99.憂鬱な冷やかし客
《三月九日、夕刻近づく頃》
西区、某老舗薬局支店。
「この下痢止めと便秘解消の両方に効くっていう凄げぇ薬を調合したなぁ、ここの店主さんなんで?」
「よくご存知っすね。店長は三男です」
「はぁ?」
「ここは中央区にある町一番の老舗薬局『ベリンゲリウス本舗』の西区支店で、店長さんは三男でさぁ」
「はぁ、さいなんすか・・」
気が抜けた元モンク。
・・何だこりゃ・・。俺らがインチキ工作して民衆に『魔女』騒ぎ起こさせといて、満を持して異端審問官さまが出馬するってシナリオ・・此処いら南部じゃ通用しねぇぞ。
腑抜けた蛇づらの店員が続ける。
「当店の店長、そりゃもう町で指折りの魔力持ちでして。調合する薬も凄いんす」
・・何なんだこりゃ・・。二十四年前にあんな本物くさい凄惨な魔女騒ぎが有ったってぇのに、魔力なんたらがネタで罷り通ってんのかこの町ゃあ。下痢と便秘の両方に効くって謳い文句の薬とか、誰が買うんだ。
「店長が魔力を込めて調合した『すべての状態異常を解消する丸薬! 小瓶ひとつ1ファン」
「安いじゃねぇか」
「症状の重い方には、こちらのゲリヴェナオールチンキ! 成分は同じですが、丸薬は日持ちがして持ち運びしやすい。こちらは少々取り扱いが面倒ですが、そのぶん効能は勝ります」
能書き垂れる店員の顔を見る。
・・矢ッ張りこの店員の顔、抜腑蛇にしか見えねぇ。
この店員、ぶっ殺してアグリッパの町あたりでギルドに持ち込んだら『レア・モンスター』討伐で賞金出ねえかなあ・・ いや・・ヒト族だから殺人罪ン成っちまうか。抜腑蛇なんてモストロねえから。
「こちらの浣腸器で直接入れるのが一番効きます。こちらが旅先でも持って歩ける携帯浣腸器。たった銀貨三枚です。こちらの革製高級ホルスターに入れて腰に下げると格好いいですよ」
「浣腸器をかよ」
「ちょっと体の具合が悪くなったら、何処でもお尻に挿して浣腸が出来ます」
「何処でもって・・近くに便所ないと困るだろ」
「なんの。草むらのない旅先ゃ有りませんし、町なら便所のない家はありません」
「この店は?」
「おまるは商品です」
なぜか試供品が、店の隅に置いてある。なぜそこに!
◇ ◇
便所のない家は無いか?
嘘だ。それは金肥を農村に売却する風習のある一部の南部人の町だけである。
殆どの地域では森の腐葉土を利用する程度の粗放な農業が行われているのが実情だ。しかも連作障害の出易い小麦に重度依存しているため、耕地が広い割に生産性が低い。
嶺南地方の農業事情に就いては別段に譲るとして、この南部人の町にも実際には便所の無い家が多数ある。それは別棟にしている場合である。
人間の生命活動には常に清濁両面がある。例えば祈りは皆な諸共に稽首くし晩餐は皆と一緒に摂る。言い伝えでは男女の同衾が公然であったというが、今は非公然の娼館などで見られるのみ。そして古歌謡に席を並べて談笑しながら排泄した話など残っているが、到底も当代の人士が出来る事ではない。
我思惟うに是れ、人の清濁のうち『清』而已残し、『濁』を切り捨てて来た歴史の赤裸々なる偽善に有ら非るか?
