13.未亡人、昔語る
馬車で速。
工房街の外れは、御屋敷町には不可及いが裕福めな市民の住宅街。
北区との境には旧城壁と言っても、貧民街の軒がひしめく向こうの低地から、切り立った擁壁が通行を阻んでいるだけなのだが法肩には狭間壁が聢り残っているし、一つしか無い木戸も城門よろしく厳いもので、上と下は差し詰天国と地獄といった様相。
「ここいらに停めて、あとは歩いて近づこ・・ましょう」
いるいる、棒持った若い連中。
あれ、夜警さんに説教喰らってるわ。解散だ。杏子より梅が安値って奴じゃん。
「あの夜警に化けてんの、ニクラウスさんだぜ」
なんだ、市警がもう手を打ってたよ。あとは次男坊捜索だ。
「あんたらも来たのか」と、曹長が目敏い。
「ご子息殿がこちらへ向かったとの情報で、探索中であります」にゃ
「了解だ、発見したら保護する」
夜警の斧矛で方位をざっと指し示しながら、
「松明行列は帰投、寺町方面は鎮静化。こちらの徒党も無力化に成功した。しかし俺惟うに、貴様ら今は捜索より自分らの安全を優先すべきだ。ボルサのお嬢さんも一緒なら尚のこと。今夜はどうも今一丁キナ臭い。まだある。気をつけろ。ただの勘だが」
「聞き耳立てて一と探索したら、安全第一で撤収するであります」にゃ
ニクラウス曹長が敬礼っぽく手を振って、闇に消える。
「どうやら徒弟の徒党とっとと無事に帰ったにゃん」
猫の耳がぴくぴく。眉毛とヒゲも動いてる。
「猫さん、お兄ちゃんの気配は?」
「待つにゃ・・」
「・・待つにゃ」
眉毛とヒゲがピンと立つ。倍も大きく刮目。尻尾が膨らんで硬直。総毛が見る見る立っていく。
「来る・・」にゃ
「『あれ』が、か?」
「みんな、絶対に口を開かないで。いい? 来たら、静かにお辞儀よ」
一片の月。地平に近く、西の城壁に半ば懸かり、少し小高いこの場所からは、道筋沿いの家々の谷間の底に沈みつつ有る。路上の闇から別れ出た影が長く長く拖く。
目の前に。
長い黒髪の、見覚えのある女だった。
クリス、道を譲るかのように少し脇へ寄ってお辞儀。残り三人これに倣う。
月影の中、黒衣の女が通り過ぎていく。
女、ふと歩みを止めて、猿に目を遣る。服を見る。猿の額に汗が滲む。
ゆっくりと視線を移し、
「そこなボルサの孫娘、お前の讐が今日死んだ」
そう言い置くと、闇の中に消えて行った。
一頻り沈黙が続いたあと、四人申し合わせたように地面に凹り込む。
「どうしよう、俺もう着替えが無え」と、お猿。
「はあ」と、クリス。「だんだん快感に・・」
「おれだけ無事にゃ。猫は最初から下半身裸にゃ」
「皆さん、どうぞ我が家へ。四人の秘密にしましょう」
前屈み、少々変な姿勢で馬車へと向かう。
猫に今少し精神的余裕が残っていたなら、遠からぬ場所で匍匐前進しているルッカ・スパダネーロの音を捕捉できていただろうが、残念ながら今回も行き違いに終わった。
☆ ☆
「あれは誰だったのですか?」と、ボルサの娘。
「この町の誰もが知っているけれど、誰だかは誰も知らないひとよ、きっと」
「名前を呼んだら来ちゃうといけない、知らない方がいい誰かにゃ」
「誰かを殺してきた帰りでしょうか」
「大方あんたの祖父ちゃんを殺った犯人をだろうよ、知らねぇけどさ」
「多分そね」
下半身裸になって着替えている者のうち二名ほど結構な美人の部類に入る若い女性がいるが、誰もまったく気にしないほど、まだ恐怖心の方が支配的であった。
「まあ、もうニクラウスさんとの会話とかで気付いていると思うけから明かしますねー。あたしら、スパダネーロ家の手の者で、市警とは顔見知り程度。あっち関係者じゃありません。目的はルッカ坊ちゃんの保護。明日たぶんラストチャンスの接触を図ります。ぶっちゃけ、協力してください」
