101.憂鬱な文句の人
《三月九日、日没近く》
北区川端南、隠れ家。
旅芸人一座を装った『モンク』ら一味、成る可く外から目に付き難い窪地の穴屋の陣取った。が、所詮は谷間の底の如き地形である。三方の高台からは丸々の丸見えだ。
西は城市外郭の西壁。南流する西川を外濠がわりに聳えている。
南は西区の高台。高級住宅街が旧城壁の上に広がって、北区の貧民街を見下ろして、まるで天国と地獄だ。
自然地形の丘陵を囲った旧市の北壁だったのが、北区を拡張した折に旧城壁と丘の間を埋め立てて、新たに出来た造成地だ。こうしてエリツェの町の政治経済を動かす中枢・中心街のすぐ裏に、新たな一等地が誕生すると、東区の御屋敷町には手が届かない新参富裕層が挙って屋敷を構えた。もとの城壁は擁壁として整備され直し、旧北門も区界の大木戸として残っている。・・というより、高級住宅街の住人たちが、己が財力・政治力で作らせた城壁と城門である。貧民街の連中を入れぬように。
東は寺町の台地。旧城時代の本丸があった高台で、これも寺裏川を外濠がわりに城壁が残っている。崩れた旧城壁の斜面を這い上がる様に、坂に屋根を差し掛けた貧民の小屋が貼り付いている。そのあたり、この谷底から丸見えなのだ。
「前に、あの地下水道から寺裏川に流れ出す出水口で死体が見っかった時って、ありゃ城壁の上を巡回してた北の門衛が見付けたんだったよなあ」
渋い顔をした『モンク』が呻くような声。
「そんなことも有りゃしたね。ほんの三四日前なのに、随分昔な気がすらぁ」
「なんだか烏が異常に集まって、不吉そうなのが見えたって・・言ってたなあ」
「この距離だろ? あの手配書にあった陰気なツラした細面の男だって、どうして気づいたんだ?」
「ガスの兄貴が『貧民に見えない野郎どもが来た』って言って、俺が近づいてツラ見たんだよ」と、鼠男。
「はぁ、青い鳥が自分ちに居たりするわけだ」
「なんのこったい?」
・・まぁ、見付けなきゃ知らぬ顔でよかった厄介鳥か。
◇ ◇
城市外郭、西壁の上。
「城壁の上って結構おっかねいんだなあ」と、傭兵じみた風体の男。
「そりゃあ落ちたら大かた死にますからね」
巡回の門衛が事もなげに言う。
昔ながらの城壁は、古い技術ではあんまり急勾配が造れなくて、お猪口を伏せたような断面になるが、北西側の外壁は新しい時代の物なので下まで急勾配だ。
「僕らだって、天候の悪いときは櫓のある塔から出ませんよ」
「無理もねいわな」
櫓があるのは、ここらでは分庁舎に近い乾櫓と西区の旧櫓、そして今到着した西新櫓だ。
「さすがに良い眺めだねぇ、こりゃ」
「天気が好けりゃですが」
遥か西の山々や、アヴィグノ方面に向かう峠まで一望出来る。
「夕日が綺麗だぜ」
「寛いでて良いんですか?」
「多分これから嫌なことが続くからな、その前に気分をお洗濯しときてぇんだよ」
「夕方にお洗濯じゃ、乾きませんよ」
「そうだな、夜に陰鬱は嫌だな」
振り返ると足許の貧民街はもう城壁の影が覆っている。
「南側の大階段を出入りする者は、西区大木戸の門衛がチェック入れてます。北の、東区倉庫街には御屋敷町の私設衛兵と北門の門衛で二重の検問。北区が腐ってスラム化するのは当たり前ですよ」
「鶏と卵、どっちか知らねえけどな」
「で、寺町からの階段道はここから見えるわけですが、そんなとこ見張るのは門衛の職務じゃ有りません。ここに市警の方から監視員を置きたいという話は過去何度もあって、我々が反対したことなんて一度ったって有りませんが・・」
「まあ、警吏がここに常駐勤務を命じられたらアレだ、左遷された身の不遇を嘆いて西川に身ィ投げちまうな」
「『放免』を寄越すのだけは止めて貰いたい。過去に何人か酔っ払って落ちて死んでます」
・・そりゃ火の見櫓で酒飲むようなもんか。
「それで、怪しい奴の出入りが有ったのは?」
「あそこです。階段道を降りて右。いま丁度、櫓の影が差した、あそこ」
「あそこか」
スパ曹長と若い門衛、日の暮れぬうちに西区へと戻る。
◇ ◇
川端南の隠れ家。
「鼠男、下男を連れて南の大木戸からぐるっと回ってブシャールの手下がいた辺りへ行け。なんとか奴らと接触して、おい! 下男! お前の口から主人が死んだと伝えるんだ。作戦中止で撤退だとな」
