274. 憂鬱な黒騎士またまた
《三月二十一日、夕刻》
ファルコーネ城。
「兎も角、極秘事項の様である。お二人の口が固いことを知った上で打ち明けた。奥の僚友として信用してをる故でもある」
「クラウス様にそう言われちゃ、滅多な事は出来ませんね」と、応えるサンジェも殊勝な顔。
「にゃ。それ以前に意味が全然わからないのにゃ」
「一緒に考えてほしいと申した迄である」
「しかし、クラウス様には鴉の言葉がお分かりになるんで?」
「分からぬから意見を聞いたのである。人は鴉の言葉など分からぬものよ。常識で判断くだされ」
「一寸待ってくんなさい。卿はあの大鴉が『レオン生きてた。クリスに言うな』と言った事は分かって、その言葉の意味が分からんと仰るんですよね?」
「如何左様」
「猫でも鴉の言葉など分からぬのにゃ」
「鴉の言葉に非らず。那の大鴉は祖母上の飼い慣らしたものゆへ、口伝てに短い言葉など覚えて飛来するのである」
「かぁかぁ鳴いてるだけの様な・・」
「一部の鴉は、人の発した言葉を音で模して覚えるのだ。身共や姉上などは幼少の砌より祖母上の飼い慣らした鴉の鳴き声を聞いて育ったので、聞き分ける」
「んで、あれが卿のおばあ様が飛ばした伝言鴉って訳ですかい」
「お嬢に内緒って事ぁ判ったにゃ」
◇ ◇
ミーゼル領アルパの町。
腕前も装備も貧弱だが数だけは矢鱈に多いミーゼル侯の軍兵達。ちゃんと治安の維持に役立っている。
だが彼らが兵舎に戻ってしまう日没が迫る。
冒険者たち出勤の時刻である。
夜の番を雇うような余裕があるのは大概が徴税請負人だ。しかし金を使うことに罪悪感を持っている様な此の土地の連中に、冒険者をパーティ単位で雇ったりする者は滅多におらぬ。
其処までする程に現実的な脅威を感じている者なら、プフスやアグリッパの様な大きな町まで行って傭兵を雇うのだ。流石に金貨より命が大事だから。実際にもと傭兵だった冒険者等もいるが、そちらの肩書きを使わないと言うことは色々推して知るべし。
厳重不寝番をして家族皆を守る契約ならば、傭兵並みとは言わないけれど結構いい稼ぎになる。
体格の良い男が家族と同じ棟に寝泊まりするだけなら、それなりの給金。つまり仕事をしなくて良い下男と同じだ。ならば夜に泥の様に眠るほど下男を働かせねば良いと思うのだが、そのくらい働かせないと損だと考えるのが此の土地の人間。
それで冒険者を雇うのでは本末転倒しているような気がする。
ギルドの広間には、仕事にあぶれた冒険者が数人。
「今日も儲け無しかよぅ」
D級賭博師ジェスが力なく項垂れる。
「なんだ、今日も負けたのかい?」と、厨房のヒンツ。
ジェス、上目遣いに向かいの余所者を見て呟く。
「あんたも本職のギャンブラーじゃあ・・あるまいな?」
「まさか」と笑う余所者、冒険者の認識票を見せる。『村人(D)フォリント』と彫られている。
「なんだ、こりゃあ」
◇ ◇
プフスの町、役所街のギルド二階。
カルル少年が輾転反側している。一度は寝られたのだが。小窓から差し込む光は既う夕刻の色。陽が落ちたらば教練だ。
少々興奮が冷め遣らぬ。
皆は未だ寝ている。
階下。
裸の男がもじもじしている。
「早くやりたいですか?」と、ユリアナ嬢。
「残念ながら私はまだ仕事中ですので、少し待ってて下さいね」
大広間は、仕事帰りの探索者と冒険者で混み始めている。窓口も一日の最繁忙期へと入る。
「よう。今日はせめてマントが取り返せるといいな」と、東帝国人らしき男。
アルタヴィラ付近の山中で亡きラーテンロット王国の隠し財宝が見つかった話は当然ここでも大きな反響を呼んでいる。実際に現地へ向かったらしい人もいるが、どうせエリツェ経由だ。町で遊んでしまうに違いない。
