164.憂鬱な親戚筋
《三月十三日、まだ昼下がり》
ソロティーヌで開廷中の郡法廷。
黒髪娘の後ろ姿を見送るクリス。
「クラウス様って、黒髪ちゃんこのと『クラリッス』って呼ぶんですねー」
「我ら一族黒髪ばかり多き以『黒髪』では誰か分からぬ」
「いえその・・名前呼びなんで、仲いいのかなーって」
「先日御城の合戦で、身共スレナスのゼノ殿と一騎討すも力及ばず一敗地に見えたれば、臣従せむと申し出た。其の時妹御申さるるに男爵に一度臣従礼を捧ぐれば父の男爵位を嗣ぎ難し御家の家格保ち難しと懇々諄々と説かれ玉ひ身共が翻意を促された」
「あの子、お説教上手ですよねー。あた・・わたくしも常々です」
「さればよと、義兄弟の契りを交わし、ゼノ殿長兄身共が次兄、してクラリッスが義妹である」
「はあ、いつの間にか、そういう人間関係出来てたんですかー」
「ゼノ殿も申された。『万物は流転するものよ、技も力も人の仲も、時と共に移り遷る。剣も三年経ったら互角であろう』と」
「三年ってクラウス様、スレ兄さんより歳上では?」
「否、さに非らず。長兄が四歳年長である」
「えー? スレ兄さん大姫様と同年配でしょ?」
「先日話した斗である。二十四年前の異端戦争で父が北部を転戦して居った砌に生を享けたので名がクラウスと北部風なりと」
「覚えてます。義兄弟みたいな親しい方と、生まれた子供の名前を交換し合うんですよねー」
「それ覚えておって、身共の年齢は?」
「えーっっっ! だってミランダさんが妹さんじゃ・・?」
「あれは姉である」
「えーっっ! だって口髭しぶいし・・」
「申さなんだか? 多少老けて見えた方が武者修行中舐められんで良い、と」
「いや、多少じゃないし」
◇ ◇
少し離れた席。
「あれが女人と親しげに話す姿を見られようとは」
「確かに随分と打ち解けた様子ですね。面識が有るとは聞いていましたが」
「長女に縁談を煩く言ったら出奔されて終うた苦い経験が有ってな。あれも縁談を聞くと瞳に『面倒』という文字が浮かび上がって来そうな顔をする男で、心配しておったのであるが」
「ヴィットリオ殿。是でひと安心ですな」
「初老の騎士が、近くに席を移動して来る。
「アーデルマル殿、いらして御在であったか」
「サルヴァトーレが普請奉行を仰せ付かり、いま能う西谷を離れぬゆえ、側近を急行させた所だが、ベッリーニ姓の者が一人も居らんでは格好が付かんと申してな。
所詮わしも暇の日々じゃし、子供の使いで罷り越した。バートの奴ももレイディと面識があったと聞いたのだが、相手がクラウス卿では仕方ない」
「アーデルバート君も立派に騎士となり、これから良縁は幾らでもござろう。彼は倅と違って社交的だし」
「ん? あなた様は先日の騎士殿。またご縁が御座ったか」と、ラッツアロ。
「おお、そちらが最近嫁がれたお嬢様で在られるか?」
「エステル・ダ・ヴェルチェリと申します」
開廷中なのに立ってレヴェランス。
「某はアーデルマル・フライヘル・ディ・ベッリーニ=ガルデッリと申しまする。独り身でこの歳じゃ。甥に良い嫁、どこかに落ちておらんかのう。今年で二十歳だ。わしの領地も付けるゆえ」
「十八くらいでは育ち過ぎですかしら?」
◇ ◇
黒髪娘、従騎士リコに耳打ちしている。
リコ、明らかに嫌そうな顔。
「なんか企んでますねー」と、クリスも目が良い。
「勝ち過ぎぬように勝つ事は存外難しいものである。何ぞ良策有らば良いが」
「そうですよねー」
「臀・・クリスティーナ殿の思う落とし所が一番良いのだ。財産も奪い過ぎぬ様にして、見える此の地に縛り付け『此処で子孫を残さずに独り此の世を去ったのだ』と衆目明らかにして置かずには、ベッリーニの壱族郎党は断じて納得せざる可し」
「でしょうねー」
