148.憂鬱な後見人
《三月十二日、宵甲夜》
ライヒムント村、通称御落胤屋敷。初更の夜。
郡法廷の使者として訪れた騎士リコが老人に尋く。
「では、言葉を換えましょう。あなたの『主人』とは、この譲渡証の名宛人フレデリクス・パッセルスさんですね?」
老人、頷く。
「それで、この譲渡証に打刻されているのはファルコーネ男爵家の公印で、作成者は同家執事のアメデオさん。つまり昨年、男爵家の資産がパッセルス氏に譲渡されたということですね?」
「左様です」
「そして、その資産を郡に物納される」
「仰る通りです」
「ですから、譲渡証の裏書きを頂きたいのですが」
「あ! そうでした・・そうです。色々あって動転して居りまして・・」
老人、署名し代印を捺する。
「お察し致します。長年にわたり男爵家にお仕えになって晴れて自由人身分に成られ、楽隠居かと思いきや、まだご苦労の日々とは・・いや、私のような若輩者が無礼なことを申しました」
「御無礼などと・・私は解放されて三等自由人でございますれば、騎士身分の雲の上のお方がそのような」
「いえ、ご苦労を重ねられた先達は敬すべしと教わって参りましたので。実は私も成人間際、あと僅かとはいえ後見人様の監督下にある身です。臨時とはいえ公務を任されるのは僭越とお断りしたのですが皆に推されまして、恐々とし乍ら罷り越した次第です」
「ああ、同じ年頃の方がこのように立派に振る舞われているというのに・・」
「しかし、若干困ったことに化りました。判決どおりに、下人の監督責任について郡共同体と先の条件で和解が成立しました。ですが、教唆疑惑についての召喚は変わりません。ご老人が『主人』とお呼びのパッセルス氏は明朝出廷できますか? 今回の私の訪問が第一回目の召喚通知です。三回無視すると自動的に敗訴してしまいますよ」
「後見人のわたくしが出廷するで構いませぬな?」
「パッセルス氏は未成年なのですか?」
「来春成人の、いま二十歳です」
「なんだか同い歳の方、多いですね。ファルコーネ家の次期当主さま、私にパッセルス氏」
「ファルコーネ家の? 次の?」
「御孫様です。殿のお嬢様に生き写しとのこと、それはもう大層お美しい貴婦人。伯爵さまの御覚も目出たく、親しくお声を賜っておられました。御一門の大侍様と婚約話も出ており、これでファルコーネの御家も安泰です」
「・・・」
「さて、これで私の公務は終わりです。明朝の出廷、宜しくお願い致します」
「扠て此処からは余談」と端座していた騎士、相好を崩す。
「ひとつ疑問点があるのですが」
「何でしょう?」
「ご老人が後見人を務めて被居ると云うことは、ご主人はご老人と同じか、それ以下の身分ということですね? なぜ「主人」とお呼びになるのでしょう」
「ははは、お笑いくだされ。従僕身分であった頃の習慣です。習い性となった呼び方は改まりませぬなあ」
「そのへん、習慣の違いが大きいですね。騎士は同格だった騎士に忠誠を宣誓しちゃうと、身分が一段落ちるんで」
「貴族さまも大変ですな」
「あるあるですよ」
笑う。
「男爵さまの長男が跡取りになって、弟たちが忠誠宣誓して兄の家臣になったりするじゃないですか。そんな中で長兄と仲の悪かった弟が、ほかの男爵の家臣になっちゃう。そんなとき戦争とかで兄弟全滅しちゃって他家に仕えた弟一人が生き残っちゃう。これが困ったことに成ったりするんです」
「困ったこととは?」
「困るでしょう? 男爵を相続するのに、他の男爵に終生臣従を誓っちゃってたなら。誓った相手が亡くなるか、自分が死んで息子の代になるまで肩身の狭い仮免男爵なんです」
「ほぉ。存じ上げない事でした」
