120.憂鬱な婚約者候補たち
《三月十一日、丑》
トルンカの屋敷、一室。
クリスティナ・フィエスコ、ベッリーニのユスティナと半裸で同衾しているが本格的な交戦でなく、パジャマ・パーティー的なノリ。この程度ならナネットやエステルとも頻繁な事なので安心しているが、甘いかも知れない。
「惣領様と大姫さま、共同統治で伯爵位を継がれた。まあ公式には国王陛下のとこで錦の御旗を賜ってからだけど、政務はすぐ忙しくなりそうだね」
「ふーん」
「何を他人事みたいな顔してるのです。貴殿が渦中の人ですよ」
「へ?」
「御城が燃えちゃって、伯爵家の裁判官も参審人も総入れ替えです。フィエスコ男爵の後見人がもう高齢すぎるから交代請求とか、ファルコーネ男爵の相続権者確定請求とか、ばしばし上がって来ますよ」
「なんであたしが渦中にー?」
「だって貴女がファルコーネの生存確認できてる唯一の孫娘だから」
「あたしいっっ・・だっけ。そうだった」
「ヴァルテマール老が今後もガルデリ家にそっぽ向いてるなら『新しい伯爵宮廷に伺候出来ないくらいご高齢でらっしゃいますか! はい! それなら、もう結構』って言われて、まず確実に引退勧告が出る」
「男爵が引退しちゃったら・・」
「後見人の地位も返上になって、短期間の中継ぎ後見人として親類の誰かが御下命に与って、晴れて貴女がフィエスコとファルコーネの女男爵よ」
「ひええぇぇぇぇーっっ!」
「領地ふたつダブル」
「ダブル!」
「あ、じゃ・・そろそろ一回戦いく?」
・・見通しが甘かった・・。
◇ ◇
別の一室。とある家族会議。
「夜も更けた。そろそろ寝むとするか」
「ワリーの奴めも、来ればよかったのにのう」
「申し訳ありませぬ。愚息が此方へ参って仕舞うて居りますゆへ、ワルトラウテ姉様も公務に穴は空けられず致し方無き事かと」
「ぬるい仕事で年月過ごすと体が鈍るぞ」
「躾が足りず申し訳ありません」
耳の痛いフェンリス。
若夫婦養子縁組の話な筈が、いつしか三婆の昔語りに化って時が過ぎる。大姫様の母君に随き従って山の尼僧院に居た乳母の娘を親分に、乾分三人娘のうち二人。気分は悉皆り往時のお喋り小娘十歳前後に戻っている。
「儘ならぬのう。筆頭侍女の仕事は不残りヒルダに引き継がせ、家督も譲って終うて、既う楽させて貰おうと思うた矢先じゃに」
「伯爵家の再編には、矢張り月影のお局様が目を光らせて居て下さりませんと」
「あの薄茶色髪の娘がリンダの義姪であったか。素質はそこそこ光るものが有るようじゃが」
可ぁ哀想に、誰からも『亜麻色の髪の乙女』と呼んで貰えないクリスティナ。酷い野郎は茶虎とか呼ぶ。
猫じゃないのに。
「ベッリーニの血筋なので剣技も習わせれば仲々かとも存じましたが、母親の死に方が死に方でしてのう・・周囲のもの皆が皆、丁々発止の方面には育てたがらなんだのじゃ」
「ちと惜しいかのう」
「成人近くなってからでも、将才の方は伸ばせまする」
「あれの危険感知は遠く迄飛ぶ代わりに、個体識別が弱いようじゃな。指導者がおらなんだのか」
「小さい頃から身近に居った同族はワリー母子くらいでなぁ、方向性が違うとったのです」
「むぅ」
◇ ◇
別の部屋では別の家族会議。もう終わって寝床の中だが、親子がぽつりぽつり話している。
「お前さぁ、ちゃんと説得出来る?」
「やります」
「言い難ければ、わしが悪者でもいいぞ。『婚姻は許されたが、世間体が悪いと言って公表させて貰えなんだ』ってさ」
「父さんに、そこまで迷惑かけたくないし」
「そもそも織物生産業者と織物問屋で争っとって婚姻届の提出妨害したから、ソフィアさん未婚で子供産んじゃう羽目になった。だから負い目があって誰も悪口言わん。それでお前ら、婚姻届けは出したれど公表を封じられた、ちゅうことにするのが一番自然なんじゃ」
「・・・」
「娘の身分をちゃんとしてやれ。それを第一に考えろ」
寝る。
「次は孫じゃな・・」