「はい、わたしはルキア。名前まで似てますが、マジで異母妹とかじゃありません。二歳の子持ち二十二歳後家で、お兄ちゃんには本気で『愛人にして』と頼みましたが断られました。そんなんじゃなくても養ってやるって。年齢的にはおっさんだけど、結構いい男なんですよ」
「うらなりって聞いてんだけどなー」
「まあ確かに、そういう雰囲気もありますね」
よかったー。あたしの方が年下だー、とか安心しつつ、
「明日の計画とか打ち合わせる前に、差支えなかったら聞かせてもらいないでしょうか、その・・何故そんなに坊ちゃんがボルサ家に肩入れするのかを」
「ご尤もな疑問です。昔の話になりますので、母に説明させましょう。ただーー」
「ただ?」
「母の昔語りには古い恨みや忿りのせいか、ときには少し常識で信じがたい話が混じります。そんな時にはどうか、頭から否定しないで上手に聞き出して頂けないでしょうか」
「心得たにゃ」
☆ ☆
「眠気払いになる薬草茶が有りますのよ。淹れましょう。少々退屈な話になるかも知れませんので」と、お母上。
「あの事件が起こったのは、この子の生まれる少し前、この子の兄が六歳の春。ちょうど今時分の事でした。私は夫と正しい婚姻が許されず、息子も良家の子弟から爪弾きにされる身の上だったのです。そんな中で、息子をいつも庇ってくれたのは此の辺の浮浪児の頭目、と言っても十一歳の少年ですが、今でもよく思い出します。優しい子でした」
「・・でした?」
「誘拐されたのです。彼も、その仲間も、そして息子も。忘れもしない二十四年前の春三月は二日金曜日のことです」
「おい」
「誘拐事件にゃ」
「三月二日金曜日って、なんだそりゃあ!」
「お猿、どうしたの?」
「今回の大量誘拐事件だよ。先週の今日から始まってんだよ」
「先週の今日って、三月一日木曜日だよねー、何これ」
「やっぱ黒・・魔術けぇ?」
「あの人は、そう言っていました」
「旦那さん?」
「いいえ、私たち夫婦に接触してきたダークエルフの魔法使いです」
「ダークエルフ! やっぱり実在したのっ!」
「正真正銘の本物でした。敵の刺客に脳天から真っ二つに割られて死んだのに、言われたとおり生おしっこ掛けたら見る見るうちに傷が塞がって生き返ったんです!」
「なーんかその魔法、イヤ」
「奥さん掛けたの?」
「いえ、ルカくんです。言いつけ守らず男性の掛けたから傷跡が残ったって、ダークエルフに随分ブチブチ言われました」
「変態エルフかにゃ」
「そーいう魔法なら・・仕方ないんじゃないの?」
「緑がかった黒髪の軽薄そうな痩せっぽち若造なのに七十何歳とか名乗ってて、絶対インチキ詐欺師だと思ってたんですけど、本物でした。だから、敵は攫った子供達を黒魔術の生贄に使ったんだって、彼の説明も信用できます」
「敵って?」
「有耶無耶です」
「なんですかー、それ!」
「父親とは名乗れない夫が、いつものように息子の姿を遠目で見守っていた目の前で、子供達が誘拐されました。攫ったガレッティ家に単身乗り込んだのは迂闊というか、自分も有力者の跡取り息子という傲りがあったんだと思います。裏社会も牛耳る大物達との格の差に気づきもせず」
「つまり黒魔術に関わったのは、市政を表から裏から支配する大物達ですかー」
「いいえ、彼らの不良息子達十六、七歳です」
「急にスケール小さくなったにゃ」
「親も、庇う親に見放す親、遠目で見てるだけの親と人それぞれ、本人達も暴走する者や嫌々従う者、そしてルカくんみたいに造反する者もいたんで、有耶無耶です」
「黒魔術や殺人が有耶無耶になって良いわけないじゃないですかー」
