281. 憂鬱な警部殿
《三月二十二日、昼前》
ミーゼル領アルパの町、市庁税務課。
ジルバ警部、突然席を立つ。
「警部ッ! どこへ!」
フライシャー警部補、慌てて税務課長に頭を下げ、後を追う。
「あーあ、書類出しっぱなしで・・もう」と、下吏が首を傾げ肩を竦める。
警部、厩舎へ直行して馬に鞍を置く。
「何処へ行くのです!」
「カインゲルトだ」
◇ ◇
ファルコーネ城。
廊下でジル少年が憮然としている。
独り待つこと暫し。やがて一同、出てくる。
「なんで俺だけ駄目なんですか」
「解りませんわ。これまで、大人の男性は全て駄目でした。ご老人もです」
「傷ついちゃうよ。あんな怖がられて」
「リッピ夫人は酷い暴力に晒されて心身倶に傷ついた方で、わたくしが治癒を受け持っております。大人の男性ばかりでなく、元服直前の献酌侍従アルベルト君でも駄目でした。今回は、揃って十二歳のきみたちで様子を見たのですが」
「バッティは大丈夫だったんだよなあ・・」
「治癒士を目指すバティスタくんが大丈夫だったのは僥倖です。いろいろ手伝って下さいね」
バッティ少年豁達と良い返事。
「ちぇぇ」
「きみが既う早くも纏い始めている覇気というか剣気というか・・そういうものに恐怖するのかも知れませんね」
「お兄さんたちはぁ?」
「黒髪くんたちは殺気を消すのが巧みですから」
ジル少年、少し良い気分になって来る。
◇ ◇
プフスの町、役所街のギルド。
中庭でタンクレド副長とカルル少年藤八拳をしている・・のではなくて、短刀に見立てた木の箆の如き物で修練している。夫々箆を握った互いの右手首を、左手で外から払ったり内から払ったり肘で押したり。
段々と早くなる。
リズミカルな、ぺちぺちという音が何処となくユーモラスなのだが、カルル少年可成ぁり真剣だ。
竈門部屋から出て来たレーナが、木箆を取り上げて何か小言を言っている。
調理用具だったらしい。
二人、母家の方に戻って来る。
「弥々大将が昇格試験だな」
「あそこで早飯食ってんの、立会人さん達ですよね? プフスくらいの町になると冒険者の親方も結構人数いるんだなぁ」
「年齢から見て、引退した昔の腕利き冒険者って感じだな。老後は生活便利な町で過ごす人も割と居るらしい」
「現役時代に十分稼げたお方達ならでは・・っすね」
「いまいち食欲が湧かんけど、昼だから何か食っとくか」
「そっすね」
「まぁ・・ギルマスさんからして落とす気さらさら無くて、うちの大将を誰よりも認めてくれてる人だから何処にも不安は無いはずなんだけど、ほら・・言うだろ。好事魔多しってさ」
「誰と対戦するんです?」
「さあ」
◇ ◇
アルパの町から西へ十里可り。灌木の林が多くなって来る。
街道から枝道に逸れて少し行った先に、カインゲルトの集落がある。
午前の耕作を終えた農夫が、牛に牽かせる荷車に座り込んで何やら弁当を食っている。
「やあ。トスティの養豚場はどっちかい?」と、警部。
「あ? 此方じゃなくて、本街道をもう一里ばかし西に行った森蔭でさあ。わかりにくいよ」
「そりゃ困ったな」
「ヒンクの旦那に会ったら、ボムが今週のお手当がまだだよって文句言ってたって催促してくだせえ」
「いつ貰う約束だったんだい?」
「毎週、晩餐の木曜に鶏肉が食えるように、水曜にもらう約束だぁよ」
週給で銀貨半分くらいのバイトらしい。
「あったら言っとくよ。 ・・会えたらな」
枝道の入り口まで戻って、馬を降りる。
二人とも、馬上だと距離感が今ひとつなのだ。
単歩で六百数えた辺りで、小径らしきものを見付ける。
「これかな?」
もう街道が山道に分け入る直前だ。
「こんな林の中で、豚の放牧なんかやってんですね」
「団栗とか豚に食わせてるらしいぞ。次手に、バイトに腐葉土とか掘らせて農場に売ってる」
山林の方が税金が安いのだ。いや、逆だ。可農地だと税金が重いのだ。
