102.憂鬱な下男だった人
《三月九日、日没》
北区川端南、隠れ家。
笑い仮面に修道士服。旅芸人一座の座長「モンク」こと「異端審問官のための下拵え」裏工作員部隊を率いる部隊長は、実に憂鬱だった。自分はいつも整然と仕事を熟して居るのに、毎度褒賞の一番は、出鱈目やって此っ地に尻拭いを押し付けやがるブシャールの班だった。
面白くはないが、そんな依怙贔屓にも何ぞ裏事情が有るんだろうと御拝察するくらいには「モンク」は世間擦れしていた。まあ常々御拝察しているうち実際知ったわけだが。
そのブシャールが死んだ今でも、その手下たちが更に新たな凶行に及ぼうとしている。もはや完全に余計な手間を増やしつつある。死んだあの男、どの程度の分別を残して居ただろうか?
公娼たちには横の連帯があって、組合を作っている。下手に手を出せば足が付くのは分かって居るだろうか? あの男は、そういう世知には決定的に欠けているやに思われるが、子分共は如何か? 心配していても詮方ない。後腐れのない夜鷹でも捕まえて来て居ることを祈るばかりだ。
「静観しよう」
◇ ◇
寺町参道石畳坂の物陰、鼠男と下男ロブが潜んでいる。
「行っちまった。間に合わねえ! どうする・・もう一ッ走り追っ駆けるか!」
・・否、下手に手ぇ出して女が逃げ出したら、奴らの失敗が俺らの失敗と被押付れんのが落ちだ。
いま暫く静かに尾行する。
石段坂を半ば迄。
例の荒屋へ入って行くのを見届ける。
「やい下男、お前ひとりで暫く此処ぇ見張りで残れ。俺ぁ一ッ走り大将に知らせに走る」
「えぇぇ、俺ら独りでか?」
「これを持ってろ。イザと言うとき身を守れ」
両掌に乗る弩を渡される。首から掛ける。
「ここに足! 踏ん張って」
引き絞られてカチリと止まる。
「此処に矢を置く」
ロブ、言われた通り石段の途中から木の枝に渡り、枝葉の中に身を隠す。
◇ ◇
女が連れ込まれた荒屋の中。
烏の羽やらカルタやら散らかっている。安手の飾り付け。
髭面の元傭兵と『黄色の殺人者』と呼ばれた優男が二人。常に一直線上になるように女を挟んで立つ。何度も場数を踏んだ。手慣れた手口だ。
つい余裕で余計なことを喋る。
女は女で、黒魔術なら此処は斯うこうだとか、あれは宗派が違うとか、なんだか逆に講釈し出す。
確かに此処いら、鬼とか魔人とか魔女とかの本場と囁かれている地方ではある。
「俺たちの仕掛けって、この地方じゃ通用しないんだろか?」と髭熊。
「ちょっと・・此れでは地元の者は納得しませんね」
黒髪娘が割と本気になって説明している。
「姉ちゃん、危機意識ねえの?」
◇ ◇
樹上の下男ロブ、背後の物音に思わず首を竦める。
誰かが階段道を降りて来る。
暗闇の中、枝葉の陰に潜みながら冷や汗垂らす。
階段を降りて来たのは小柄な修道士がひとり。
革の柔らかい靴で、足音らしい足音が無い。
葉陰のロブ、必死で息を殺す
階段を降りた修道士、暗闇に潜んで例の荒屋の様子を窺っている。
自分の胸が早鐘のように鳴動して周囲の音が聞こえぬ程だ。
だから視界にもう一人の男が入ってきたとき、危うく叫ぶところだった。
心臓が口から飛び出して木の根元まで落ちて、坂を転がり落ちて行きそうだ。
今度やってきた男は傭兵のような服装。
腰に下げているのは鍔が見えぬので、剣ではなくて三四尺ほどの警棒に見ゆる。
ということは、さっき連れて来られた女の派手な服は色街の女のものに違いないので、町内で警備に雇われている傭兵か何かだろう。などなど考えていると、段々と落ち着いて来る。動悸も治まって来る。
笑い仮面の大将が言ってたことを思い出す。
あの危なっちい二人組が連れて来ていた派手な服の女、力づくって様子でも無かったから、騙してお持ち帰りして来たんだろう。んで、廓の女を連れ出すのは大概どこの街でもご法度だ。だから警備の兄さんが飛んで来た。此処までは理解かる。だが、あの坊さん誰だ? 見当つかねえ。
待てよ。あの兄さん警備員なら踏み込んで「お客さん困りますね」で良い筈だ。なんで、あんなとこで隠れて様子みてんだ? あの二人組が強そうだから加勢が来んのを待ってんだろか?
