147.憂鬱な元召使い
《三月十二日、夕刻》
ソロティーヌ村に隣接する広場。日没迫る頃。
奉公人市場の開かれていた簡易法廷。
裁判員が挙手する。
「異議があります。六百両は高過ぎる。厄介を起こす非村民に、我らの自治村域から退去して欲しい気持ちは同じだが『渋い顔しながらも、すぐ払える上限額』くらいで止めておかないと『勝手に縛り首にしてくれ』と言われたら、元も子も無いと存ずる」
「異議に賛成。計算にも疑義がある。一人当たり五プフントは良いとして、三人で十五プフント。十五プフント金ならば半両金貨三百シリンゲで百五十両が正しいのではないですか」
「そもそも一人頭五プフントというのは妥当ですか? 人身売買のように聞こえるが」
「それは・・使用人の娘が近隣の荘民の独身男と深い仲になったら、どうする? 荘園主に賠償金いくら包んだら、こちらの使用人の婿に譲って貰えるかだ。良い働き手になりそうな若者だったら、五プフントは払わんと首を縦には振ってくれまい」
眺めているクラインが仲間に呟く。
「なんか割と、俺らの評価高くね?」
「馬より高ぇじゃん」
「俺らが高いんじゃねえよ。旦那ん家に吹っかける金額だ」
自警団長が発言を求める。
「本日午後、本事件の未決囚を収監中の小屋に武器を所持した男らが侵入したので身柄を拘束しております。事情聴取うに応じて『他村で不始末を働いた下人を主命で誅殺に来た』などと述べています。
「これは人命金支払いに応じる主人ではないな。使用者責任を問うて賠償請求せんと」と、裁判員。
「平和破壊罪に問えるような公然の場じゃあない。すると自分の私有民を手討ちにしても道義的責任しか問いようが無いか」
自警団長が再び挙手。
「本件未決囚らからの聴取では、彼らの主人には、婦女暴行事件について教唆の疑いある発言があった可能性があります」
「判決発見します。直ちに法廷使者を派遣して、本件未決囚の所有者に人命金相当額百五十両と未決囚の所有権物納の支払命令、並びに郡臨時法廷への召喚を通達する。出頭期日は明日正午」
一同より「異議なし」の声。
もとよりフェスティヴァルの打ち上げに飲んで、泊まっていく予定の連中であった。
日没ぎりぎりに閉廷する。
◇ ◇
引き続き、奉公人市場終了後の会場に篝火煌々。十二夜の月も燦々。打ち上げが始まっている。
中央舞台は大卓と化し、酒樽が置かれ、料理の皿が並ぶ。
「どうせ、行っても蛻の殻だわよね」と、食いに食うディア嬢。
「いいえ。召喚状の宛名は那の館の名義人。もと召使いのお爺さんです。きっと素直に来てくれます。例のお坊ちゃんの正体は言い渋るかも知れませんが」
黒髪娘、まだ村の少年みたいな格好をして囚人の腰縄を持っている。
「俺らも飲んじゃって良いんですかい?」
「ま、一杯くらい良いんじゃないか? 命拾いしたお祝いだ」
自警団のセザール君が、手鎖付けた囚人クラインの手にしたジョッキに注ぐ。
「自宅に監禁した娘たちに暴行を続けながら、倅の名を騙っていたとは、悪辣にして卑劣な奴である」
村長かなり憤然としている。
「娘たちに衆人環視の中で助けを呼ばせ、彼女らが御子息のお名前を叫んだその瞬間に、奴隷商人ら共々『始末屋』に口封じさせる段取りとの事。無理目で杜撰に思えますが、万が一にも成功しておれば、周りの人には御子息の名前がさぞ鮮明記憶に残ったことでしょう」
「あんな人混みの中で何人も人を殺して、どうやって逃げるつもりだったんだ!」
セザール君が仰天する。
「黒幕の人、此処には存分に金を掛けたようです。業界では『手と足』という名で知られる一流どころを雇っていました。『手』が腕の立つ暗殺者、『足』が逃走担当です」
「捕らえたのか!」
