109.憂鬱なお嬢さん
《三月十日、早朝》
ソロティーヌ村の雑貨屋、朝食の団欒中。
「若殿さまのゴボドーのジッカって・・母ちゃんファルコーネの長女なんだから実家はファルコーネじゃねえか」
「あれ?」
「やだよ親父っさんボケちゃ」
「御母堂の母君の実家だ。そうそう」
「娘さんの婚約者のことだってコロっと忘れてたし」
「忘れていたい時だってあるわい! 何時迄も、我家のおちびのグレッチェンでいて欲しいだけだいっ!」
「パパぁ!」
父娘、抱き合う。
・・男爵の先妻の実家って・・ぜんぜん仲いい気がしねえ。
「おれ、ひとッ走り町まで行って、月曜に呼べそな奴に声掛けて来よう。陽のあるうちに戻ります」
「パパぁ! わたしも町を見に行っちゃ、駄目? 一家の主婦になる前に、そのくらいの知識経験は積んどきたいの」
「んまぁ、最低限は知っとかんと、人を使う身分にゃ恥ずかしいかなぁ」
と、意外にもおかみさんが援護。
親父っさん考え込む。
「おいおい! 今から飛んでって用事済ませて、陽のあるうちに蜻蛉返りだよ。結構な強行軍だ。町の案内ひとつ出来ゃしない」
「あーら、遊びに行きたいなんて言ってないわ。テオくんのお仕事ぶり見て勉強したいだけ」
「うーん、後んなって『やっぱり泊まる』は絶対に無しだぞ」
・・甘ッ! 親父っさん甘ッ! ・・
ふと・・気になって、聞く。
「郡判事って周り持ちなんだよね? ここの村長さんの出番って、いつ?」
「今度の月曜だ」
◇ ◇
ラズース峠の関所。
いつも一般兵士の服を着ている駐在文官レンツォ・ダ・クレスペール怪訝な顔。
プフス側から坂を登ってやって来たのは、若い従騎士ばかり十五騎も、銀の拍車が光っている。
馬丁も下男も伴わず、さりとて主人を警護しているでもない。引率めいた年長男を先頭に、ただ続々と遣って来る。
猜疑心が羽織を着た男レンツォならずとも訝しむ。
「(身装は士分として恥ずかしいとは言わんが、幾分貧乏臭いの揃い・・か)」
さりげなく誰何の担当係に成り代わる。
「通行証を拝見します」
目下に敬語。
勿体つけて書類を丁寧に見る・・格好で、見ているのは相手の態度。
「領内を通過してアヴィグノへ向かわれる・・と・・」
「左様」
「その目的なら結構ですが、その目的以外は何も出来ませんから予めご了承下さいますように」
「どういう意味だ?」
「申し上げたとおりの意味です。『通過する』だけの許可証ですから、通過しか出来ませんよ。宿泊の許可がないので野宿なさることになります」
「エリツェで宿泊は出来んのか?」
「この許可証ではたぶん無理でしょう。市内で商談とかのご用事が無いと。でないと彼処・・有名な遊郭目当ての客だけで門前に行列が出来て交通が麻痺しちゃうんだそうで」
「なんと」
「ま、あそこは自治都市ですんで当方が口出しする事は出来ませんが。お節介で余計な事を申しました」
引率の男、露骨に苦虫を潰したような表情。
「しかし、その人数で真っ直ぐ素通りされる理由は何ですか? まさか、その通行証を発行された方、故意意地悪なさったんじゃ無いでしょうね」
「朝のお祈り中に居眠りした者の連帯責任で一同巡礼を命じられた。もとより懲罰である」
「ふぅん・・何かお力になれること、無いですかねえ・・ お話、伺いましょう」
騎士レンツォ、言葉巧みに事実上取調べの体勢へと持ち込む。
◇ ◇
北の谷、伯爵の御城内郭北の塔。
姫様のお体・・具合が今朝は一段とお悪い。
無理言って未明から薬師に来て頂いて漸く落ち着いた。
「姫様ばかりではない。側仕えの者もどうに限界超えておる・・先週エルサが倒れた時に来て下すった若い侍女殿、またお願いする訳にいかんじゃろか」と、老人。
「駄目元でお願いしてみます」と、筆頭奉公人ネモ。