すぐ、草葺きの小屋が見えて来る。
戸口を叩くが、応答が無い。
「入りますよ」と警部、一応断って這入る。
人気が無い。
「警部、これ!」と、シュテファン・フライシャー警部補。
「ああ、きみは目がいいな」
赤黒い染みがある。
「どうだい。・・皮肉なもんだ。足跡の特徴が判らないよう掃除する特徴に、あの『掃除屋』の特徴が出てるってのは」
今朝見たばかりの特徴だ。
「誰が来たか判らないようにする『掃除』で、誰が来たか判るなんて、な」
警部、一度言った冗談で連れの警部補が笑ってくれなかったので、今一回言って仕舞った。内心ちょっと後悔している。
そもそも笑える洒落になっていない。
「表を見てみよう」
小屋の周りを一周する。
「街道からこの小屋は見えなかったけれど、たぶん此処からは街道が見えてるな」
警部補が相槌を打ってくれない。
「警部、あそこ」
代わりに茂みを指差す。蝿がたくさん飛んでいる。
「ああ、見たく無いものが有るな」
「ボムさん、ヒンクの旦那には会えなかったよ」
◇ ◇
ボスコ領メッツァナの町。
ディア嬢が昼間から飲んでいる。
いつの間にか地元人たちと仲良くなって大盃を回し呑んでいる。
地毛の赤髪に似合った派手な化粧で今夜普段より三割増くらい美女になっている彼女は、ご贔屓の旦那と物見遊山に出かけて来た遊び女という触れ込み。金満家の旦那と御一緒だから商売はしないという設定だ。
旦那役の護衛オラツィオ、大男の凄腕傭兵だが突き出た下腹で強そうに見えない適役である。
「この塩漬け肉が旨いのなんのって」
「姉ちゃん、ほら。この薄塩の塩梅がいいだろ?」
「黒ビールに合うわぁ」
「やぁ、この薄切り塩漬けの生は白葡萄酒に合うと思うぜ。黒ビールにゃ、ほんと是れだろぉ」
大きいブロックを野菜スープで戻して煮たのを勧められる。
「うほっ、肉がほろほろ!」
ほんのり甘味のある黒ビールを呷る。
「姉ちゃん、飲みっぷりも良いが、食いっぷりも良いなぁ」
「さぞ夜もお盛んでしょ! 旦那ぁ大変だね」
「いや、女房じゃなくて此奴が毎晩相手に出来たなら、俺の下腹も直ぐ引っ込むと思うぜ」
オラツィオが調子を合わせる。
「いや、ゴルドー産の団栗豚はソテにしてこそだぜ。カリッと焼けた脂身の甘さが良いのよ。本当に合うのはビールでもエールでも葡萄酒でもねぇ。これだよ!」
「火酒の瓶を持って来る奴がいる。
「そらぁ昼間っから飲む酒じゃねえだろ」
「いいじゃねぇか、もう木曜の午後だ」
"ええじゃないか! ええじゃないか! ええじゃないかっ ♪ "
「テメェら南部人かよッ!」
「あたし、しんそこ南部人よッ」と、ディア嬢。
「うぉー、南部人ばんざい! えっちで陽気で気前がいい」
おお受け。
「あんたら、『ビールを冷やして飲む』って知ってる?」
「なんだそりゃ、外道か?」
「いや、と或る村祭りに領主の偉い伯爵様がお忍びで突然現れて、地元のビールで大歓迎された事があったと思いねぇ」
「ふんふん」
「そこで気を良くしたお殿様が、ひと樽お土産に持って帰ったと思いねぇ」
「ふんふん」
「それが偶々お城のワイン蔵の冷暗所に暫く置かれてて、後日殿様の食卓に出たと思いねぇ」
「ふんふん」
「それで殿様、これを氷室に入れて『きんきん』に冷やしてみよと仰せになった」
「ふんふん」
「それが、旨いの何のって! あたしゃお相伴に与って、あんな美味いもん無ぇち思ったね」
「なんちゅう贅沢な!」
「氷室と言わんでも、川で冷やせたら結構」
「今度ゴルドーに行ったら、思案橋の袂で冷やして貰おうか。あそこはエルテスのお山から流れてくる水だから、とっても冷てぇのよ。それで橋を渡らず泳いで川を渡れなくって、高い通関料を取られる」
「ビールを冷やすのかぁ。考えても見なかったな」
酒宴、益々盛り上がる。




