111.憂鬱な異母弟
《三月十日、昼頃》
エリツェの町、オルトロス街。
テオが典礼主任ハンスとソロティーヌの件話し込んでいると、協会大広間の厨房前に人集りが出来始める。
「おっと、いけねえ。店! 店!」
カイウスも、通りの向かいに帰って行った。
入れ替わりに、町の若衆姿の赤毛女が寄って来る。
「えへへへぇん。女手も要るでしょ? あたしも一枚噛ませなよ」
「あ、ディアさん耳が早いなぁ」
「月曜開催なら時間が押してるだろ? 屋台の道具立てから村じゃ手に入らない食材まで、あたし一手にお任せだよ。それにテオ坊じゃ入り込めない女の世界での情報収集も任しとき!」
「あ、お嬢さん。町で女の情報屋って言ったら、軍事系ならフィエスコのクリスさん、そして商業系なら此のディアマンテ姉さんって人だよ。商工ギルドに入ってるアルゲント商会の仕入れルート持ってるから間違いはないけど、かなり商魂逞しいから、そこは要注意ね」
「よろしくねっ! 『店の売り子やりながら極秘任務の見張り係』なーんてなぁ得意中の得意だ」
「まぁ、探索者ギルドって凄い! 見る見るうちに仲間が集まって来ちゃうわ」
お嬢さん目を白黒。
「カイウスさん店の職人が来れば、奉公人市場で出す屋台は行列間違い無しだし」
「おい、ありゃ自分で来る気満々の顔だったぞ」と、ハンス主任。
あの親父さん、現役時代は腕っ節も相当なもんだったらしい。
「ときにハンスさん、ヴィンコ村で村長が訴えられる事件の話、聞いてる?」
「傭兵団屯所移転絡みの話じゃろ? あれ、裏があるかも知れんぞ」
「あら、そのお話?」
「ヴェルチェリ男爵夫人とラツァロ・フィエスコが現れる」
「村の中にあるわけでもないソプラヴィ団の駐屯地に、しきりに筋違いな苦情を申し入れとって、協会として出るとこ出たろかと議論しとった矢先も矢先。南部移転の先がトントン拍子で決まってな」
「うちでーす」とエステル夫人。
「政情不安な南部の方に拠点を移すことで各方面『うぃんうぃん』一件落着の筈だったんじゃがのお」
「ヴェルチェリ領エウグモント城を整備して、日曜に入場式の予定ですわ。男爵家から授封する話も進んでおります」
「なんと」
「日曜の式典で隊長さんに城主の称号が授けられます」
「こりゃ元の鞘に収まる目は無いな」とハンス、テオに囁く。
「傭兵団に農産物の納入してた農家が、村長が独走したおかげで得意先が無くなったって訴えるらしいですよ」
「戦闘チームだけで四十人。非戦闘員入れたら下手すると百人近い世帯が急に居なくなる。村の産品買上げ先ってだけじゃないぞ。駐屯所で働いてた村人も失職しとる。大騒ぎじゃろ」
「跡地はどうなるんでしょう?」
「さあのう・・市の土地を借地しとったからな。別の誰かに貸すか、入植者を募るか・・まあ行政当局が考えるこった。市民の胃袋って需要が確実に見込めるから、農園を大規模開発できる土地が空いたなら、御屋敷町筋が誰ぞ動くかも知れん」
「シュルトハイス様の法廷って、いつ開かれるんですか?」
「例会は六週おきだから、多分さ来週の月曜日だろう」
「んで? シュルトハイス様って?」
「おいおいテオ、市長って言ったら、マッサ男爵様に決まってるじゃねえか」
「シュルトハイスって人の名前かと思った」
「北部のシュルトハイスはトルンカ様、中部はマッサ様、南部は残念ながらゲルダン動乱の煽りを受けて空席のままなのですわ」
「だからこそ強力な代官を置くべきなのに、逆の行政をしてるなあ」とラツァロ。
「フィエスコ家が健在だったらなあ・・」まだ、ぼやく
「そのフィエスコ家も、来年には若君が成人なされて再興になると皆が噂しておりますが」
マルグレートお嬢さんが口を開く。
「え? フィエスコ家側の認識としては、ファルコーネ家が押領している旧領を訴訟で争わねばという状態なのですが」と、エステル。「ちなみに私、フィエスコ家からヴェルチェリ男爵に嫁いだエステルと申します。フィエスコの正しい後継者の又従妹に当たる者ですわ」
