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130.憂鬱な田舎騎士

《三月十一日、申の刻過ぎ》

 エリツェの町、中央区。カペレで典礼が行われている。

 ティエリ師フラ・テオドリクスの朗々たる低音が婦女子を魅了しているが、式典そのものは退屈らしい。それでも彼のレチターチヴォをお喋りで遮る人はいない。

 修道士たちの応唱が続き、カペレは荘厳な空気に包まれている。

 やがて「天の女王」が歌われる。続いて格式通りなのかエルテス独自なのか知らないが、二十一声のカノンが響き渡る。


「ここはヴェナンツィオ師だったら最高潮に盛り上げなさった所ですわよねえ」

 婆さま連中は稍や辛口だ。

 いや、ヴェナンツィオ師とは、若くして僧籍に入られた王弟殿下のことである。世俗社会に居られたならば、さぞかし名宰相か大将軍かもと囁かれたが、いやいや国が割れていたかも知れぬ。兄と張り合う意思無しと早々表明なさったが故の兄弟仲の良さかも知れぬ。鴨のコンフィは美味である。

 いや、歴史に「かも」は不要だが。


 御簾が懸かった儘のヴェナンツィオ師の輿が静々しづしづと出立する。

 御簾の中の人影が、かくんと俯く。

「あ、猊下・・寝てた」

 静謐なカペレで、子供の声が響いてしまう。

 飄々とした猊下、さもありなんと皆が納得する。

 皆が合掌して、聖十二支柱に数えられることとなった猊下を見送る。

 広場に出て、輿はパレード用の馬車・・というか山車に近い車両の頂上に鎮座ましまし、群衆の歓呼の中、東西大路を進んで行くのだった。


 ソロティニのお嬢さんに、背後から声。

「さてお嬢さん、そろそろ家路に就きますか」

「馬車が待たせてあるわよ」と、また背後から大奥様の声。


                ◇ ◇

 ソロティーヌ村の雑貨屋。自警団の皆、だいぶ酒が入っている。

 と、そこへ騎士フォーゲルヴァイテの館の召使い夫婦。

「あら、みんなご機嫌ね」

 もう二十年以上にわたり村の雑貨屋のおかみに成り切っている武家娘、自警団の皆に「田舎風煮込み麺料理肉多め」を振る舞いながら応える。

 夫のヘルマンと身代しんだいそっくり一人娘の婚資の残そうと決めてから、ただの自由村民として暮らして来ているが、最近になってやっと娘の婚礼には騎士家りったぶるぢげの夫婦として出席するんだという事を思い出し、慌てている今日この頃である。


「何ぞ・・買い足りなくなった物でも出たかい?」

「酒が足りんし。肉は煮込んであるがなあ。明日の奉公人市場ぁ見に来た商人さんが、急に三人も泊まるんでさ」

「三人だったら此の地酒一本もありゃ十分だろ。それとも葡萄酒がいいか?」

 あと蕪の酢漬けとか燻製肉とか、買い込んで帰って行く。


「ふぅん? あそこの家に客三人か・・」

 クイントが呟く。


                ◇ ◇

 エウグモント城。既に宴たけなわ

「ふぅ・・マッサの大奥様に足向けて寝られませんわね」

 かなりの経済的援助であった。

「無論、伯爵様にも」

 執事セト、応えて静かに笑う。

「それ程に皆様は、男爵様に期待大なのです」

 つらつら物語る。

「西谷の一族は古い血筋を大事にしますが、それだけでは奇妙に煮詰まって仕舞いますますれば本家もパルミジエリ伯爵家の血脈を入れました。そして親交あるトローニェ家とマッサ家に続き、フィエスコ家と、そしてヴェルチェリ男爵家に一門の一翼を担って頂きたいと、切にお望みです」

「フィエスコは、次の当主が西谷ガルデリ一門の有力者ベッリーニの血筋の者に決まりましたわよね?」

「はい、ヴェルチェリの男爵様も、来るべき御嫡子生誕の暁には、ぜひガルデッリ本家との結縁をお考え頂ければと」


「この世の春、来たぁぁ」

 ラツァロ・フィエスコ参審人、ちょっと酔いすぎである。

 が、無理も無い。

 ガルデリの血の濃い殿様が当主となった今、伯爵家とガルデリ家が反目していた時代にオピニオン・リーダーであったファルコーネ家ヴァイテマル老の発言力凋落は著しい。

 ファルコーネ家を潰さぬ為めには、最早ベッリーニの血を引く我が姪クリスを男爵家の女当主すおゆれに立ててガルデリ本家筋の婿を取るしかあるまい。

「勝った。臥薪嘗胆二十年、ついに勝った」

 もう泣いている。

 娘のヴェルチェリ男爵夫人エステル、溜息ひとつ。


                ◇ ◇

 そのクリス、ことクリスティナ・ダ・フィエスコ、祝辞とか一連の仕事は終えたので入場式は早めに切り上げ、辞して伴ひとりだけ連れ、ソロティーヌ村へと向かっていた。

 貴婦人然としたドレスかあとる着用なので馬に横乗りしての騎行である。いつもの様に半ズボン穿いて跨った時のように、ぱっぱか騎馬を駆せられず、楚々しずしずと乗って居る。