「感染る病ではない。そう申し添えれば、少しは公募で人が集まらんじゃろか?」
「守秘義務まで考慮に入れますと、ちと御予算的に不如意で」
「伯爵家の御女中殿はなんと?」
「『兵隊雇う予算があって主君の看護人雇う予算がないとは、どのような忠義か?』と小半刻も説教されました」
「耳が痛いことじゃ」
「懐はもっとです」
◇ ◇
エリツェ北の見附。
「叔母さま、御城までいらっしゃいますの?」
「ヒルダと会って、よく話し合ってから考える。兎も角トルンカ行きじゃ」
お城に向かう定期の輜重車。屋根の上に三人重い思いの格好で場所を取る。
「揺れそうな時は言うけど、落っこちないでくんな」と、馭者。
「大丈夫、慣れたものじゃ」
屋根と言っても荷台に仕立ててあるので荷縄を掛ける低い手摺りがある。毛布を敷いて座ったナネットの着衣の裾に釘付けになっているのは、停留所に務める書記官見習い少年の目だ。
書類で真っ赤な顔を半分隠しながら「春の妖精」という詩を自作して書き付けている。草原で出会ったシルフィードの話になっていたが。
◇ ◇
西区、フィエスコ館にノック。
まだ眠そうな顔の法医殿がドアを開ける。
「ありゃラツァロに・・エステルちゃんも! 入れ違いじゃ。フェン君夫妻と三人でトルンカに向かった」
「クリスちんは?」
「そっちも御城じゃ。何が始まっとるやら」
「こっちは野盗の隠れ家跡を見つけてな、もと市警にいた探索者さんが調査してくれとる」
「誘拐されてた女の子ひとり保護して、手当てが済んだんで、来ました」
「傭兵さんたちは?」
「感じいい連中で腕も立つ。いっそエウグモント城を封与して居着いて貰おうって方向で固まりつつある。今後まだひと波乱ある気がするしな」
其処へまた、戸口にノックがある。
見ると年若い貴族女性と格の高い侍女と思しき初老女性。
「お願いの儀が有りまして罷り越しました。マッサの大奥様の紹介状がこちらに」と、レヴェランス。
「残念ながら女医は往診に立った矢先で、わしは死者相手の法医ルジェーロと申す。この娘は女医の弟子エステルというて、若いが師匠と同格のマギステルを持っとる。あと一人も身内じゃ。取り敢えず、話を伺おう」
「有難うございます。実は・・」
◇ ◇
西街道を馬上の二人。
「この調子で、昼過ぎには町に着くよ。でも仕事優先だからお嬢さん、町の案内とかは別の機会にね」
「ええ、今日はお仕事ぶり拝見して勉強のつもりです」
「だけど御嫁入り間近なんだから、同い年位の男と余しくっ着いちゃ駄目だよ」
「落馬しない為だもん! それに、父ってあれで結構人を見る目あるんですよ。だから大丈夫。だって、あなたが何か調べに来た人だって気が付いてても信用してるんだもん」
「あはは、御明察だ。ぼくが調べてるのは月曜の奉公人市場で野盗に誘拐されたらしい人が売られてたってことで、挙動の可訝しい男を街から追って来たんだ」
「まあっ! 大変だわ」
「それで、親父っさんから聞いた話から、単に人買いが売買して儲けてる話じゃないと考えてるんだ。来週の市場で何か悪質な騒ぎを起こして、郡判事を勤める村長さんを陥れようとしてるんじゃないかって疑ってる」
「それが当たってたら大変なことだわ!」
「こういう悪い予感ってよく当たっちゃうんだよな」
「お義父さんを陥れ・・あ、まだだけど・・陥れて得をするのは、やっぱりあの人よね?」
「多分ね。自分の身内へと村長に挿げ替えて、自治村を自分の領地みたいにしたら儲かる人だ」
「わたしも騎士の妻になるんなら、戦える女になる勉強しとくわ。あ、チャンバラじゃなくってね」
「というわけで、屋台の売り子や調理人をしながら村長さんをガードできる人を探そうって計画なのさ」
「ということは?」
「町に着いたら、探索者ギルドに直行だ!」
「さむれぇやとうだ!」