否、曽孫であるが。
◇ ◇
復た別室。
此方は会議でなく、父子差し向かいで際限無く盃を交わして居る。
「だから折角ここまで辛苦して、領地も封地も手に入れて置いて、それを代官任せで捨て置くとは如何なる所存ぞ! 早々に身を固めて国許に赴き、領地経営に勤しまぬか!」
「ですから親父殿、今こんな時です。伯爵寮全体を見渡せる文官が絶対に必要なんです。領地に引き篭もって自分の面倒ばかりに感けては、それこそ不忠でありましょう」
「なら、せめて早く嫁を貰え!」
「(それが出来てりゃ苦労ぁしねえよ・・)いや、鋭意努力していますって」
「今日馬車で一緒に来たご令嬢とは如何なのだ? 文武に秀で御台所の勘定にも堪能。あれこそ武家の理想の嫁であろう!」
「顔見るなり『許さねえ!』って怒鳴ったのは何処の誰だ」
「いや、顔見ちゃおらん。娼婦の鑑札を見たのだ。顔を見てたら・・許しておった・・」
「だから、あれは市警の手伝いだかで捜査上の扮装だって!」
「そりゃ、もう知っとる。だがあの美貌なら門地は問わん。爵位も要らん」
「親父の嫁じゃねえし。だいたい爵位だって『要らん!』って突っ返しちまっただろうが」
「法廷で宣誓したわけじゃねえから、また『やっぱ要るわ』って言やあ男爵だ。お前、それでよく参審人やってるな」
ミケーレ、だんだん傭兵時代の言葉遣いに戻っている。
「いや、もう御曹司様が伯爵だ。なんの不満もござらぬわ」
気が付いて取り繕う。
マリウス、彼女が攻城砲の弾丸さながらに何かを破壊した光景を思い出す。
「(俺にゃ少々荷が重いかも)」
◇ ◇
一回戦が終了した部屋。
若い娘ふたり呼吸が荒い。
「どうも、二人とも男役というのは、普段と勝手が違う」
「普段と?」
「いや、失言」
「ふーん・・」と、横顔をじっと見る。自分みたいで調子が狂う。
「然し・・これで早晩、上から下まで欲の皮突っ張らせた有象無象の男どもが浮塵子の如く寄ってくるぞ」
「いっそ猫とでも付き合っちゃうかなー」
「あの猫か? 暗殺されたら寝覚めが悪かろう」
「げっ、そんなえぐい?」
「領地ひとつでお母上が如何那に狙われたか知らんであるまい。それが二つだ」
「いや、実は最近聞いたばっかりで・・」
「知らなかったの?」
「物心つかぬ子供を名代にして、その母の実家相手に仇討ちとかこの世の地獄だからって、ずっと秘密にされてた」
「母の実家! それって本当なのか? 仇が判明って居たのか?」
「あたしが自分で判断できる年齢になるまで仇討ちが始まらないようにって、叔父たち・・血涙を飲んで耐えてたんだって」
「それも凄い根性だな。ベッリーニ家の方に情報が入ってたら確実にフェーデが始まってたぞ」
「ベリーニの長老様お一人にだけ『二十年待ってくれ』って嘆願したんだって」
「臥薪嘗胆か・・フィエスコ家畏る可しだな」
「伯爵家とも長年の抗争を生き抜いてきた小勢力の、まさに虚仮の一念ってやつね。あたしも最近聞いたの」
「敵に回しちゃいけない一族だなあ。親類でよかった。で、その仇っていうのは誰?」
「たぶん・・というか十中八九、母の異母弟だって」
「だめだ、そりゃ」
「?」
「たぶん・・というか十中八九、昨晩燃えた。灰も残ってないよ」
「天網恢々接して漏らさずだね」
「・・いや、それ違うから」
ユスティナ、気分を切り替えるように明るい声で言う。
「で、如何すんの? オ・ト・コ」
「うーん・・ノーアイディア」
「拙者のもと婚約者とか、どう? 虫除けの囮にはぴったりだ。話せば面白がって偽婚約者とか引き受けてくれそうな奴だ」
「もしかしてエデルバートさん?」
「気が付いてたか。クラウス卿なんかも良いな。こっちの方が女に興味なさそうで安全かな」
「どんな人? ・・って仏頂面なのにノリがいい人?」
「なんだ、みんな面識アリか。じゃ、明日紹介するから」
「え? ちょ・・ちょっと展開早すぎ・・」
「えい!」
二回戦目に突入する。