3.姐さんも憂鬱だ
《三月八日木曜、落日直後》
丘の上の鐘楼。
寺男の老人が目を凝らす。
「なな、なんだ! ありゃ・・」
夕闇迫る中、南のかた遠くに夥しい松明の群れ。
「七・・八十人? どっかに焼き討ちでも掛けるのか?」
足元に目を遣る。中庭には子供達大勢。上下見比べて、仲間を呼びに行く。
◇ ◇
中庭。日没時のお祈りを終えた三人の修道女が子供らの手伝いに出てくる。
元々は破戒僧がめちゃくちゃ食い潰してしまった古刹の再興しがてら、尼僧が浮浪児らへ炊き出しをしていた日だったが、今は幾分意味が変わった。孤児院の児童たちが週に一度、貧民街でたくましく自活している兄貴分姉貴分の少年少女らに労いの気持ちを込めて料理を振る舞う日だ。
大鍋が美味そうな匂い。手間かけて戻した干鱈と豆の鍋だ。炊いた雑穀の団子を焼いたものを好みで入れて食す。木鉢の数が足りてないからボウル一つを二、三人で囲んで匙を突っ込んでる。卵白和え鶏肉フレークのイチジク葉包み蒸し物は手掴み。贅沢にも湯じゃなくスープで蒸したやつ。どれも食材のほとんどが卒業生からの差し入れだ。
しかし目玉はこれだよ。豚! 豚! さるお方から丸一匹差し入れだ。
アンヂェリカが走る。
「お前らぁ、血まみれになって解体したアンヂェさん差し置いて先に食うなぁ!」
横にいたもう一人の小柄な若い尼僧、目を丸くして
「アンヂェ、あなた本当に修道女?」
炭火が熾る。
ロティサリーが回る。また回る。豚が回る。
皮が飴色だ。
「かつて おいらは ぶたごやに すんでた
かつて おいらは 一番うつくしい ぶただった
焼かれてみじめ! 喰われてみじめ! みっじっめ!」
子供たちが変な歌を歌う。
「アンヂェさん、復活祭まで肉食はいけないのよ」と、もう一人の尼。
「私はいいんです。妊娠してるから」
「嘘をつくなぁぁっ」
小柄の尼僧がとうとう叫んだ。
男の子が数人後ろに回ってスカートの尻のあたりを引っ張りながら、
「なあ、あんぢぇ。 おまえ、ぱんつはいてる?」
アンヂェリカ、きょとんと振り向いて、
「ぱんつって、何?」
「むだだ」「あんぢぇにきいても むだだ」
◇ ◇
伽藍の正門のあたり。
寺院が寂れたとはいえ、門前にある聖蹟へとお参りに来る人は結構多い。お賽銭を落とさないだけである。高台で見晴らしも良いから、木曜の午後には結構人出があって、みな古木の蔭の古拙な神像をひと拝みして直ぐ精進落としに呑みに行く。精進もしてないのに。
そんな訳で昼間の賑わいも一汐だが、日が落ちると矢鱈に寂しい。坂下の店々の賑わう明かりから取り残された様になる。だから奥の中庭で、孤児院の子供らが大噪ぎしていても気に留める人もいない。
今日は曇り空。分厚い雲に月が隠れ、闇夜に近い。
「やはり何かあるな」
寺男の老人は引退した傭兵だ。まあ、だいぶ昔の話だが。
視力は随分情けなくなったが気配はわかる。
参道男坂の辻辺りに素人でない者の気配がある。
「(見張り番か。殺気らしき殺気は無いな)」
あの奥、廃業した娼館を誰ぞ物好きが買い取ったと思ったら、胡散臭い南軍の落武者どもが出入りしておる。そういうことか。
「(ふむふむ。僧院の寺男がカンテラ下げて夜警よろしく見回っておれば、下手に手出しもして来るまいて)」
そんな中、走ってくる者がある。
案の定、物陰の男どもは静観しとる。
「おう、赤髪小僧か! あっちで何があった?」
「ゲルダンの賞金首を公文書館通りまで追尾して見失った。6は決済完了で残り7。トリペル級の猛者6とカピタノ級が一人」
「それであんなに大勢繰り出したのか。山狩りならぬ街狩たぁな」と、老人。
「こっちには来ない」
「こっちに首が逃げて来たら?」
「ギルドの衆は寺町には入らない。坂下亭に、ポリツァイのボスが手下三人連れてこれ見よがしに陣取ってる。狩場を広げすぎたら市警も黙ってないって警告」
「子供らに危険がなきゃ結構だ。こっちに二、三人回して貰えんもんかな」
「頼んでみる」
別れる。
◇ ◇
西区の医院。
「ナネット。こんな時刻じゃ官舎まで帰すのも憚られる。泊まっておゆき。その旨下男を使いに行かせる」
「ううん、もう言ってある。フェンもそう為ろって」
「なんじゃ。夫婦揃って最初からその気か。お前ら揃って母親そっくりな連中だ」
「ねぇ、義母さん最初から叔母さんに頼む気だったのかな?」
「いや、倅がもちぃとは人脈出来てるか期待したんじゃろ。まったく無口で打切ら棒な奴め、最初から大司教座に知られとうない人のお産じゃと明瞭り言えば良いものを、いつも言葉が足らん」