「クラリッスが時折闇で葬りたがるが、あれは下策。どこで死んだか分からぬ者は、疑心暗鬼の種に化る」
「仰るとおり」
「御母上の讐の裔は根切りに絶たぬと気が済まぬ。好敵手同士堂々の決闘勝負であるならば和解する事も屢々有るが、現の当主の従妹殿を卑怯未練に闇討ちにした一味の隠れた首魁では其の根芽認ぎ撃ちてし止まん」
「ですねー」
「本当は、ファルコーネ城で様子見して乱戦に持ち込んでから討ち果たす。是れが最良の策だった。だが御身に若し傷ひとつ付いたなら・・身共は」
「あなた様は?」
「・・身共は」
「貴方様は?」
「堪らぬゆえ」
「ありがとうございます」
クラウス卿・・「姉に殺されるから」の一言を飲み込んで正解であった。
「実はガルデッリの衆、血筋には妄ら拘って身分や門地や爵位には頓斗拘り無い者らだ。であるからして那の男に一片の領地でも与え置き、一所に縛り付ける策も策有之であるのだが、屋敷奥深く閉じ籠ると密かに殖えて居らぬかと是れ亦た気に病む向きが有る。矢張り今より少しくは貧乏になって衆人の環視の下に晒される。そんな具合が丁度良い」
「町場で育ちましたので、男爵を継げる身分とか嗣げない身分とか、あたし全然分かりません」
「力あらば正嫡も庶孼も無かろうと身共が親族なら皆な思惟う。彼奴の血筋を嫌うのは単に仇であるからだ。それ等を除去く方便にと嫡庶を使う理不尽をクラリッスも悩み居る」
「あのクールな子が悩みますか」
「あれも思春期の娘である」
「色々お考えですのね」
「我が一族の性癖は一族の者が知るゆえに」
「なんかもっと・・力尽がお好きかと思ってました」
「力尽くは大好きだ。一気に遣って爽快する。万事が是れに如くは無し」
「後ろからとかは?」
「それも楽ゆえ好きなのだが仕損じたなら面倒だ。背に卑怯傷を残すゆえ、是れは少々忍びない。戦いは正面からが一番だ」
「正常ですわね」
「何事も正攻法が第一だ。搦め手を否定はせぬが次善なり。正面切って名乗りを上げ、戦意を互いに確かめ合って期日を定め、礼に始まって剣を合わせる。そんな戦さをしていたい」
「あなた様なら大丈夫そう」
話が通じているのか薩張り不明い。
◇ ◇
初老の騎士がラツァロ父娘に語る。
「実は伯爵家のお家騒動、ガルデッリの内紛でもあったのだ。先々代伯爵の内孫である伯爵御曹司ドラコ殿と、外孫となる我等の惣領カイコバート様、どちらもガルデッリの血を引く従兄弟同士骨肉だ。分家ベッリーニも割れた。内孫様に御味方したアーデルバートの父親は一族の中で早々に物故者扱いとなり、弟のわしがあれを後見した」
「そこまでせんでも良かったろうに。アーデルムント殿を姫様の守護騎士に任じたのは、お館様だったではないか。宗家に従えばこそ、あちらに御味方せずには居れまい」
「しかし結局は宗家に歯向かうた」
「サバータ家はクラウスが剣の師の遺言であちらに属いた時、誰も責めなんだぞ。遺言では仕方なかろう」
「だがなあ・・兄が死ぬと、その遺言であれも御城側に出仕する事になり、婚約者だった又従姉弟とも破談になって仕舞うた。ああ、クラウス殿が羨ましいわい」
ヴィットリオが呟くように言う。
「人の縁は儘ならぬ者よ。時に微笑み時に黙す」
「違いないのう」
「縁が人に復讐する事もある。一人娘に婿を取らず嫁に出して、フィエスコ家を乗っ取ろうとした罠が、逆に自分に忍び寄り、ファルコーネ家はガルデッリの血筋に呑み込まれた」
「それなんだがなあ・・アルテミシアの仇讐は頭槌石槌にて微塵に粉砕したいのだが、グートルーネ殿の氏素性を暴くのは無しにして貰えぬだろうかなぁ。あの人には恨みが無いし、だいいち罪もない・・と、思う」
「それ、倅に言って来いと?」
「だめかね?」
「いや、言って来よう」