5.勢家の子弟蠕動し暗黒の気配漂いまするの事
夕刻が迫る。
市街中心部の一際大きな建物。正面に大破風、左右に塔が聳え壁面の漆喰を華美な鏝絵が飾る。其の上層階北西、角部屋の小さな会議室。
北と西は窓無しの壁面、東は階段踊場吹き抜けの上。
外から見えにくい隠し小窓が幾つかあり、出入りのとき階段や周囲の通路に余人の影が無いか様子を窺える。密談のため周到に設計された小部屋だ。
集った五、六人は皆な思い思いの色と柄の綾織絹シュルコットにヴェルヴェットのシャペロン。歳の頃なら揃って皆な四十と少し過ぎ。古くからの同輩らしく歯に衣着ぜず、平素人前では使わない卑語俗語。遠慮なく罵り、笑う。
「見つけたのか?」
「ああ、市警が」
「な・なんだと、市警が!」気色ばむ。「追っ手は何をしていたんだ!」
「野郎、死体で発見されたらしい」
「市警に見つかっちゃ拙いよ」
「落ち着け、死体は自白しねえ。問題は何か書き残してないかだけだ」
「俺らの名前が出たら参事選前に親族スキャンダルで親父共が大火傷だぞ」
「俺んとこは親父が参事を引退するから、俺が醜聞食らって次回出馬即アウトだ」
「市警にも探りを入れてるが、まだ上まで報告が上がってない。昨日の今日だぜ」
「おいおい! 探りって、下手に動いて関係を疑われたら藪蛇じゃないの?」
「ねえ、ニコロの薬って、体が弱って必ず他の病気に罹って、そっちで死ぬからバレないんだよね?」
「阿呆ゥ、だれ殺る気だ! 暗がりの小銭拾おうと高額手形に火ぃ点けるか?」
「聞いただけだってば」
「鼻薬の効いてる警吏は?」
「だからまだ連絡付いてないよ」
「追っ手で持ち逃げした奴とかは?」
「わからん。四方八方手分けして探させてるから、みんな散っててすぐは連絡がつかないんだってば」
「いや、『あれ』の値打を知ったら、誰が持ち逃げしたっておかしくないだろう」
「何も喋らずに死んでくれたんなら、それでいいんじゃいの? 取り戻すの諦めればいいだけだろ。違う? どうせ俺たちの物じゃないんだし」
「誰が殺したんだ。お前の雇った連中なぞ束になっても勝てる奴じゃなかったろ」
「そんな連中なぜ追っ手にしたんだ馬鹿か」
「バカはお前だよ。慌てて腕利き雇ったらますます情報漏れるし」
「見つかりませんでしたで許してもらえれば苦労はないぜ」
「意外にあっさり許されたりとか、ない?」
「あのお方の反応は読めない」
「取り越し苦労で身の破滅を招いてもぞっとせんしな」
狭い室内と轟々と嵐が吹き荒れる。
「収拾がつかん。プロスペローが来てから決めよう。参事会に何か情報が上がってるかも知れない」
「そういや、ニコロはどうした? 連絡まだ着かんのか」
◇ ◇
隣室は椅子ひとつ入るだけの隠し部屋。
「阿呆どもめ。密談用会議室を作った者の目的が、密談をさせるだけと思うたか」
小部屋への小さな覗き窓を、女は静かに閉じる。
◇ ◇
結局、馬車二台になった。前に簀巻七本、後に六本。その後ろを数珠繋ぎにした馬が十三頭。馬方の係が四人。荷台で下側に敷かれた男が仲間の重さに呻き、声が幌から外に漏れる。途中の村を通り過ぎる折に、すれ違った農夫がギョッと目を剥く。
後ろ馬車の馭者台に初老の男。
哨戒中の村長の乗馬が並走して来たので、少し話す。
「どうもこうも。旦那様が町一番の腕利きに頼んでな、野盗共十三人が一網打尽じゃわ。だんびら抜いた悪党どもを瞬く間に素手でボコボコ。凄ぇもん見たわい」
「助かったぞ。うちの自警団も不寝番が続いて神経かなり参って来てた」
「町に着いたら少し腰ぃ据えて、成る可く良い値で馬売って来いって、皆の小遣いも預かってな」
「いい館主さんだな」
「フルメマンヌ河は渡れる浅瀬が多いから、いつまた次のが暴れるか」
北部から来た旅人に地元の者が、ただ「大きい河」と言ったら、そういう名前の川だと地図に載ってしまった。ゲルダンとの国境だ。
国の名前はころころ変わるので、面倒だから皆がずっとゲルダンと呼び続けている。南に昔の帝都があったトゥスキニアがあって、そっちは国情安定。その北の広大な平野がみなグェルディナ州だったが、今のゲルダンはフル河の南だけで昔の三分の一強くらい。
「国境越えるの簡単だからな。取り締まっても賽の河原だってさ。伯爵家が下っ端兵卒に雇って、せめて野盗化を防ごうって動くとも聞いたぞ」