「それに、我ら騎士は忠誠をお誓いする殿が一人とは限りません。斯く言う私、ベルリーニ家の恩顧を賜る身ですが、父はファルコーネの家臣ですから、いづれ家督を継げば主人が二人。両家が争ったら一大事です。今度ベルリーニの血筋の姫様がファルコーネの次期当主に決まり、胸を撫で下ろしている次第です」
「争ったら、どうだったのですか?」
「二人の主君が揃って外敵に向けて出征するような時は、一方に参陣し、他方に軍費を収めるとか、色々曲芸するのですが、両家が戦争始めてしまったら、そりゃもう大変」
「大変とは!」
「一方は裏切らにゃなりません。で、不義理した方が勝ったら大大変」
「大大変ですか」
「一寸刻み五分刻み」
「そりゃ大いに大変だ」
「大変なんです、ここだけの話。 ・・ご「主人」に懸かっている教唆疑惑って『下人にファルコーネの姫さまを襲わせようとした』って疑惑ですからね。明日の法廷ではお気を付け下され」
「え!」
「それで武装人を遣わして下人を手討ちに被成ろうとしたのは口封じを狙っての事だと云う・・」
「えええ!」
「ご存知有りませんでしたか」
「そらぁ滅相もない。叛逆など滅相も」
「タイミングが悪過ぎます。次期当主さまのお母上、つまり男爵さまの長女を暗殺したのが異母弟シュパーツェル氏だったと云うことが明るみに出て、犯人死亡につき事を穏便に済まそうと決まった矢先の事なのです」
「シュパーツェル様が! 死亡! ・・・」
「一昨日です。不慮の事故でした」
「・・それは若しや・・ベリーニ家の方のお手討ちに・・」
「いえ、火災に遭われたのです。私も直後に現場に参りました」
「シュパーツェル様が・・」
「相続権序列の高い姉を弑逆した異母弟と、次期当主を害そうとした同い年の『御落胤』・・。結びつけて考えぬ者が居りましょうか?」
老人、黙り込んでしまう。
「いや、余談のお喋りが過ぎました。ご『主人』も一向にお戻りになられぬし、お役目も果たしたので、私はお暇致します」
一同、辞する。
◇ ◇
村長を勤める騎士カルル・フォン・ライヒムントの館へ向かう路上。
「令嬢の仰る通り言い渡しましたが、ご老人少々気の毒でしたね」
「ふふ、リコさんったら言い回し随分優しく変えて上げちゃって。貴方のお嫁さんになる子は幸せだね。僕と同い年だって?」
少年に扮している時の黒髪娘こと男爵令嬢クラリーチェ、口調も男の子である。
「でも、あのぐらい迄は釘を刺しとかないとね」
「そうですね」
「でないと、おじいさんとしては坊ちゃんを守る最後の切り札を郡法廷に出して来ちゃうから。『御落胤の証拠』を」
それは拙い。当主の従妹を殺されてるベッリーニ家方面が、犯人死亡で辛うじて我慢したのだ。瘡蓋に生えた逆鱗にわざわざ触れたらテッテ的な何かが始まってしまう。
「出せなくなったな」「なったな」
結構である。
「郡法廷で裁けるのは三等自由人まで。だから追及を逃れるには切り札を切るしか無いんだ。でもこれで、おじいさんは次善の策として死刑判決の出せない郡法廷で戦う道を選ぶ。その結果、後見人が『坊ちゃん』に領地相続権が無いと認めたと云う事実確認付きの確定判決が出る事になる」
「おんびんにな」「にな」
「クリスさんが死人出さない方向で行きたがってるから譲歩すんのさ。僕としちゃ本音は、後腐れなく吊るしちゃうのがお勧めなんだけどね」
「当の本人は何処に雲隠れしたんでしょう」
「利口な奴なら有り金持って高飛びしてたろうけどね。そのお金、貰っちゃったけど」
「馬鹿だと?」
「今頃ファルコーネの城でなんか企んでる」
「ところで、ひとつ疑問なんですが・・」
「なに?」
「そのですね・・『相続権序列の高い姉を弑逆した異母弟』って言ったじゃないですか。普通、姉って弟より低いですよね?」
「でも、リコさんがそう言ったとき、じいさん不思議そうな顔しなかったろ?」
「つまり、そう云う事さ。ヒッカケに掛かってくれた」
村長館に着く。