「んへへぃ」と、下男ロブ。
鼠男が怪訝な顔。
「ようがす。でも、なんで遠回り?」
「西の櫓を見てみろ。番兵が城の外じゃなくて内ぃ見てるぞ」
「大将、それって取り越し苦労と違いますかね。俺ら派手に河原乞食の扮装してやすから、これ見よがしの方が自然じゃねえですか?」
「んん、んなら直でいい。とにかく頑張って繋ぎを取れ」
◇ ◇
丘の上の僧院の庭。
尼僧たちは夕べの祈りに堂宇に入り、子供らが遊んでいる。
娼婦マグダレーナが呟く。
「お客は髭面の熊みたいなの二人組の一方かぁ・・うう、気が乗んないな」
「髭面クマ男と、もう一人は此の痩せた男」
気配もなく突然に黒髪娘が現れて、手配書を見せる。
「そうじゃ。その男じゃ」
寺男の老人と子供らが囲む。
「あー、おしりの小さいおねーさんだぁ」
先刻協会の大広間でスカートを捲った子供が指を差す。
「小さいかしら・・ 犯罪者の一味です。行ったら危険ですわね」
別の少年がスカートを捲る。先日彼女が内腿に装着した短剣を触る振りをして足に触って拳骨食らった子である。
「きょうは、たんけん ない」
素肌の内腿を撫でる手が上の方を探検する。
拳骨を喰らう。
「市警に知らせる?」と、マグダ。
「たいほー」「たいほー」子供らが皆で囃す。
「知らせるのも良いが、現行犯でないと身柄を押さえられません」
拳骨食らって耐えている。
「げんこーはんだ」と、子供ら。
現行犯が、黒髪娘の蚫窩を未だ触っている。
「この子、たった一日で苦痛耐性が発達したのでしょうか」
拳骨を二発目。
だが死んでも尻を離さない。
「ある意味、見どころがある子だわ」
肘打ちで芝生に沈む。
「殺しとらんじゃろうな?」
「ちょっと育ててみたくなりましたわ」
「立派な燕に育てんなよな」と、マグダレーナ。
「こうしましょう!」
黒髪娘、絹のドレスをさっと脱ぐ。
男の子らが皆で万歳する。芝生に倒れ込んだ子も、目を丸くして見上げている。
唖然としているマグダ、倏忽に黒髪娘の手で丸裸にされる。
黒髪娘、殆ど透き通った絹の肌着の上に、マグダの衣装をさっと着け、スカートを履く。胸には娼婦の鑑札。品よく結っていた黒髪を乱し、婀娜な嬌態。
全裸で唖然としているマグダに、ぽそんと絹のドレスを渡す。
「じゃ、行ってきます」
「うは、あの気風!」
老人、顎が落ちたまま。
マグダレーナ、夕方の風に嚏ひとつ。
◇ ◇
寺町男坂の一角、風呂屋を見下ろす高殿に見番がある。組合長は辛うじて未だ二十台の女将、帳面を付けている。
組合長の横には、ちっともお席が掛からないので殆ど事務員と化している娘がひとり。あとお茶を挽いているのが三、四人。男は使い物にならない幇間が、使い走りの代わりをしている。
もう一人、寝椅子に転り寝ているのは、時折現れては用心棒めいた仕事をしていく重宝な男だが、正体が警官だとは女将しか知らない。尤も、警官に再就職する前の密偵時代からずっとの腐れ縁らしいが。
「そろそろ、なんか来るぜ」
『山猫屋』紐亭主の禿げ茶瓶が現れる。
「どういうこと! 初めて見る顔の娘が来て、外に連れ出されたって?」
「あーっ! 女将さん、『山猫屋』でマルテさんがダブルブッキングですぅ! あたしの冲和だぁ!」
「『信じられない上玉』の新顔って、どゆこと! 組合にそんな娘いないわよ!」
禿げ茶瓶が湯気吹かずに青くなっている。
「どうやらイレギュラー発生だな。俺が出る」
「スパさん! お願いね!」
「スパいうな」
◇ ◇
丘の上の僧院中庭。壁の上に子供が馬乗り。
「ぼんさん! いごいた!」
「動きましたで御座りまするか」
ヴィレルミ助祭も動き出す。
夜の垂帷が降りて来る。
◇ ◇
川端南の隠れ家。
「あれか?」
「あれでさあ」と、大男。
「鼠男はすれ違いか・・痛恨だ」
すっかり暗いが、女の真っ赤なスカートはまだ目に付く。
逃げられないよう、気づかれないよう、女を男二人が前後に挟んで連れて来る。
「派手な服だ。商売女を拉致してきたな」
「何を・・やらかす?」
「奴ら、なんとかいう薬屋を陥れるために危ない犯罪をやらかす気だ。それも人様が怖気を震うような悪事をな」
「どうしやす?」
「もう・・始まっちまった」