3.館主惧怕して兄弟立つの事
所変わって陽光長閑な領東南部牧草地ただ中の館。眉根に皺寄せた初老の男が一人。彼の一家の生命と財産に深刻な一大危機が訪れていた。
時は少しく遡って、同日の正午少し前のことである。
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政情不安の隣国から流れてきた無頼漢の集団が、つい先日近隣ーー十里と少し可り西の廃荘園ーーの若夫婦の館を襲撃掠奪した。若主人以下、無残な骸を此の目で見た。楚々とした夫人も快活だった若い女中も杳として行方が知れぬ。
明日の我が身は如何? 年頃の娘がいる。
貪婪な集権志向の伯爵家に屈服した小領主達で、そのまま封臣として抱えられた者は稀有。荘司として残れた者も十人に一人。多くは固有世襲領を丸ごと献上し伯爵家の侍臣、つまり郎党衆同然の境遇となった。
さもなくば、封臣全て奪われ生涯剣を執らぬと誓約させられ、帰農でもするしかない。
伯爵家はそうやって小領主層を食い散らし、取り上げた土地を小作自由民に封与して信奉者を増やし、強烈な地方軍閥に成長して来た。せっかく小作人供、地代さえ納めておれば其れ丈で済む自由人の身分だったを、目先の餌に惑わされ子々孫々にまで兵役義務を背負い込みおって愚物共め。
旧帝国の瓦解で北の王国に切り取られた嶺南地方では、いち早く王国に帰順して急速に擡頭したのがパルミジエリ伯爵家。外様ゆえ伯爵職という地方長官程度の格に甘んじているが、実態は国王直臣の諸侯である。国境地帯で何時までも叛服不確な中小領主を次々呑併整理していく伯爵家の強かさを辺境の守りと恃んでは、歴代国王はその横暴を黙認してきた。結局のところ嶺南の領主達は、伯爵と鎬を削る西の谷の怪物共のみ残し、悉く皆な食われた。
食われた残り滓でも「館主」と奉られる地元の名士である。痩せても枯れても参審自由人身分。二十数里に及ぶ先祖代々からの世襲領を持つ、押しも押されもせぬ騎士だ。
いや、押され押されて痩せ枯れた騎士だった。
剣を奪われ家臣を盗られて庇護は無い。金だけ有って丸腰だ。
無頼漢集団の好餌である。
紛雑という時、荘司の民兵も村役人の自警団も手は貸してくれぬ。伯爵の庇護下にある彼らに何かあれば、城から侍たちが駆けつける。此ちらには来ない。
三里以上三十里未満の世襲領に相続人曠缺が生ずれば、当地に裁判権を持つ伯爵に帰属と相成るのが定法。要は、相続人共々この世から消滅したくなくば、土地をもっと差し出せと云うことだ。飢虎の苛虐しきも斯くや。
彼が天を仰いだ時も其のとき、まさに白昼堂々と十に余る騎馬の群れが館の向かって来る。心の臓が凍り付く。甲冑こそ着けていないが、揃いの綿入刺縫頭巾と胴衣で兵隊崩れの徒党と判る。
難なく外の門扉が蹴破られ、中庭で作男の昼食に豆の羹を大鍋で煮ていた料理女の金切り声が響く。慌てて物陰に隠れようとする者、その場で竦み上がる者、頭だけ隠す者。既に地獄だった。
雑穀を天日に曝していた筵を蹴散らし、馬を降りた先頭数人が前庭を横切り玄関に向かう。娘と娘付き女中が屋根裏部屋に逃げ込んで梯路を畳み上げる音が聞こえる。
大広間に押し入って来たのは帯剣した五人ほど。一階から各部屋に通じる戸口を一瞥する。そして吹き抜けの二階に上がる大階段を目で辿り、回廊から通じる各部屋の間取りに当たりを付ける。
闖入して来た五人の視線が上に向いた其の時、足許に踞っていた使用人たちのうち二人が突然疾風の如くに動いた。一人は手近にあった薪で、もう一人は素手で其々二人づつ叩きのめす。残る一人は掃除婦に、手にした箒の柄で強かに喉元を突かれて昏倒した。
まさに瞬きの間だった。
使用人の形りをした黒髪二人は童顔の少年、掃除婦はその僅か歳上と見える若い娘。抜刀もせぬうち倒れた五人の腰から素早く武器を奪う。
表の扉が勢い良く開いた。
闖入者の加勢が踏み込んで来ると思いきやーー
悠然と入ってきたのは一人の青年。涼しい声で、
「怪我、ないよな?」
掃除婦姿の娘が黙って掌を左右に揚げると、両側から二人の掌が上から溌っと叩く。
青年が娘に歩み寄って小鳥の様な接吻をした。
前庭には、残りの闖入者八人が悶絶していた。
館の主人が大階段を駆け下りて口角泡を飛ばさん許りの勢で礼を陳べる。
館主の娘が階上で同年輩の若い女中と抱き合って未だ震えている。
青年、良く通る声で、
「連中、足腰立たないけど息はある。館の皆んな総出で縛り上げて簀巻きにして荷馬車にでも積んでくれる?」
