280. 憂鬱な少年
《三月二十二日、午前》
ミーゼル領アルパの町、市庁警察課。
警部を訪ねてアーノルト・ガイツィガーが来ている。
いや、正確には警部を訪ねて来た訳ではなく警官の責任者を訪ねて来たところが警察課長がサインするだけの市庁の汎用事務屋と聞いて、警部の帰りを待つという事と相成った。つまり警官はジルバ警部より上が居ないのだ。
その警部も、今年になって記録官から転任した人物。その前は警部が二人いたのだが、相次いで辞めてしまった。
「他でもない、昨夜あった轢き逃げ事件の遺族です。担当された警官の方から後程来て欲しいと承ったので、参りました」
・・誰だ、呼んじゃったのは。いや、轢き逃げって何だっけ。いやいや、報告は確かに来た。なんだっけ・・
とは言えないので、額に手を当てて渋面を作る。
アルノが怪訝な顔。
「(本官は呼んでませんっ)」
担当警官の顔には「『後にしてくれ』って言っただけです」と書いてある。
・・何だっけ、昨夜の轢き逃げって・・ええと、そうだ。夜間に違法外出してた徴税請負人だ。ゴルデクスの辻だ。
そうだ、撓んだ軌跡だ・・
本当に頭が痛くなって来る。
「警部、どうなさったのです?」とアルノ。
「いや、悩んでいるんです。あなたに告げるべきか・・どうか・・」
「いや、是非仰って下さい。どうか」
警部、正直少々悩む。
「あなたに危険が迫る可能性が有っても?」
額を押さえた手の陰から、氏を眼光鋭く見上げる」
実は、だいぶ芝居が入っている。
「・・どういう事でしょう?」
「実は、ここだけの話・・秘密は守れますか? 否、秘密を守ってほしいのです。貴方のためですから」
「理解りました、口外しません。どういう事でしょう?」
「実は、一町歩も無い先で、凶悪な殺人事件が起こっているのです。確実にプロの犯行です。犯人グループが現場から逃走する途中で、貴方のお父上を轢いた可能性があります」
アルノ、思わず言葉を呑む。
警部、一部は欺瞞情報を入れている。『逃走する途中』という辺りだ。とにかく素人に変に動いて欲しくないので釘を刺す。
「我々も、鋭意捜査を進めますので、夢ゆめご自分では動かれぬ様お願いします。危険な連中ですから」
アルノ、無言。
効いただろうか? 駄目押しする。
「貴方を囮にして・・という手段もあるのですが、安全が保証できませんので」
「了解・・しました」
「どうぞ、進捗のご報告をお待ち下さい」
氏、大人しく帰る。
いちおう一件落着と胸を撫で下ろすジルバ警部、アーノルト・ガイツィガー氏が頭はそこそこ良いが若干雑な性格だとか、もうギルドにアプローチしているくらい性急だとか、そんなところまでは全く斟酌できていない。
性急さは、こんな朝のうち警察に尋ねて来ていることで十分推測も出来るのだが何せ警部も事件の本筋が気掛かりで、余裕が無いのだった。
◇ ◇
ファルコーネ城。
黒髪兄弟が兄貴風吹かせている。
壁に飾ってあった戦場剣を無理やり外して来て、構えて見せる。
「この鉄門構えは、剣の重さを右腿に乗っけて楽ができるから、具合の良い待ちの構えなのだ」「良いのだ」
ジル少年が目を輝かせている。
「もし、敵さんが真っ向から斬り下ろして来れば、左半身の窓構えに移行しながら下から受け流して時計回りに粘らせて突きを入れる」「入れる」
「このとき、踏み込んで左半身になるのか、退いてなのかは敵さん次第。間合いを調節するのだ」「するのだ」
「あれぇ? もしかして、短剣とおんなじ?」と、ドミニク。
「そうなのだ」「なのだ」
黒髪弟Bが警棒を逆手鉄門に構えて見せる。
「相手が順手でも逆手でも、振り下してくる右手首に短剣を握った拳を一発入れる気持ちで左に滑らせて、時計回りに粘らせて、間合いを詰めて頸を狙う」「狙う」
