387. 憂鬱な大番頭、今日も
《四月二日、未明》
夜明けも近い筈だが、まだ真っ暗なスカンビウムの町。
宿酒場は炉の火でそこそこ明るい。
「皆さんも、何か暖ったかい物でも飲む?」
「おう、頂くといい。みな儂の勘定だ。衛兵の皆さんもどうぞ」と、男爵。女将とアンヌマリー、皆に豆と野菜スープの手杯を配る。
この世界、原則が当事者主義ゆえ殺人事件だろうが公衆面前の現行犯でなければ公権力は動かない。故にフリー個人は弱過ぎなので、皆は血族とかギルドみたいな共同体で団子になるのだ。
だから事件という物は、犯人側の共同体が『こっちが悪いみたいだから煮るなり焼くなりご随意に』と答えれば犯人は釜で煮られたりするし、『これでご勘弁』と人命金を払えば釈放されることもあるし、『そんな端金じゃ話にならん』と共同体同士の戦争になることもある。
それで、犯人や被害者と同じ身分の裁判員が集まって当事者を調停する仕組みが発達したのだ。その裁判員たちの議決を、一段身分の上の者が『これにて落着』と宣言する。それが判事である。
だから、犯人の身分がわからないと判断が難しい。
なんせ身分制社会である。私有民は所有者の財産として、ペット並みの扱いだ。ただ問題は、人様より偉いお犬様は珍しくない事だ。ちなみに人様よりはるかに偉い犬を『官僚』という。
「犯人は、複数の町民がいる酒場に長剣持って乱入してきた暴徒だ。平和破壊罪を適用出来そうなんだが、日没後で微妙なんだよな。町民の数も六人以下だし」
「私ら町民じゃないもんねえ」
「まぁ、死んじゃった奴らは正当防衛で処理するとして・・何人いたんだ」
「さぁ、裏庭に置いといたら野犬が持ってっちゃったみたいだねぇ」
「そっちの方が問題だな。町民の安全対策をギルドに依頼するか」
「野犬狩りだと危険手当が高く付くわよ」
「お姉ちゃん、町内で『火の用心』並みの巡回なら安いだろ?」
アンヌマリー早速商談している。
「それでは、再た見えん」と男爵、素っ気なく立ち去る。
「ヤレヤレもう明け方までそんなに間が無いよ。辛うじて未だ暗いうち、ちったあ寝ておいで」
「だが女将、なんだかんだで目が冴えちまってらぁ」
町民、まだ飲む気だ。
「あーったく貴方らったら筋金入りの呑ん平だねぇ。酒は有るけど、肴を粗方食い尽くしてるよ。仕方ない。なんか在りもの見繕おう。うーん、こっちの豚肉は塩に漬かり過ぎの脂身ばっかりだが、カリカリに炒めりゃ却って火酒に合うね」
『道化師』が暴漢の首根っ子を次々と捻ね折ったので、人死にの数に比して流血が少ない。それでか、客たち肉を食うのに抵抗が無い。
「あとは鰊の酢漬けに、鰯の香油漬けがひと甕・・と」
「あの連中もねぇ、半剣にでも構えて隊伍組んで突っ込んで来りゃ今少し手応えも有ったんだけど・・。天井低い部屋ん中で長剣振り被っちゃって、まぁ素人さんだったなぁ」
「手応えあったら私困るし」
「お嬢ちゃんも煮えた鍋ぇ頭っからぶっ掛けるとか、血も涙も無ぇっすよ」
「だって、か弱い手弱女なのよぉ。むくつけき男ども怖かったんだからぁ」
女将、知らん顔して先刻人を刺した鉄串で肉を炙っている。
◇ ◇
ジョルジャ裏庭に出ると、物陰にフィリップが居る。
「あと、五人組はハイメス氏狙い。だが警戒していて、今後彼が一人にならなきゃ襲撃は諦める方針のようだ」
「ブッフォーネさんが紹介状書く。襲撃者の身元探る冒険者として男爵のところに潜入できる」
「ふん・・五人組を追うか、男爵のとこに乗り込むか。悩むところだな」
「ザミュエルさんに頼む」
「それは名案です」と、近くの草叢から声。
びくっとするフィリップ。