「そんな兵隊増やして、何すんのじゃ」
「いや、ガルデリとなあ。もうひと悶着って噂もあってな」
「象って知ってるか?」
「?」
「二頭の象が喧嘩するとな、畑も花園も踏み潰されるんじゃ」
「勘弁してほしいな」
「でもな、二頭の象が愛し合ってもな、畑や花園が踏み潰されるんじゃ」
「くわばら、くわばら」
村長が馬首を返して去る。
町までもう一息。
◇ ◇
舞台は戻って探索者ギルド協会。
「ニトくんって本当にお巡りさんか捜査官かなんかなのッ? ぼくと同じくらいナヨナヨしてんのにッ! そんなサラサラの髪とプニュプニュの手してさッ」
無自覚に……自虐している。
「あらあら、アル君ったら、読みが浅いですわね。ニートさんが仕事を『していなかったので村役場に徴発され』たって言ってたの、聞いてませんでした? 農家の息子が仕事してないと思います? これって今の世間では普通に、貴族の部屋住み四男坊とかが、村の領主である父上だか兄上に『働け』ってお尻蹴飛ばされてるパターンですわよ」
「確かにこの子、立ち居振る舞い見てて生活かかってる自覚なさそーだよねッ」
……アルくんに「この子」呼ばわりされた……
「貴方は、ありありですわね」
「そこんとこ、お給金よろしくお願いしますよッ!」
受け流して、
「だいたい、こんな綺麗な子が自分で『汚れ仕事』って言うの、何だと思います? 不浄役人という意味で言った以外に考えられませんわ」
「『綺麗な子』って、姐さん何処まで見えてんの?」
「うふふ。見えない目でも見えてますわよ、アル君がだんだん距離詰めてるのが」
「詰めてないしッ! て、ぼくぁ追い剥ぎに丸裸にされた貴族のお坊ちゃまがオーガの城に迷い込んで洗濯物盗んで来た帰りかと思ってましたよッ。あんなに背丈おっきいのに襯衣ブカブカなんだもん」
脇で無駄話が……喧しいのに、
「飛び回り嗅ぎ回るのが得意と自分で言うだけのことはあるな。
これは拾いものをした。
で? 当然のごとく借り出した人はマークしてるんだろう?」
……アランさんがブレなくて……嬉しい。
「エルテスハバール大修道院のアサド*師です」 *:Fra Asad=Brother Asad
「大物だな」
「護衛に御堂騎士たったひとり連れて、ふらりと代官所に現れて……顔馴染みの掾史と世間話をしたとき、子供達の事件のことを然り気なく聞き出しています。その夕刻、閉館間際の公文書館に突然現れて、司書が恐慌を来たしたらしく、言われるがままに上申なしで貸し出してしまったと……」
「司書さん失職ですかねッ!」
「事後承認申請でお咎め無し。上司に嫌み言われる程度ですわ、そのまた上司の上司だって貸出を断れる相手でありませんから。修道院には修復や筆写の依頼で古記録を預託することがあります。その司書さんも修道院相手に限っては、禁帯出という感覚が鈍痲していたのかも知れませんが」
「あ、スルーされた! 寂しいッ」 (註:偶然この国の言葉で同韻だった)
「ふむ、いま起きている事件を知っている人物が、最初から決め打ちで二十四年前の記録を取り出したわけか」
「広大な寺社領を持つ大修道院の副院長様ですわ。大領主クラスの権力者が自ら顔を晒して自分で動くとは、まず証拠湮滅側の人ではありません。お手ずから調べたいような過去の因縁でもあるのでしょうか。あ! いえ、あそこの院長様は王弟殿下。その腹心が単身で動いているとーー」
「うむ、おお事だな。少なくともこの事件が伯領に収まらず嶺北寺社領から天領までも広がっていることは確定か。当初の予想を随分と上回る規模だな」
「師は急ぎ、宿も取らず独り徒歩で夜道を西に出立したとの目撃証言が……」「あらまあ剛毅なご老体。確か還暦過ぎですわよね?」
「独りって、護衛の人はどこ行ったんですかねッ」
「傭兵なら夜道の強行軍が契約条件に合わないとかで離任することもありますが、御堂騎士ですわ。手分けして別の急務に就いたのでしょう」
「急務って、お偉い爺さん独り歩いて夜道を旅するッ? 普通ッ?」
「昼間に騎士のお供たった一人連れて旅してる時点で、既に十分普通でないですわ。騎士も歩いて来たんでしょうか? それとも騎馬に相乗り?」
「うむ、ぜんぜん行動が読めんな。非常識というより支離滅裂に近い」
