくなって馴れ馴れしくする気があるから」
「しないしない、した事も無いって」
「嘘つけ。お前、俺に既う遠慮なくって馴れ馴れしいじゃねぇか」
「何よ! ヴォルフみたいな陰気で取っ付き難い男はボッチだと思って優しくして上げてんのに」
「だから、そういう押し付けがましいとこ直ぐ出すから『失礼が無いように』って言ってやってんだよ」
短期間で仲良くなっている。
「で、どういう話ん成ってんの?」
「それが、衝撃的展開だ。ゾーティン男爵って、殿の息子だった」
「えーっっ? めっちゃ仲悪く無かったっけ?」
「ああ。仲悪くなるよう、伯爵世子が手を変え品を変え、意地悪の裏工作してたんだとさ」
「陰湿ぅ〜」
「どうも、弟が母の愛情独り占めっぽかったのが兄弟不和の元らしい。・・ってか一方的に兄の方が絡んで行ってるみたいだけどな」
「うちなんか母親が男作って逃げちゃったけど、何処で弟妹できてて巡り会っても啀み合ったりしないと思うわぁ」
「んまぁ相続問題が絡んでる訳じゃなさそうだから、こっちはお家騒動じゃなくて家庭問題だな」
「こっちって?」
「嶺南さんが外孫と内孫の相続争いだ。完全決着したって話だが」
「何よ・・『したって話だが』って! せっかく当の嶺南からお客さまが見えてんじゃないのさ」
「いや。なんか怖い話になりそうで・・ちょっとまだ聞けてない」
「それは・・気持ち分かる」
話を変えるアンヌマリー。
「ねぇねぇねぇ、男爵様ってさ、ずうっとお独り身じゃない! もしかしたら伯爵夫人ラブとか、有り?」
「そう言えば、護衛で初中終随行してるけど女の影が無いな。まぁ俺ら家臣どもが後継者を心配する程のお年齢でもないし」
暗殺者とか来たんで俄かに慌ててる空気も有るが。
「老け・・落ち着いて見えるけど、四十か其処らだよね? 伯爵夫人と同じくらいじゃないの?」
「ううん・・二十年前に若い同士が不倫しちゃった構図か・・」
捨てられちゃった伯爵も当時は若かった筈だが。
「・・苦境のどん底で足掻きながら爵位を継いで御家を潰さなかった亭主をパッと見限っちゃった奥方だ。褒められたもんじゃないけどな」
「何よ! ロマンスってもんが解ってない男ね。無粋なこと言ってるからモテない訳だわ」
「お前だって男が寄り付いてねぇだろ」
「わたしは、ちっさな町の冒険者ギルドの受付にべったり張り付けられて中高年と妻子持ちばっかりの職場を守っている可哀想な乙女よ。適齢期が虚しく過ぎ去って行こうとして居るわ」
「気の毒だな」
「そう言われると腹が立つわね」
◇ ◇
ブラーク城の小部屋。牢から出された暗殺部隊の生き残り三人、壁際のベンチに詰めて座っている。
「お前らも捕まったのか」と、肩を怪我した男。
「誰も戻って来ないから様子を見に来たら、やられた。酒場の女をちょっと脅して喋らそうと思ったら、逆に・・これ、だ」と、骨折した右手を見せる。
「年増の、ちょっと佳い女か?」
「暗くて顔がよく見えなかったが、背が高かったな」
「俺も多分そいつにやられた。只者じゃ無かったぞ」
ド・ケア卿が入って来る。
「あれ? 旦那?」
「これまでと観念して出頭し無条件降伏した。戦死した者には気の毒な事をしたがお前達の命乞いは受容れて頂いた。俺は如何なるか判らんが、もし助命頂けるなら下人身分でも良いから男爵にお仕えしたいと思っている」
「あの・・」
「何だ?」
「あの、鞭の令嬢・・どなたですか?」