 此の時代の馬匹は高価格な軍馬や乗用馬でもなければ体格が貧弱なので、腰骨近くに鞍を着ける。そうすると婦女子は馬の胸周りまで足が届かず、その上スカート姿で横乗りなので、小走り程度でもご婦人方はよく落馬する。

 まあ、多くのご婦人方は脂肪の鎧をお召しなので、あまり怪我した話は聞かないが。

 なに、ソロティーヌは城市とは違う。夕刻で閉門などという仕組みは無い。だから落ち着いたものである。


                ◇ ◇

 騎士フォーゲルヴァイテの館。召使い夫婦は厨房だ。

「聞いての通りだ。奉公人市場は特別警戒をする様だな」

「俺たちは?」

「分かり切った事だろう? 容疑が懸かっていないなら、当然行く。容疑が懸かっていて行かねば容疑を認める様なものだ。だから行く。つまり正解は一つだ。行って真っ当な商売をする」

「行くんですかい?」

「考えても見ろ。非合法取引したい奴隷の一人も持っておらん」

「そりゃ、そうですね」

「今日は飲もう」


 明日があるかは知らないが。


                ◇ ◇

 再びソロティーヌ村の雑貨屋。カイウスが二人連れて到着する。

「よう、来たぞ! 料理人だ。明日はなんか面白そだと聞いてな」

「おう、待ってました」

 既に出来上がっている自警団の若い連中、実に愛想が良い。

「明日どんなものを出すか、ちっと考えながら来たんだが、都合よく頭数が居る。ひとつ試しに作ってみるから食って意見をくれ」

 おかみさん食材をひと抱え持って来る。

「今までだと焼き腸詰とか肉入り団子の串焼きとか、そんなもんを鐚銭で売ってたんだが、鐚銭は相場が安定しなくて結局損することが多い。1ファン取る食事だと回転が悪くて。これも採算がいまいちだ。なんか良い案は無いかねえ」

「俺は広場沿いに店構える身だが、こいつら若い二人は南市場で1ファン取る屋台料理を出している。要は満足度だ。屋台だから鐚銭商売だって思い込みで、つまらん駄菓子に毛の生えたもん出してちゃ、できる商売もできんと思うぞ」

 王国の貨幣経済は純度の高い金貨銀貨が中心で、少額取引に難があるのだ。

「というわけで、鐚銭商売もやりながら、中心をどっかりボリュームある満足度の高い商品と、お嬢ちゃん方に人気の小洒落た軽食で勝負してみる。これでどうだ?」

 自警団の連中、興味津々である。

「それで、手に脂の付かないよう薄皮焼きや蒸しパンで包んだ軽食を手渡しで売る。軍隊が前線でやってる片手で食える糧食の要領で、座席に固まらせないで回転を早くするって作戦だ。一つ二つ作ってみるぞ」

 早速始める。

「それと、最近小耳に挟んだ新しい料理もやってみてえんだ。柔らかく叩いた細切れ肉を卵で練ってジュワっと焼いてだな・・」

 若い連中が生唾を飲み込む。


                ◇ ◇

 村の入り口にマッサ家の紋章が付いた立派な馬車が到着。馬に乗った貴婦人ーー見た目だけだがーーと出くわす。

「え? 貴族の箱馬車? どなた様?」

「あれ? クリスさんじゃないですかぁ。明日は奉公人市場で、仮装大会じゃありませんよぉ」

「なんだ、貴族の坊っちゃまが乗ってるかと思ったら、テオじゃん」

「へーん、だ! 本物のお嬢さんだって乗ってますよ」

「いや、正体は雑貨屋の娘ですけど」


 似たものが集合していた。


                ◇ ◇

 騎士フォーゲルヴァイテの館。

 ラシャルプ商会の三人、はや酔い潰れている。

 騎士、何か虫が知らせたのか、ふと風に当たりたくなり、家を出る。


 ソロティーヌ村の入口の方へと歩いて行く。運命の方へ。


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