黒髪少年の一人が青年に耳打ちして、
「姉さんに喉突かれたやつ、頸骨イッてて駄目かも」
「不殺に拘って自分が怪我したら馬鹿だよ。お前ら兎に角自分第一にして躊躇うな。」
青年が諭す。
漸く落ち着きを取り戻した館主が、
「事に当たって躊躇しないのが肝心と儂も学んだよ。隣家の悲惨を見てギルドに駆け込んで、強さ一番と貴ン方らを紹介して貰ったとき、弛んだり惜しんだりしてたら、儂はいま死体だ。有難う、有難う」
「いえ、此いつら頭数だけで、実戦は疎ろか教練も受けてないゴミ部隊だから楽勝しただけ 。お隣さんを検分して太刀筋とかで判ってた」
「謙虚ですなあ一流のお人は!」
横から掃除婦姿の娘が、脱いだ頭巾で手を拭いながら、
「兵士はいくさのプロです。たかが傭兵だった父でも、そういうプライドを持っていました。でも、這奴らは民衆を脅したり虐げたりする為だけに編成された治安維持部隊の成れの果て。武技も磨かず弱い者を苛めるしか能が無い愚連隊。積んできた悪業の報いを受ける時です」と、流れる黒髪を掻き上げる。
「護衛契約の埒内で、お隣さんの生存者についても訊問してみるよ」
前庭へと歩み去る青年が、
「今日の連中は特に最弱の部類だ。こんなのばかり相手にしててゲルダン(Guerrdini)の兵隊共を舐め始めちゃ駄目だよ。お前らが怪我したら俺が傭兵団辞めた甲斐がない」
そう言いつつ義弟たちの頭を愛おしそうに両脇下に掻抱いた。
そんな姿を微笑んで見ている傭兵娘の背中に、少しお腹の大きくなった使用人の若妻が抱きつく。四人に服を貸していた夫婦者の使用人の片割れだ。目元潤ませて黙って抱き締め、頬ずりし、何度も接吻する。娘も黙って、若妻の二の腕あたりを掌で軽く叩いて返事に代えた。
そろそろ家事仕事の辛くなってきた使用人の若妻に代って、ここ二週間ばかり、傭兵娘は掃除やら洗濯やら人一倍働いていた。弟二人は意外にも料理上手で、厨房働きが出来るし給仕係とかもお手の物。大貴族の館で長々とお小姓に扮していた経験もあるし、結構どんな役柄でもこなす。長兄は農作業だと不慣れが人目に付くので、身の置き場に一番苦労していた。
手強い野盗は下見が入念だ。
だから護衛はこれ見よがしに目立つか、見えないか。二つに一つ。
今回の敵が練度の低い脱走兵集団と目星が付いていても、黒髪の彼らは妥協しなかった。徹底して館の下人として勤勉に陽気に暮らした。
そんな彼らが、日々襲撃の不安に押し潰されていた本物の下人たちにとって、どれだけ支えになっていたか、今見れば解る。若妻は傭兵娘に抱きつき、男三人も庭で皆に揉みくちゃにされていた。
◇ ◇
世に傭兵ギルドと謂うものは滅多に無い。何故って、傭兵団とは百人・千人単位で諸国大名が雇うものだ。カルテルなど作られたら雇う側が堪らない。談合した傭兵団同士に誰も死なない戦争ショーをずるずる続けられては困る。傭兵側にしても、組合など作るより合併して兵団を大きくするのを好む。
しかし傭兵団長が兵隊を補充するのと同じ方法で、諸侯から直接委託を受けてフリーランス騎士や歩兵を掻き集めてくる口入れ屋の類は、公然と存在する。そして寡なからずその母体が傭兵団の闇カルテルだったりするのだが。
この場に公爵様とか居ないので、歯に絹着せずに言って了おう。カルテルが副業として始めたのが、引退老兵や傷痍除隊者等の為に危険度の低い小口案件の斡旋する業務だ。小売ルートを持たぬ彼らは、各地の探索者ギルドに提携を持ちかけた。探索者ギルド宛に紹介状を書くだけで手数料が入る。阿漕な商売であった。
尤も、貪欲なのは、本業である方の、戦死者遺族に給金を届ける事業費を稼ぎ出し度いが為であるが。
探索者ギルドの側とすれば、従来から隠密偵察技能者が加入していたので、威力偵察くらいまで業務範囲を拡大する程度の心算でいた。
ところが各地の探索者ギルドが、カルテルからの紹介状を持参した元傭兵やフリーランサーを登録して、窓口を訪ねて来た依頼者に紹介する斡旋業務を開始するや、カルテルを介さず直に、名の通った傭兵団の紹介状を携えた除隊者も来る。名乗るだけで戦績の知れる大侍も来る。
登録に金銭不要、誓約だけという探索者ギルドの伝統がよく需要にマッチしたのだ。その結果、夥多の剛の者が「兄弟の危機には剣を執る」と誓約した。馬廻衆連れのバナレット騎士からトラップ構築のプロまで、多岐に渡る傭兵を「兄弟」の誓いで纏めた探索者ギルドは、それ自体もはや侮り難い武装勢力であった。