見てる男が俺入れて三人。見物客が多すぎる。
◇ ◇
笑い仮面の大将は怒っている。だが、この面だと怒鳴っても今ひとつ威令が届かない。それに実は、怒っているというより困っている。
「なんで飛び道具なんか渡したんだ。万一捕まった時に言い訳立たねえだろうが」
「だって大将、あいつナイフなんて渡したって使えねえし。弩なら押しゃ一応は矢が出るから」
鼠男が抗弁する。
「素人が撃って当たるか!」
「構えりゃ脅しんなりゃすよぉ」
「言い争ってる時間が惜しい。回収急ぐぞ」
大男、戸口から戻って来る。
「大将、拙い。人が来た」
「何処だ?」
「階段道から二人降りて来た」
「都合よく通り過ぎちゃあ呉れないか」
「駄目だ、下へは降りて来ねえ。あっち関係者だ」
「見つからねぇのを祈るだけか。隠れてお呉れよお月さん」
◇ ◇
オルトロス街の空中庭園。
判事保閣下接遇の宴に、ギルマスが澄まし顔でオープニング・スピーチ。たぶん誰も聞いていない。
参審人マリウス殿、スレーナ嬢の不在を盛んに気にしている。
ファッロ、協会職員の上っ張りを着て立っている。判事補閣下、ときどき目が合うとウインクなんてして来る。閣下に於かれましては『自分所の手の者』な位置付けなんだろうか。もしかしてプフスでの活動すっごくやり易くなてったりして。
あ、考えてみれば・・被誘拐児童奪還で警部さんに金一封貰ったときって、きっと報告が上がってんだよな。
でも、気掛かりは例の女性。ローラと二人で協会のエプロンして普通に給仕で働いてる。こういう切っ掛けで立ち直ってくれると嬉しいな。ローラも、胸に大きく協会の紋章つけたエプロン姿。なんか楽しそうだ。
今日はこんな感じで一日平穏に過ぎてくれるだろうか。
そういえば、ラマティのルイジさん、どうしたかな。弟さん、俺と同年配だったらしい・・
◇ ◇
ルイジ・ダ・ラマティは西の草庵に居た。
結局、歩いて村に帰るのは諦めた。夜旅が嫌というわけでなく、やりたい事が出来たからだ。閉じた南門の前を何往復かした挙句、結局最後はフラ・ジェヴァンニを訪れることに決めた。
村の事件のことを詳しく話す事は無かったが、弟を殺したタンクワルドと弟の妻を見殺しにした自分は同罪である、と静かに語り告解を受けた。
「許すというのも烏滸がましいが、責める資格がありません。落とした髪のひと房も村へと持って帰ります。讐を討っても、もう誰ひとり倖せになんぞ成らぬから」
そして一泊の宿にありついたことを喜んでいる自分を、少し恥じた。
◇ ◇
北区の荒屋、出家したタンクワルドが未だ騎士崩れの暴漢であった頃に、合流する手筈であった『黄色の殺人者』が地面に座り込んで悶絶していた。肩口から、捻り上げられた腕の脇下へと、白い大蛇が絡み付いて彼をいま将に締め殺さんとしている。白い大蛇の正体は、女の太腿であった。
◇ ◇
石段脇の樹上、ロブが異変に気付く。
警備員が修道士の背後に忍び寄って羽交締めにした。いや、左手一本だから羽交締めとは言わないか。ともかく修道士は片手で制圧された。そのまま修道士を大盾でも構えるように凄まじい膂力で持ち上げたかと思うと、警備員が荒屋へ向けて突進する。そして扉ならぬ板壁を蹴破って闖入した。その暴力的な有様に、ロブ絶句する。
警備員は入って行った。
だが物音も声も特にしない。静かだ。
少し待つが、全く動きがない。
ロブ、少し身を乗り出す。
蹴破った穴に人影。
さらにロブ、身を乗り出す。この時に弩を構えた姿勢だったのが不可かった。
左頬骨の当たりに拳闘士の拳骨でも食らったような衝撃で目から火が出る。当に火花だ。
薄れる意識の中で地面がこちらに突進して来るのが見えたが、衝突前に意識が飛んだ。