少し考えて、
「ガルデリ本家はこの四半世紀っちゅうもの、結構また大司教座と近しい。んなら若しや那の鉄仮面、敵に塩でも送る気か」
◇ ◇
石畳の参道の坂。真っ暗な闇の中を誰かが昇って来る。
ふと足を止める。
其処は参道男坂の辻と謂はれる場所。
折しも西の雲間から上弦の月が僅かに覗く。
男坂を降りて来た黒渾成ブリオーの女も足を止める。
昇ってきた黒髪の町娘が貴族の様なレヴェランスをすると、ブリオーの女も優雅に頷いて返礼する。男爵家の子女と女男爵*の邂逅としては確実り礼法に適ったものだった。 *註:Baronissa suo jure
月影が雲間に消えて闇と成り、月下の夜会は須臾の間に終わった。
「これだけ格上のお方に逢うのは久方ぶり。いえ、初めて?」
すれ違って坂を昇って行く黒髪娘が呟くが、彼女の鋭敏な耳は男坂の上の方から響いて来る男声の断末魔の呻きを聞き逃していない。
◇ ◇
寺院の中庭は未だ炉の明かりで煌々と明るい。
豚ローストの最後の切れ端を争う子供達少し。大半は食欲が満たされて、遊びに興じている。満腹の修道女約一名が大股開いて椅子に仰向け。「あんたそれでも貴族の娘なの!」とか怒鳴られている。
黒髪娘が入って来たのを白髪の寺男が目敏く見つける。
「姉ちゃん一人か。むくつけき男数人欲しかったのに」
「ごめん。 坂下亭前を気づかれず通り抜けられそうなの、私一人で」
と、済まなそうに。
「まぁったくぅ。姉ちゃんじゃ過剰戦力だちゅうの。コケ脅しのマッチョ数人いれば起きない争いが、姉ちゃんじゃ死人ごっそり出ちゃうでしょ・・敵に・・」
「いや、マッチョ連れて坂下亭まえ通ったら市警煩いから」
「だとは思ったけどよお」
鐘楼にいた老人降りてきて「松明勢、みんな戻ったな」
「戻ったから・・私、留守番終わって此処に来れたんですが」
「んで、賞金首は獲れたんかいの」
「いえ、ボウズです」
「なら、落武者連中や首どもがこっち来んか警戒じゃな」
「まあ、そうですね」
・・那のおかあさん、万一全員殺してはいないよね? ・・
黒髪娘が訝しむ。
後ろから男の子数人忍び寄り、スリムなお尻に抱きついて、
「おねいさん、ぱんつ はいてる?」
「穿いてるよぉ」と鷹揚に返事、あっけらかんとスカート捲って見せる。
半ずぼんに長靴下。
「喧嘩が始まったら間弛こいスカートぱっと脱いで、こういう格好で剣を抜く。それが秘密護衛してる女傭兵」
「おぉぉぉー」と子供達に大いに受ける。
弟二人いるので、悪童の相手は手慣れたものだ。
内腿左右に帯びた細身の短剣が露わになる。抜いても鋼線入りの革製鞘が内股の防具になる。
短剣に触ろうとする振りして内腿に触った男の子が、割と本気で殴られる。
「だいじょぶ。ゲルダンの連中こっちに手ぇ出さないよ」と、マダレーナ姐さん。
「だとは思うけど、用心だけは為ときましょう」 黒髪娘応える。
「だいじょぶだいじょぶ、ああ食った。酒なし宴も悪かない」
「そう、健康になっちゃうよ」
「アンヂェリーナさんは食べ過ぎで健康害すよ」
と、三つ歳下の小娘が修道女だから敬称付けるくらいは信仰心のあるマグダ。
「健康ですよぉ。体動かしてるから太りもしません」
「あたしだって毎日たっぷり体動かしてお仕事してるよ。そいでもってゲルダンのボスが一昨日死んだんだってさ。で、昨日からの暫定ボスが腰抜けだから大丈夫だよ。コソコソ逃げる算段してるよ。三番手が手堅い真面目な人みたいだから、ありゃ心配ないね」
「マダレーナさん、そんな見てきた様なこと言って」
「そりゃ見て来たから言ってんじゃん。凶状持ちさん帰ってきたとこに居合わせて色いろ聞いて来たんだよ」
「はあ」
「肝っ玉から尻の穴まで小さい尽くしの暫定ボス、おっきい所は態度だけさ」
「そっか小っさい人ですか」
「そりゃもう牛蒡か綿棒かって」
「止せやい姉ちゃん真っ赤だぞ」と老人。
「わっ私、那様ぁ初心じゃないです。何人も握り潰してます」
「え!」
「ほら戦闘とか尋問とか」
「おっかねえな」
「おっかないわね」と、マグダが相槌。
そこへ、おっとりした感じの老女が来て、
「子供たちも躁ぎ疲れた様子です。今夜は何やら訳有り模様、皆んなを泊めて上げましょう。暖たかく為てあげて」
子供ら歓声。
「あたしも良いんですか?」と問うマグダに、
「一層此の儘ずっと居ません?」と、院長。
「えーっ」
◇ ◇
市の中心街。一際大きい屋根の上に小さな黒い影。
何者?