嘗て或る慧眼の文士が、この切り捨てられた『濁』の文化を『便所文化』と名付けたのだった。その中核は男女の性愛に関する文学である。この研究に就いて興味あられる方は、ヴィレルミ助祭の著作を一読されたい。あ、失敬。残念ながら一般公開されて居らぬ。
◇ ◇
丘の上の寺院。ヴィレルミ助祭は思い倦ねる。
流石ここの子供達、近在の事なら彼らに尋ねれば手にとる様に判明る。ブシャールの手下らが潜伏して居るのは目と鼻の先。直ぐ目の前の石垣の向こうは大の男の身の丈三人分程もある昔の城壁下で、何のことは無い、何度も行ったことのある蒸し風呂屋隣りの曖昧宿であった。
左様。此処は昔の本丸跡で周囲をいくつもの曲輪が囲んで居るのだった。その曲輪の一つが今は女郎の廓である。よく出来た話だ。
早い話、連中の潜伏先はその石壁のすぐ先だった。壁に登った子供らが遊んでいると見せ掛けて、ちらちら向こうを窺っている。座して居って奴らの動きが直ぐに知れる。然し動かぬ。
日暮れを待って居るのだろうか。
いや此処の子供達、飴玉ひとつで良う働く。
「一件片付いた暁には、ここの孤児院にも匿名で何か寄進させて頂く所存で御座りまする」
・・などと、つい呟く。
修道士では無いので私財は有るのだった。修道士は出家した時点で死去したのと同じ。だが助祭は親の資産を相続できる。
「折角あるのでごじゃります。斯ういう所に使わねば」
◇ ◇
中央区北、公文書館。
「んちわぁ、探索者ギルドの方から来ましたぁ」
「ああ、助かった。待ってたよ。よく来てくれました」と、喜色満面の司書服姿の騎士フェンリス。
書類を一瞥。
「ダニエル君かぁ。若いのに、こんな精悍な猛犬を二頭も自由自在って、凄いね」
「吠えないよう良く躾けてあるし、おれが命令しないと絶対に人を襲わないです。繋ぎっぱなしの番犬には使えない子らなんです」
フェンリスが撫でると気持ちよさそうな吐息。膝を突いて二頭の首を抱くと、大犬に凭れ懸かられて蹌踉めき気味になる。顔を盛んに舐められる。
「あはは、食べられちゃいそうだ。綺麗にしてるね。足を拭いてあげる。部屋で寝ていいよ」
ダニエルと二頭、宿直室に入る。
「ベッドはここ。昼間は隠してあるけど、此処を、こう!」
「あ、出て来た!」
抽斗の如くである。
フェンリスがベッドに腰掛けると二頭が左右から膝に顎を乗せる。
「この子らがこんなに懐く人って、初めて逢いました」
なんか同族っぽく慣れ親しんでいる。
「聞いてると思うけど、見廻りとか為なくて良いよ。誰か尋ねてきたら其処の小窓から覗いて、扉は開けない。火急の用事だとか言われたら、奥の僕らを呼ぶか、僕らが留守なら原則断る」
「了解です」
「警戒するのは放火なんだけど、此処はむかし市長の官邸だったとこだから、一度戸締りしたら外からは些少やそっとでは侵入できないし火も点かない」
「ちょっとしたお城みたいな作りですもんね」と、ダニエル頷く。
「実は一箇所だけ、裏の庭に簡単に入り込める門がある。でも、その先には御屋敷町の番兵が必ず立ってる場所がある。基本、心配なし。もし僕らが留守したまま朝になったら、裏から帰るといい」
と、玄関の方に気配。
「誰か来たかな?」
司書殿、接客に出る。
ダニエル、宿直室のあちこちを見回す。玄関を見張る隠し窓とか、緊急時に塔の半鐘を鳴らせる鎖とか、色々熱心に検分する。先程に司書殿がしていた様に寝台に腰掛けると、矢張り左右から犬たちが膝に顎を載せて蹲る。両掌で彼らの頭を撫でながら満足げに呟く。
「よしっ」
「御殿みたいな家で柔らかい寝床、昼間はギルドで別の仕事受けて良し。長く勤められたら最高だな」
この町の犬遣いなら人後に落ちない自信がある。
なんたって所得倍増夢でない。
「がんばろう」
◇ ◇
オルトロス街の空中庭園。
黒髪のスレーナ嬢が判事補殿一行を案内して来る。花園など見る。
黒いプリンス閣下と呼ばれたお人、人工草原で裸足の娘ふたりを見つけて手を振ったり、上機嫌のご様子。今日は毫も黒くない。
ファッロが帰ってきて、プリンス閣下とちょっと目が合う。ファッロの挨拶より閣下の方が先に微笑んだりする。あの人、法廷にいた人の顔とか軒並み覚えてたりするんだろうか。或いは或いは若しかして、ミランダ姐さんの乾分という話が通ってたりとか・・。
雲の上の人が自分の顔知ってて、ちょっと怖くなってるファッロであった。
と、例の女の子が配膳を見ている。
四方に薪を積んで反射板を立て、夜に冷え込んで来るのに備えた炉を設えたその中央に、真白いクロスを掛けた長卓。背凭れの高い椅子が囲む。大皿を乗せる陶器製の台が持ち込まれる。
じっと見ていた彼女、すっと駆け寄って厨房徒弟が慣れない給仕の真似事をして居るのを手伝い出す。未だ料理は無いので、カトラリーの配置とかだ。
スレーナ男爵家令嬢クラリーチェ、見ていて呟く。
「あの娘、貴族家で教育受けてますわね」