「このとき敵さんが上に凌ごうとしたら・・」「したら!」
「右半身に回転して間合いを詰めて、柄頭で顔面を一発」「一発」
「あ・・長剣と一緒なんだ!」と、ジル少年。
「いつでも敵さんの刃が外側に流れるように捌く」「捌く」
バッティ少年は知恵熱が出そう。
ジルは長剣が持ちたくて、うずうず。
◇ ◇
アルパの町の冒険者ギルド。
「じゃ、この件はベラミーに頼むとするかね」と、おかみさん。
本名ではない。過去を語りたがらないD級シーフの若者だ。剣士でやって行ける腕前だと思うのだが、戦いが嫌いらしい。落武者になった士族の遺児とか何かじゃないか、と彼女は踏んでいる。
若者、言葉少なに一礼だけして、出かける。
入れ違いにギルマスとガストーネ青年が帰って来る。
「災難だったねえ」
「風向き次第じゃ、ことによると出入りに発展しかねん」
「物騒な話かい」
「武装する話だ。手練れに声掛けといてくれ。トスティ家八人殺しは『業界人』の仕事だ」
「間が悪いわね。明日の地協はベーニンゲンが座長でしょ? 午後には発たないと不好ないんじゃないの?」
「ふん、思案橋の関所は侯爵様お金が欲しいんで終日営業だ。おまけにベーニンゲンの町は閉門規制が緩いから、いくらでも融通が利く」
「ゴルドー村は?」
「そもそも門が無いから、ベーニンゲンまで真っ直ぐだ」
「ゴルドーで泊まらなくて、いいの?」
「うーむ」
あそこは畜産が盛んで、地場の黒豚料理が名物だ。カリっと焼いた腸詰を齧ってエールを呷るのを想像して、ギルマス思わず喉を鳴らす。
「午後には発つか」
メッツァナから街道を南に来てミーゼル領へと入ろうとする者は、誰でも最初は関所の通行料に驚いて、西から大回りして北嶺寺社領の山道を行こうか、それともベーニンゲンまで戻ろうか否いっそ旅を諦めようかとか、橋の袂で思案する。結局思案に暮れて日も暮れて、ゴルドー村の宿屋が繁盛する。
◇ ◇
ファルコーネ城。
黒髪弟Aが戦場剣をジル少年に将に手渡さんとする時「ん?」と呟くと、慌てて剣を壁際の垂れ幕蔭に隠す。
入れ違いにヴェルチェリ男爵夫人エステル、一人でやって来る。
「やよ少年少女諸君、武術の稽古を少しお休みして、わたくしのお仕事を手伝って呉れますか?」
黒髪弟Bとバッティ少年が真っ先に良い返事。弟A、ちょろっと戻って来る。
ジル少年、好物のお菓子を食べ損ねたような顔。
皆で二階の廊下を暫く行くと、行き止まりに一室。
「先づ、わたくしと黒髪くん達で入ります。頃合いを見て、ドミニクちゃん、バッティくん、ジルくんの順に間隔を充分置いて入ってきて下さいね。徐々静かに」
最初の三人が入る。
編み物をしていたリッピ夫人、気付いてエステルに微笑む。
引き千切られた耳朶の裂傷が治癒らないので、大きな耳飾りで隠して居る。
「だいぶ編み上がりましたね」
「出来上がったら、わたくしに、最初に優しくして下さったかた・・お名前は存じ上げないけれど・・差し上げたいです」
「ええ」
多分いまは亡きマテアス氏のことだな、と思ってエステル曖昧な相槌を打つ。
ドミニクが静かに入って来て、黒髪兄弟の横に立つ。
エステルに促されて一歩進みでて、レヴェレンツァ。
「この娘はドミニク。時折連れて歩きますのでお見知り置き下さいね」
◇ ◇
アルパの町、市庁舎。税務課を訪ねたジルバ警部が、トスティ家とアルメスオプファー家の課税対象資産台帳を調べている。
あちこちに牧場を所有している。
「これ、相続どうなるんだろうな」と、余計な心配。
領内領外、いろいろ有る。領外・・
「ゴルドーにも有る・・」
領内の方も見返す。
「カインゲルトか・・」
エルテスに向かう街道が山中に入る手前辺りだ。ほとんと森の中のような場所。
警部、なぜか妙に気になる。