そして探索者ギルドは元傭兵たちを斡旋した。
身辺警護、守衛、用心棒。
スカウトやテイマーといった特殊技能者だけ扱っていた時代はすでに遠い過去。荒事でも多岐に亘る人材派遣を担う事となったのである。
◇ ◇
この館主が幸運だったのは、最初から大当たりを引いていたこと。
廃兵の小遣い銭稼ぎではない本物が、この町に居たのだ。
ソルディ金貨1枚は死を賭して闘う兵士の1日を慰めるに足る相場。それを館主は1人に1日十枚、4人で四十枚も払うと約束した。つまり十両分銅金2個である。それを、まるまる1月分前払いで六十個。仔豚一匹分くらい重い皮袋から、ごろごろと掴み出して躊躇なく払った。町に中庭付きの家が買える金額だが、愛娘の貞操と一家の命の代価には安いものだ。何事もなく幸せに嫁げば、持参金にはもっと包む。こんな処で小金を惜しむのは馬鹿者だと、そう心底思う。
先日たぶん一家皆殺しの憂き目を見た従甥の相続権に与る可能性も勘定に入れたら、実は逆に大黒字もあり得ぬ事ではない。一番血筋の近い親類は自分に間違いないのだ。奥方の安否次第だ。いや、人の不幸を願うと悪魔が来るから、それは考えまい。御内儀生き残れて居たならば心底親身になって優しくしてやろう。
そう。実は、相場の十倍というのは法外でも何でもない。隊商の護衛に傭兵団と定期契約する大商会の番頭ならば、古参兵が倍の金貨二枚、兵曹長四枚とかいった見積書を見慣れている筈だ。兵団随一の斬込隊長の欄には、八枚とか十枚とか書かれて在ることだろう。だが一方で足軽軽輩の類は2〜4人で1人前の金額なのも相場である。つまり四人組全員に相場の十倍というのが常識外の大盤振舞いだ。だが、金に糸目を付けぬことで自分の真剣さを示したかった。
降伏にて我が剣は奪われたが、生涯非武装の誓約には抜け穴がある。『元』傭兵を雇わぬとも騎士の婿を取らぬとも誓っていない。そして此のまま早めに一件落着となれば前払い報酬の未経過分を日割りで返しに来るだろう。あれは左様いう青年だ。
そしたら受け取る返金はその半分だけと固辞するのだ。
人生万事塞翁が馬だからな。
館主は北叟笑む。 ーー塞翁だけに。
◇ ◇
亦た所変わって街の裏通り。
丘上の伽藍に続く表通りから、脇に入った抜け道の猥雑な一角。昼も薄暗い、倭遅倭遅と曲りくねった急な登り坂途中。間口の狭い鰻の寝床の玄関。
入り口階段に詰めて腰掛けた男三人、フード付きマントの裾から草臥れた軍装が覗く。
「俺たち、何で反乱軍になっちゃったんだ。いつもどおり警備してただけなのに」
「今度の王様だって二、三年さ。我慢してりゃ、じき故国に還れる」
「でも、これ本当に傭兵の仕事なのか? 大商人の私兵って聞いてたのに」
「ああ」
「お屋敷か倉庫かの警備兵かと思ってた」
「遁げて来た負け組にそんなマトモな話って、胡散臭い口入れ屋に期待したのが馬鹿だったよ。どう見てもアレの巣窟だよな、ここ」
「アレな」
「それより先っき来た分隊、あれ強襲部隊だろ。やばくね?」
「あれさ、東の方で『野伏せり』でなんかヤラカしてて兇状持ちだって、奥で誰か言ってたぞ」
「マジヤバじゃん」
「それは話半分としても、マチ中に強襲部隊とか呼び込んで、何させる気だ? クーデターって人数でもなし、不審すぎ」
「不審ってや、中隊長だろ」
「ああ、明らかに。激ヤバい系の人だったよな」
「背後取られたら体が自動反撃する系の激ヤバい業界人な」
「それが一昨日から行方不明って」
「激ヤバ」
「なんか持ち逃げしたとか聞いたぞ」
「もしかして、あの強襲部隊呼んだのって、そういうこと?」
「さあ・・でも、あんな凶獣みたいな戦士階級崩れの中隊長、確実に殺りたきゃ強襲部隊1個分隊呼ぶってのは合点がいく気はする」
「はあ、一体ここ何なんだ? 聞かされてた話と違いすぎ!」
「すげえブラック」
「なあ」
「?」
「逐電ちゃわね? 出すって言った前金も呉れてねぇし、義理なくね?」
「う・・・」
「ここ、転落の予感すんだよ、人としてダメな方向に。晴れて国に帰れない奴な方向に。貧民街に紛れ込んで泥水啜って暮らすより更に酸鼻な行く末が待ってる気がする」
「それ、わかる」
「今なら誰も見ていない」
「今だよな、潮時」
三人、息を殺して静かに立ち上がる。
:扨て時刻は昼下がり、場所は街に戻りましたが、この人々どう事件に絡んできますかは、且く下文の分解をお聴き下さいませ。