275. 憂鬱な一人息子
《三月二十一日、日没後》
プフスの町、役所街のギルド。ラミウス組が出掛け支度だ。
今月、ラミウス組の収入が甚いことになっている。
新入り二人は別として、八人がプロ傭兵並みの日当半両を稼いでいるのだ。更に副長が傭兵でいうトリペル、即ち下士官並みの一両半。頭のラミウスがクワドル。士官俸給並の二両という計算である。
つまりラミウスに至っては従者付きの騎士くらい稼いでいる。
勿論、これは『夜と霧の森』に入り込むという特殊任務と口止め料が加味された契約なのだが、実は此のところ毎日演習くらいしか為ていない。だが堂々ギルドの冒険者では稼ぎ頭である。
まぁ、契約はチーム単位で一日八両という物なので上記は契約金額の算出根拠に過ぎないが、配分されて凄まじい速度で冒険者実績が加算されている。
因みに、半両は貧乏家族の月収くらい。ギルドの昼飯なら四十八人前だ。
「ラミウス、そろそろ親方昇格試験の立ち会い人が揃うが、コンディションの方は如何だ?」
「いい具合です」
日中はロドルフォを相手に鍛錬を欠かしていないし、月の出前の闇夜には部下と組手をして、勘が一層研ぎ澄まされたという自負もある。
「お相手くださるのは何方です?」
「ふふふ、まだ内緒」
ミランダ、嬉しそうな顔。
◇ ◇
ミーゼル領アルパの町。
陽が落ちて空に月が無いので、家々の足元灯の光を頼りにディートリヒ・ガイツィガーは歩いていた。
最近なんだか夜は物騒で外出は嫌なのだが、エーファちゃんにお手当を渡さんと不可ん。
「ちょっと顔を出さんと、また若い男が出入りし始めるしな」
今週は未だ金貨一枚分しか『ちょろまかし』ておらんが、あんまり間を空けたら不好いのだ。
この間みたいなのは嫌だ。
よりによって、息子と鉢合わせしてしまった。
お互い気まずいの何のって、家に帰って二人揃って女房から目を逸らした。
「やれやれ」
その時、暗がりから人影が現れて、目から火が出た。
尻餅を搗く。
・・ああ、なんだか土がひんやりして気持ちがいいわぁ。
徴税請負人ディータ、そのまま蛙のような格好で仰向けに寝る。
彼の不運は、その後に無灯火でやって来た馬車に轢かれたことだった。
今夜が初めて『夜道一発屋』被害者で死人が出たケースだったが、悪質轢き逃げ事件として処理されて、怪傑の被害にはカウントされずに解決した。
後日の話だが。
◇ ◇
アルパの冒険者ギルド。
D級賭博師ジェスが、目下プフスに草鞋を脱いでいるフォリントという冒険者の『村人』D級とカルタで遊んでいる。
ジェス、既に銀貨にして二銖ほど負けている。鶏が四羽買える金だ。
十二銖で半両。
これは一丁前の傭兵が、殉職も有りを承知で仕事を請ける日当の相場だ。
これを基本にして、足軽雑兵の類は三人で一人前とか、四人で一人前とか言った格付けがある。彼らは強敵に遭遇したら逃げても恥にはならない。しかし一丁前の傭兵だと違う。
往古の部族戦士時代の名残りなのだろう。強い相手と戦って負けて降伏するのは戦の常であるが、逃亡したものには悪名が付いて回る。仕舞いには、傭兵であった過去を隠して生きることになる。
男の掟である。
そんな男の掟と無関係に、ジェスの負け分が、いま四人で一人前の足軽ほどまで嵩んだ。
「うぐぐぐぐぅ・・」
「なんでプフスから来る連中は、揃いも揃って博打が強いんだぇ」
「いや、俺も只の『村人』だし、そんなに賭け事に強ぇ訳でも無かったんだがな、最近なんか振っ切れたって言うかさ・・」
「吹っ切れた?」
「いや、振り切れた。俺ぁつい最近、妙に迫力のある破戒僧みたいなお人を相手にボロ負けしてな、んで、其処から立て続けに妙に綺麗な姉ちゃんにまた尻の毛まで毟られてな・・その翌日に、年端も行かねぇ小娘に負けた。連戦負けるだけ負けて其したら何か見えた気がしたんだ」