「その後、院に戻った形跡なく……外出継続中です」
「それが今日午前中のきみの仕事か。手早いものだ。関所はどうやって通って来た?」
「その、ちゃちゃっと……」
曖昧な笑顔で言葉を濁す。
◇ ◇
「現職警官がソレでいいんですかねッ。いやまあアリか」
「うむ、国王の警官が公務で伯領の関所を通せとか言ったら、入国目的は何だかんだ申請がどうだこうだ、まあ飯でも食ってけ一杯付き合えとか足止めされた挙句、その間に自治権侵害だと異議申し立てが都に上がってひと悶着だな」
「それで何食わぬ顔してギルドに来て『同じ案件を捜査をしている地元の大物探索者の助手』という、伯領内で怪しまれず調査に動き回れる『立場』と『お給金』とを、易々と両方手に入れられた次第なのですわね。強りしてらっしゃる」
イーダさんがまた……内腿をつねる。今度は少し強い。
「あたた、あの……それ……私、お給金は無くても……」
つねった処を優しく撫でてくれる。
撫でる手がだんだん擦り上がってきて、ブラゲット*を握って「うそ」と呟く。
(註*:Foul cup的な何かと思って頂きたい)
「ぼくは是非ぜひ欲しいですがね」
「アル君、よかったですわね。お二人採用にしたのでお給金は一人前を分け合って頂く処でしたのよ。ニートさん要らないそうですから貴方に一人前でますわ」
「そんな酷ぇことになってたんですかねッ!」
何事も無かったようにイーダさん、
「いま伺った状況から勘考えまして、嶺北寺社領内のどこかの村で『二十四年前の何か』に似た『何か』が復た起こった。そこで師は先ず一番近い天領プフスを調べたーーという様な経緯かと。何故に上に話しを通して資料を借り出さなかったのかが謎ですが」
ブラゲットを指先で弄びながら冷徹に推理する。
「ふむ。プフスブルなら院から東に三十里*だ。御坊が調べに行ったら、事件は3件『も』あった、とすれば?」 (註*:壮健な男子が徒歩3時間で到着する距離)
「プフスで……調査を始めます」
「事件が3件『しか』無かった、とすれば?」
「勿論……すぐ別の町を調べに掛かるでしょう。たぶん嶺北での事件数の方が多かったから、東に来たのがハズレと判断して……急いで西へ向かったのかと……」
「あの、話がずんずん進んじゃって聞きそびれてるんですけど、ちょっと話戻していいですかッ? 遺体の指って、どういう事?」
「ああ、済まん。置いてき堀にしてしまったのだな。地下水道で発見された子供たちの遺体四体とも、右の人差し指の先が無かったのだ。うち一体ははっきりと刃物による切断痕が認められた。なにぶん損壊の激しい遺体ばかりだったので今まで確信は持てなかったのだが、ニート君の情報で一歩先に進めたというわけさ」
「……あの……」
「ニートさん、立場があるのは理解ります。でも、もう少し胸襟を開いて欲しいですわ」
……イーダさんが襯衣の胸元に指を差し入れてくる。
「……いえ、そうではなくて可成り気味の悪い話なので躊躇したのです。プフスでは遺体の状態が良く、痕跡がはっきり残っていました。その……」
「うぁぁ、嫌な話っぽいッ!」
「……左眼球が刳り抜かれていました」
「あああッ」
「そうか、『地下水道の』は一個も残っていなかったので判らなかった。これは重要な情報だな」
「ううう、今日はせっかく夕ごはん有るのにッ!」
……昨日は……無かったようだ。
「ひとつの可能性が見えてきたようですわーー」
「……可能性……とは?」
イーダさんが、すっくと立ち上がり、芝居気たっぷりに一回転して大見得を切る。腰まである編んだお下げ髪が鞭のように一周し、七つも着けた筒状の銀の髪留めの一つが……アルくんの後頭部を直撃して、実にいい音を立てる。「あたッ」
「ーー犠牲者は年端もゆかない子供たち」
「子供たちッ!」
「ーー残虐にして異様で組織的犯行」
「異様……」
「ーーそれが聖なる三日間に犯された」
「うむ、聖なる三日間か」
「ーー高位聖職者が単身ひそかに事件を下調べに廻り」
「聖職者ッ!」
「ーーそしてこれから起こること」
「それは……」
「ーーそれは」
「それはッ!」
「異端審問が始まりますわ」
:扨て、謎多き高僧の足跡を探ることと相成りました一同、如何相成りますかは、且く下文の分解をお聴き下さいませ。