「ああいう連中は、頑なに雇い主の名を良いません。其れで助命と引き換えに吐かせました。なに、今後の使い道もあるでしょう」
「事もなげに言うのう」
「もう死んだ雇い主の名ならば、言っても業界の禁忌に触れないのです」
「いろんな『業界』があるんだねー」
「ラシャルプ商会の裏部門との繋がりは、やはり尾籠な人材派遣業の上客としての関係です。野盗は掠奪品の販路として商会と繋がっています。野盗が誘拐してきた娘らを商館に売り捌くために奉公人市場で『自由契約』に見せかけて洗浄するのは流石に難しかったらしく、諦めて『フレディ』に売り込んだようです」
「場外市場で既に一人売ったことを伏せて頂き、誠に感謝致す」
「いえ、ギルド側も被害者氏名を伏せたい意向ですので」
さて、御子息も準備が整った模様ですので、随行して乗り込んで参ります」
法廷の使者に指名された従騎士エンリーコが『小姓』ふたり連れてやって来る。
「えー? 行っちゃうの? あたしのガードは?」
「もっと頼りになる人に交代します」
ぴんと来たクリス、振り返ると、予想した通りの知った顔が居る。
「ああ・・あの人ね・・」
どうやら彼が所謂『ご推薦』の人らしい。
◇ ◇
使者の騎士、従者と小者各二名づつを連れて、ライヒムントの例の屋敷へと騎行する。
「リコ殿、いかにもな成金趣味の館ですね」
「でも、庭はよく手入れされていて趣味も良いですね」
「それは此処の名目上の持ち主、もと召使いのご老人の個性でしょうか」
「郡法廷の使いである。開扉なされよぉー」
「リコ殿、周囲を密かに自警団の面々が張っておられます。『フレディ』は外出中で、戻っていないでしょう。中には二人と猫一匹」
「お嬢さん何故それ判りますか」と、従騎士リコ抑揚ない声。
やがて扉が開き、柔和そうな老人が一同を迎える。
「どうぞ」
中へと招き入れる。
「主人はただいま留守にして居ります」
「登録上も契約上も、貴方が主人の筈ですが?」
じっと見ると、もと召使いの老人は俯いて視線を逸らす。
裁判集会の決定事項を伝え、明日の召喚を宣すると深い溜息を吐く老人。
客間に通される。
「ただいま罰金をお支払いします」と、奥に戻って行く。
「仕える主人を選べないのは辛いのだ」「辛いのだ」
「君ら、双子?」と従騎士リコ。
「いや、Aが年上だ」「Bが年下だ」
「き、君ら・・名前はAとBっていうの?」
「通称が、スレナス弟Aなのだ」「弟Bなのだ」「姉Cっす」
「クラリーチェ嬢、口調が・・ずいぶんと・・お変わりですね」
「服装に合わせるっす」
ボロディーノ老人、小箱を手に戻って来る。
小箱の鍵を開け、金貨を取り出しては数える。
十両分銅金十二枚と、残りを半両金貨で支払う。
「下人を物納いたします」と老人、ファルコーネの公印ある譲渡証を差し出す。名宛人にフレデリクス・パッセルスとある。
従騎士リコ、羊皮紙の受領書に収納印を打刻する。
小箱を戻しに行っている隙に男装黒髪娘、小声でリコに耳打ち。
「譲渡証の作成者を聞いてください。あれが誰の筆跡なのかを知りたいです」
老人が戻る。
「あの、この譲渡詔なのですが・・」
「何か問題でも?」と、老人焦って身を乗り出す。
「ここ・・この箇所。ErbenとあるべきところがErvenになっています」
「そ、それは方言による綴りの違いでありまして、法的には問題ないかと」
「『相続人』を意味する重要な箇所ですが。本当に問題ないのでしょうか?」
「書いた者がまだファルコーネ家で執事を務めて居りますので、至急に訂正手続きの手配を致しまするっ」
「いえ、そこまでには及びません。近日中にファルコーネ家を訪ねる用事も有るので、御本人に加筆願うことと致します」
「執事のアメデオと申します」
「ときに、先ほどあなたが『主人』と仰ったのは、どなたの事ですか?
老人の額に冷や汗。