「何が?」
「ゆらゆらした水の底に、親父の禿頭でも無ぇ、烏賊の金玉でも無ぇ、何か光ってキラリと見えた気がした。そしたら朝で目が醒めた」
「なんでぇ。夢か」
「だがそれ以来、賭け事してて負けて無ぇ」
「本当か?」
「誓って本当だ。只の『村人』ってとこ以外は」
「そう言やぁ、なんで村人になったんだ?」
「要するに俺ゃあ、ぎりぎり告訴される前に和解して、前科者扱いじゃない扱いで冒険者に合格したけど、職種は『悪党』だったんだよ。だけどD級に昇格した時ゃギルマスが代わってて、Villainがびんぼな村人のことだと云うことにして『農民』って認識票を発行したのさ」
「おいおい、『悪党』なんて職種は無ぇぞ」とギルマス。
「だから、俺ゃ傷害事件を起こした時に十歳だったから、訴えられそうになったのは親父なんだ。で、ギルマスに預けられた。だから五年間『悪党』って、ていうか『悪童』かな。そんな名札付けられてたのが罰なんだよ」
「つまり『世の中ぁ広い』って話か」
「そうだな・・っと、上がり!」
「ぐわっ」
◇ ◇
プフス城南。聖ジェローム院のグランギア外れの空き地。
月が登る前、星明かりだけの下で相掛かりの稽古だ。
カルル少年を含め、今日は四人で大将に挑む。
柄物は短い棒の先に固く巻いた革製の筒を継ぎ足した棒だ。ギルドの用具室には色々面白い物がある。是れなら相当強く叩かれてもちょっと腫れる程度だ。
星明かりだけだと地上は真っ暗。頼りは音だ。みな足音を殺しているが、小石を踏むと僅かに音がする。
「始め」と、大将の声。
まぁ、もう其処には居るまい。
街の灯と逆の方に移動する事にする。
大将の姿が灯を横切るのが見えるかも知れない。
その時、かさりと音がする。足元に下草が生えていたのだ。
覿面に、大将の棒が風を切る音。平蜘蛛のように姿勢を低くして避け、逆に打ち込む。
だが、逆に横面を強か打たれた。
「あたぁ」
練習用の面頬を着けていなかったら酷かったろう。
膝をついて戦線離脱する。
俺を打ったときの気合いの呼吸を捉えて、先輩たちが大将に打ち込む。
・・ああ、だが此れは気配で分かるぞ。返り討ちに遭っている。
その時、東の山の端から宵月の光が射して来る。
「暗闇稽古は此処まで」と、大将の声。
◇ ◇
アルパの町。
屋敷街の外れか下町の上か微妙な辺り。
屋敷というには小さいが、民家というには上等な家。
ベッドにアーノルト・ガイツィガーがいる。寝床の中がもぞもぞ動く。
「エーファちゃん、ストップ。ストップ」
床の中から十七、八の娘が出てくる。
「んー・・じゃ、続き行くね!」
上に乗って来る。
長々と接吻。
「今夜あたり、また親父が来そうで落ち着かないな」
「そう? 私は亭主が帰って来そうで落ち着かないわ」
何だか虫が知らせる物が有るようだ。
そうは言っても止めないが。
結構大きな声を出してひと段落。
「うちの亭主、裏の事業が気付かれてないと思って、ちょっと調子に乗ってるわ。見逃してもらってるのに」
「うーん、彼って・・お歳の割に軽いんだよね、ちょっと」
「いいとこの生まれで苦労知らないんだもん。私の内助の功も知らないでさ」
「ちょっと釘刺す?」
「その方がいいわね。気を良くしてる時が一番よく躓くんだから」
「君は良妻だなあ」
「そう言ってくれるのはアルノだけよ」
「あ〜あ、おれ・・徴税請負人を継ぎたくないなぁ。町の嫌われ者だもの」
「継がなきゃ、ほかの人が地盤を持ってくだけよ」
「冒険者にでもなって、稼ぎが無いから君の愛人にして貰おうかなあ」
「私がパパからお手当貰って、あなたに貢ぐわけ? 直接貰えば良いじゃない」
残念なことに。パパは現在轢死体である。