何せ、探索者ギルドを訪ねるという入市の裏技が知識として広まったので、評判の遊郭行きに心躍らせている者は少なくない。
問題は、先立つ物であるが。
例え掘り尽くされておらずとも、現地は既う伯爵家の警備員が固めて居って近付くことも儘なるまいと、皆が皆な最初から諦めている節がある。
実際は誰も番をしていないのだが。
◇ ◇
アルパの冒険者ギルド。
「こりゃ、呆れたな」と、ギルマス。
「正真正銘、本物の認識票だが『村人』なんて職種は無ぇぞ」
「珍品だぜ。この認識票、値が付くかも知れない」
「まさか、付かんだろ」と、おかみさんが笑う。
「いや、分からんぜ。『汝、姦淫せよ』って誤写した聖典を何処ぞの好事家が大枚叩いて買ったって噂だ」
「世に馬鹿者の種は尽きまじ、か」
「しかし、徴税請負人が挙って自宅に夜警を雇うとか、恨まれてんだね」と嘲笑う様に『村人』。
「本当に恨まれてんなら傭兵雇うさ。あれは町に住んでる徴税請負人の奥様連中が『宅だけ誰も雇わないじゃ面子が立ちません』とか旦那に責付いて横並びになって居るだけさ。実際に被害なんぞ出とらん」
「あら、出てるわよ。あなた全然見てないのね」と、おかみさん。
最近、徴税請負人が夜道で一発殴られる事件が続発しているのだ。物盗り被害は一切無く、明らかに怨恨か愉快犯である。
「見とるわい。そりゃ、今評判の『夜道一発屋』の事だろ? うちの冒険者たちがガードしとるのは家にいる家族だから、被害の勘定に入れとらんだけだ」
みるとこは見ているようだ。
いや、本人のガードは冒険者ギルドでは受け手が無いのだから、侯爵の兵隊達が帰営してしまう日没後の外出は当然自己責任である。殴られる方が悪いのだ。まぁ足腰立たないまで殴られてる訳でもなし「よその女の所にでも顔出したんだろ」と嗤われるだけで、誰も同情しない。
「噂の『夜道一発屋』か。一体どこの誰なんだろうねえ」
「おかみさん、『誰』はともかく『どこの』は無ぇぜぇ。閉門後のこの町で夜道に一発だ。この町の者に決まってらぁ」と、仕事にあぶれた男。
「まぁ『探せ』って仕事の募集が来たっても、俺ぁ貧乏してても受けねぇけどな」
「違いない」と、ほかの男ら。
徴税請負人に小銭貰って町の衆の誰かをお縄にしたじゃ、爾後この町の冒険者は飯食うのが侭なるまい。
それを知ってか知らずか、捕縛依頼を出す徴税請負人も無い。
町の警備当局さえ真面目に捕らえる気のない怪傑であった。
◇ ◇
ファルコーネ城。
「クラウスさま」
クリスが黒髪娘クラリーチェを伴ない、やって来る。
「先日マッサの大奥様からご指摘を受けた点、此の城の常備戦力に就いてですが、黒髪ちゃんに心当たりがございます」
必死に正装に似合った喋り方を頑張っている彼女だが、迂闊り『ちゃん』付けで蹉跌している。
「それでは、わたくし自り申し上げます。プフスに上手い具合に仕上がりつつある1個分隊相当の冒険者有り、集団戦に特化した珍しいチームです。此を傭兵集団に仕立ててスカウトしては何如と伺います。
「彼処で1個分隊相当とは、ラミウス殿の一団であるか? 其れならば身共は何も異存ござらぬ」
「それが、義姉上様がラミウス殿への親方株授与に義兄さまの立ち会いを御所望で御座ります」
「その立ち会いであるが姉上のこと。立って見て居れば良い立ち会いに非る可し。
迂闊行けば『立ち合い』が待って居らう」
「御明察」
「さぼります?」と、クリス。
「残念乍既う大刀自様の御使者に聞かれた。逃げも叶うまい」
「?」
クリス、意味が分からない。
「明朝の葬儀に出席た足でひと駆けすれば宵の口には帰れよう。去来諸共に参らん乎」
「え? あたしも?」
「恐らく本当の『立ち会い人』の頭数も期待されて居ろう程に」
窓辺に居た大鴉が飛び立つ。