「ええっ! ファルコーネ領の住民はみな、フィエスコの若殿様の後見人を、剣親のファルコーネ男爵が務めておられると思っておりますのに。申し遅れました。わたしはソロティーヌの村長を相務めます騎士オッタヴィオ・ダ・ソロティニの家に近々嫁ぎますマルグレートと申します」
「ファルコーネの古狸、後見などしておらぬではないか。偽者でも立てる気ではあるまいなっ。・・あ、申し遅れた。わしは此れの父親でラツァロ・フィエスコと申す参審人です。オルランド・ダ・フィエスコの従兄弟で、彼に嫁いだ亡きファルコーネ男爵令嬢アルテミシア殿とも旧知の仲であったゆえ、彼女生前の口癖が出て了った」
「男爵家の相続問題というと、こりゃ伯爵の法廷で争う事になるのお。あそこは無印の伯爵ちゅうても辺境伯格だから。大ごとだ・・ん? 待てよ」
「どうしました?」とグレッチェン嬢。
「嬢ちゃん家はファルコーネの封臣になっとるんじゃの?」
「夫の家は、ですが。(予定ねっ)」
「封臣同士の係争なら男爵が裁ける筈だ」
「それは実は、あの辺の土地なんですが、むかし叛臣から伯爵家が固有財産として取り上げた土地なんで、お預かりしている封地じゃないんです」
「わかんね」と、怪訝な顔するテオとディア。
「あ、成る程」と手を打つハンス主任。
「わかるんですか?」
「嬢ちゃんの説明もイマイチだったのさ。あの辺は昔々、先代伯爵夫人を暗殺した廉でガルデリ家に滅ぼされた・・ううん事情が入り組んどって、説明が面倒くさいのう・・先代伯爵の弟の固有世襲地だったんじゃ。伯爵は直接手を下さずに夫人の実家ガルデリ家の面々が弟一族を綺麗サッパリ殺し尽くした」
「叛臣とは、お身内だったのですか」
「だから、あの一帯は伯爵個人がそっくり相続したのさ。それを嬢ちゃんのお父っつぁん・・じゃねえ御亭主の祖父さんあたりか、それが軍功で拝領したんだ。借り物の封地はちょびっとで、土地のほとんどを自由相続できる世襲地として譲渡されたんだよ。弟の相続分を取り上げて大盤振る舞いしたんだ。自分の懐は痛まねえって寸法よ」
「なんだか〜わっかんないわねぇ」
「つまり男爵の力じゃあ、村長は馘に出来るか知らんが、領地はほとんど奪えねえってことさ」
「ってことは?」
「男爵が嬢ちゃんのダンナの領地を奪って身内の物にしたかったら何すると思う? ダンナさんにゃ、妹いるんだよな?」
「まさか・・」
「多分その『まさか』よ。連中の狙いは村長より、嬢ちゃんのダンナだ。陥れて廃嫡に追い込んで、妹の方には自分の身内から婿を押し付ける。いや・・『死刑判決が出るようなネタを用意しといて、罪一等免じる代わりに廃嫡と婿押し付け』とかまあ、そんな計略で来るぞ、こりゃ」
「そこまでするぅ?」
「世襲領地奪うにゃ、この策略くらいだろ。他に思い付かねえ。現に昔、フィエスコ領を狙ったときゃ、自分の娘を送り込んだろ?」
「省略結婚ですか」
「お前ぇ、それを言うなら政略結婚な」
「省略せずに貨殖の宴やって、ひと儲け」
「何言ってんだ、わけわからねえ。昔々フィエスコに娘を送り込んだ時ぁ失敗した。嫁入った先で亭主に惚れちまったか親父の汚さに愛想が尽きたか・・」
「いや実際・・あの夫婦ベタベタだったし、アルちゃん事あるごとに狸親父って文句言ってたな」とラツァロ。
「それ、大当たりですわね」と、娘が首肯。
「今度ぁ娘狙って来るだろう」
「ファルコーネ家の独身の人、キモいおっさんでないと良いけどね」
「あねさん、それポイント違うから」
「御内密に願いたいが、アルテミシア暗殺は間違いなくファルコーネの手の者です。しかし疑う可きは父親より異母弟ではあるまいか」
「そういやぁ居たな、スパッツだかパパゲーノだか言う奴。姉と年齢近すぎる」
「え?」と、一同。