95.憂鬱な情報通
《三月九日、午前》
エリツェの町、オルトロス街の協会会館。
ファッロ、四階の客室を静かにノック。
「いい?」
「おかえりなさーい」と、ローラの声。
そっと室内を窺うとローラ、例の女性の肩を後ろから抱擁して、頬寄せるように為てベッドに座っている。
女性、男の声に一瞬身を硬くする。
「だいじょーぉぶ! あれがファロちん。あたし、ファロちんのおくさんなの」
咄嗟の緊張が氷解したようだが、まだ目を合わせては呉れない。
「部屋に閉じ籠ってないで、屋上の花園に行ってみないか?」
「わー、きょうも行っていいの?」
「許可もらって来たんだ」
八階の屋上庭園。
「ここ、お花ばたけ! あっちは森みたいでしょ?」
若い衆がレセプション会場の設営してる辺りはスルーして、『裸足で寛げる庭』のほうに行く。三人して草の上に座ると、ローラが寝転がって、端までころころ転がって遊び始める。彼女、そんなローラを見ている。
まだ目は合わせて呉れないが、口元が少し綻んだ。
◇ ◇
会館向かい、カイウスの店。
樽に腰掛けたアルド少年とジーベル。
「なんだろうね、いまの馬車」
「ギルマスや金庫番嬢が玄関でお出迎えか。あと、たぶん市庁のお役人たちも並んでた。相当のお偉いさんだな」
「今日も大騒ぎっぽいね」
下手に歩き回らず、定点で待つ作戦にしたようだ。
◇ ◇
会館一階、判事補殿をヴィナ嬢がご案内。組合員達の注視を浴びながら大名行列の如く大広間を横切って応接へと向かう。
「本日の進行はぁ、最近発生した事件のうち法域を跨ぐ可能性のある事件に就きましてえ、管轄法廷の線引きの協議をいただいた後にぃ、現行犯逮捕者等の中に代官所の指名手配犯がいないか面通しと首実検を予定しておりますぅ」
判事補殿、小声で囁く。
「(ヴィナさん、今日は随分と物々しいじゃないか)」
「(だってぇリンちゃん、こないだ市庁に提出する書類に『侯子』って署名しちゃったじゃないですかぁ。すっと刑部ルテナンさんの単なる上司Iudexさんで通して来たのにぃ)」
「(あ、ぼくの『うっかり』の所為だっけ・・)」
◇ ◇
寺町、丘の上。
皆でお祈りの後、尼僧院長さまが朝の講話。
日常の風景なはずだが、今日は子供らが三倍ほども居る。
昨夜の騒動で、安全を考えて子供ら皆を講堂に泊めたので、朝食が大変なことになった。
「へふぅ〜」
尼僧アンヂェリカが芝生で大の字になっている。
「これこれ、院長様の講話中でござりまする」
と、修道士の扮装をしたヴィレルミ助祭。
「だって、疲れたんでふぅ〜」
「作るより食べてお疲れでは?」と、助祭。
「そりゃ食べましたけど、食べなきゃ働けませんよぉ」
「働くために食べる。食べるために働く。等速円運動でござりまするなあ」
「そりゃ、どっちか一方ばかり溜まっちゃったら人間が破綻しちゃいますわよ」
「ふむ。働く方ばかりに傾けば心と体が破綻する。食う方に傾けば財布が破綻する。道理でござりまするな」
「その働いた余りを、働かない領主が食っちゃうのが世間ですねどねえ」
「左様。神の恵みが太陽から降り注いで小麦が稔りまする。領主は土地の賃料や肉体の賃料を取りまする。しかし土地の所有も身体の所有も、神が定めたという記録はござりませぬ。領主が剣で制りたる者なのでござりまする」
「強奪じゃんか」
「金銭で売り渡したにせよ、讐として戦い敗れて命を贖いたるにしろ、人と人の自由な契約ならば、それは自由な人の営み也」
「泥棒された者なら?」
「裁かるるべし」
「誰が裁くのでしょうかね?」
「それぞれの法域で、其処の裁判官が裁きまする」
「それって、やっぱり領主じゃないですかあ。領主が泥棒なら、どうすんの」