「私、気配殺して尾行したり聞き耳を立てたりは得手なのですが、聞き込みしたり尋問したりは本当からきしです。あちらの五人組を追って行き先を探るのでしたらお任せ下さい。その代わり娘さんのガードから離脱して仕舞いますが、フィリップ先生とご一緒の時なら大丈夫ですよね?」
先生と言われて少し機嫌のいいフィリップ。
「それならザミュエルさん、手分けをしよう。彼方は頼んだ。俺は男爵の城の方へ行こう」
「尋問のプロが火曜には来る」
本当に来るかどうか、判らない。
「ところでザミュエルさん・・なんだか野犬の活動が尋常じゃ無いんだが、なんか情報はないか?」
「東のチョーサー領の方が昨年は結構酷い不作で、飢饉一歩手前だったとか。その余波で、人民の暮らしは苦しいのです。飼い犬を捨てる者が続出しました。彼らは東から来た難民です」
「スカンビウムでも急に野犬が増えたわけか」
「つい最近です。非道い話ですよ。家族とか言って一緒に暮らしていたのに、突然手の裏を返すんだそうです。でも、誰かれ構わず襲ったりしないのは、人と家族と思って生まれ育った者たちの心に根ざした優しさでしょう。頭ごなしに駆除だとか考えるのは、人の道に外れていると思いますね」
「詳しいんだな」
「熊さんは人を喰うと、もっと食べたくて仕方なくなると言いますが、犬さん達は違います。そんな中毒にはなりません。豚や牛と同じ。ただ、ご飯が落ちてたから食べちゃっただけですよ」
「犬は人の友達です。長い長い歴史が有るのです。どうか多少の行き違いには目を瞑ってやってください。人だって飢饉になれば人食ってるじゃないですか」
ザミュエル、妙に犬らに親身である。
◇ ◇
宿酒場の中。『道化師』ちびちび火酒を飲っている。
「ねぇ・・ハイメスさん、魚の腐った臭い・・しゃす?」
「あ・・しゃんすね。鰊の酢漬けと鰯の油漬けか」
「美味そうだぞ?」
「いや、先刻の男爵様の話・・どう聞かれやした?」
「当店が飽くまでも従犯で、しかも貴族様のご意向に逆らえなかったのだ、という主張は十分通ると。あの所為で死者が何人も出た嶺東側は、きっと訴訟を仕掛けて来るだろうけど、あちら側の狙いはチョーサー家関係者で、当店なんか全く眼中に無かろうって・・」
「それで、ハイメスさんが『飽くまでも当店は従犯なのだ』、『貴族様のご意向に逆らえなかった』って郡役所に言上したら、どう成りやす?」
「主管が郡法廷じゃなくてカンタルヴァン伯の上級審に移るだろうって・・」
この世界。三審制とか無い。上級審とは、より訴訟当事者の身分や重要性の高い案件を裁く上級法廷のことだ。
「じゃなくって、ハイメスさんが『当店は貴族様のご意向に逆らえなかった』って証言したら、困るのは誰でやす?」
「それは、チョーサー伯の身内の誰かだ」
「さっきの刺客、ほんとにド・ブラーク男爵を襲うんだったなら、大勢ひとの居る酒場を襲って来るって変だと思いやせん?」
「だ・・男爵様はお泊まりの予定は無い。夜更けにお帰りになる」
「月あかりの無い二日の夜に、お供のヴォルフさんと二人だけでお帰りだ」
「そ・・そこを襲うな」
「なぜ、ひとのいっぱい居る此の酒場を襲ったんでやんしょ?」
「・・それは、男爵様と一緒に私も殺して、ご主人様が『貴族様のご意向に到底も逆らえなかった』と言い出さないよう釘を・・」
「刺す」
「ま、私が護衛を請け負った以上、メッツァナに帰るまで、旦那にゃあ何処の誰も指一本触れられゃしませんがね」
「私ゃ生きて帰れるかね」
「大丈夫。旦那はA級のアサシンを雇いやしたから。ひと様のお命を頂く専門家はお命を頂かれない手立ても良く存じて居りゃすよ」
「私がS級のアサシンに狙われたら、どうする?」
「そのお人に『ちょっと勘弁してやってくださいやし』って言って上げやすよ。