「それが、異端審問とかキナ臭くなり始めたんで、伯爵様が全て圧殺して箝口令を敷いたんです。町一番の大物ガレッティ家が文字通りそっくり全部消えました。不良息子達は家督を継ぐ線が消え、実際に何人かほんとに消えました。みんなそれぞれ報いを受けた感じです」
「おっかねえな」
「伯爵家の暗部でも動いたかにゃ」
「あのとき誰が何をどうしたのか、ほとんど解らぬままですが、一方的被害者で三人消えた当家の得た教訓は『詮索無用』です。でも今またルカくんにまで危機が迫るなら、こんな残り滓のような家など塵と消えようと喜んで費えに致しましょう」
「あのー、ルッカ坊ちゃん当時十六歳って・・」
「すいません私がやりました」
「あー。はいはい」 (じいちゃん、ひ孫いたよ)
☆ ☆
「じゃ、明日の夜明け、あたしはお坊さまと接触」
「おれは朝の一番ギルドで様子を探ってから猿に合流するにゃ」
「それじゃあ俺は、ルキアの嬢ちゃんと連合会館近くに馬車で待機だ」
「ってことで、明日はシリ・・キュリだけ別班で、先にじじいと合流しててにゃ」
・・と、ボルサ家で寝床に就いたものの
薬草茶が不可かった。眠れないわー
夜半の月でも見るか、って先刻沈んでたわ。
なんであたし、そわそわ通りに出てきちゃったんだろ此んな夜更けに馬鹿じゃない?
「やあ」
やあ! って誰よ! また着替えさせる気?
「おれ」と、暗闇の中から。
「おれって誰?」
夜目に慣れたか、だんだん小柄な姿が見えてくる。
「ギルドの おつかい小ぞう。なんどか あってる。 でしょ?」
「だっけ?」 ちょっと年嵩の浮浪児ふう。黒髪弟くんらより二つ三つ下? そう言えば見たような、見ないような。
「あした 野じゅくは不吉。 あさって おしろは不吉 当たるうらないだって」
「何それ」
「つたえたよ」
「なに? 誰からの伝言?」
行ってしまった。
! って、夢か!
危ないとこだった。このうえ、おねしょん娘とか噂立ったら生きていけないもん。
「明日の約束あるし」
用事済ませて就寝。
☆ ☆
《三月九日金曜、早朝》
「おはようファイケス君」
もう身支度済ませて、勤勉なやつだ。
「おはよう、うんこ猫いうな尻娘。寝小便はたくさん出たか?」
「いや、ちゃんと夜中に目が覚めて危機は脱したなー」
「実はおれ、・・したにゃん」
正直な奴だった。
「魔女こわいにゃん」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。今日も頑張ろうね。
ちょっと可愛くなったので、頭撫でてやる。
服はルキアさんのを借りて町娘風。猫の心尽し「名刀ちんちん丸」と愛用の防刃コルセットだけ使い回す。アンダーバストまでのアウターの見た目お洒落なやつ。これで持ち上げとけば破壊力天下無双だよ。いや、本来の使用目的じゃないけどー。
あっと、特製ポシェット忘れるとこだった。スカートとエプロンの間に着ける、薄くてポケットいっぱい付いてるやつ。ちょっとだけど防刃効果もあるんだよ。
お猿たちは寝かしといてやって、ギルド前の広場まで猫と一緒に行く。
カイウスの宿の前で別れる。
☆ ☆
二階に上がると話し声。
お坊さまの部屋に行ったら驚いた。黒髪三兄弟がドレスアップしてる。
三人揃い、黒髪と同じき黒の縁無帽、斜に被って緋の羽飾り。腰のサッシュの猩々緋が帽子飾りと色揃い。黒のショースは同色片身替りの生地違い、膝まで届く異国情緒の黒長靴。今様のウェスト絞った革ダブレーは色が地味目の黒柿色の縦横に走るスリット越しに白絹と錦糸銀糸の襲が覗く。おいおい、お貴族さん?
「はいよっほー、おねいさん」「はいよっほー」
中身はおんなじだった。
「朝一番で公文書館。案内してくれる?」と、黒髪兄。
しまったパンツ穿いてない。