「ちと誤解がありますな。判決を発見するのは被告と同じ身分の者。裁くとは、皆が妥当と認めた判決を、確定した判決と宣言することでござりまする。つまり裁判官は単なる司会者」
「泥棒を泥棒仲間が裁いたら、甘々お裁きじゃないですかぁ」
「大丈夫。泥棒の敵は泥棒でござりまする」
「ほんとかなあ」
不満げな尼僧アンヂェ。
ヴィレルミ助祭もアンヂェの横に、ごろり寝る。
・・これで、あの協会便を受け取りに来る者を待てばよし。
「お坊さまも芝生でごろ寝?」
「神様の栄光たる太陽の光を見に浴びる・・礼拝の一種でござりまするなあ」
「うん、昨日は曇りだったもんね」
◇ ◇
東門。
「なんの騒ぎなんだ?」
「怪しい男が通行証なしに入り込みましてね。ちょっとした捕物が始まるかも知れんのです」
驚く入市希望者。
「通行証無しに入市? そんなことが出来るのか?」
「俺らの失態です。顔の知れてる市民と談笑しながらスーっと通ったんで、知った顔の別の市民と間違えたんです」
「そりゃ大変だな」
「すぐ追いかけたけど撒かれちゃって、明らかに挙動不審者です。この時間帯は門前市で人手が多いから、つい顔パスさせた俺らの責任なんです」
「事件にならなきゃ良いが」
男、何か思い当たる節があるのか怪訝な顔で通行証を出し出す。
「傭兵さんの資格登録証ですか。ギルドは真っ直ぐ行って小さな犬のブロンズ像を左です。広場の真ん中に大きな犬の像があるから、犬の尻尾の向きを辿って行けば、すぐ分ります」
「おう、こいつぁご親切にありがとう」
この町の門衛はフレンドリーなので有名だ。無愛想な警吏と対照的だ。
いかにも傭兵という髭面の男も、風貌に似合わず丁寧に礼をして通って行く。
◇ ◇
不審者は、最初に南門前に現れて警吏に見咎められ、一旦は去ったのだった。市警と門衛局の連携がもう少し働いていたら、東門で止められていた所なのだが。事実、警吏同士の連絡はすぐ取ったのに、門衛局に知らせたるは結果的に結構後回しにされていた。
一方で、門衛局が市警に不審者侵入の通報を入れたのは迅速だった。
連絡を受けて、南倉庫街区域担当のティーア警吏が東寄りの地区に急行した。
未明から早朝にかけて賑わい、逆に明るくなると真夜中並の寂しさになる生鮮系の倉庫街の裏路地。
東門から追跡した門衛言うに、余所者と思えぬ土地勘で振り切られたとのこと。つまり暗に、談笑していたという相手の市民が逃走に関与していたという。
「う? やな臭いだな」
ティーア警吏、場違いな糞尿臭に、と或る路地裏を探る。
「嫌な感じだ」
不審者と談笑していたという市民の風貌と一致する絞殺死体が、無造作に木箱の山で埋まっていた。
「やれやれ、利用後すぐ廃棄か。あっさりしたもんだ」
◇ ◇
オルトロス街、協会会館。
受付は黒髪娘一人だが、十分回っている。
アサド師一行が入って来る。
「お? 今朝はよく会いまするのう」
・・やっぱり、しっかり気が付いてたかい、と典礼主任。
「副院長さまも西に東にご多忙の様子、相変わらずお元気でらっしゃいますなあ」
「頑丈が取り柄じゃわい」
「クリスちゃん、珍しく娘さんらしい格好しとるなあ。そろそろ佳い人でも出来る頃と思っとったけど、スレナスの兄さんは無理めだぞ」
「やだなあ、そんな高望みしないですって」
「クリスちゃんも良い家の子なんだろ? 家格も釣り合いは取れとるのになあ」
「みんな同じ自由人ですよー」
「人命のお値段は倍も違うんだぞ?」
「いえいえ、女はお得な半額セールですもん」
「これこれ、人はみな同じく神様の似姿じゃわい」
「馬だと出来不出来ゃあ結構ありますがのぉ。高く売れるの売れないの」
「そりゃ働き者に給金が高いのと同じじゃろ」
「でも、売れない馬は馬肉鍋ですぜ」
・・あれ? 乗ってこないな。人身売買の事件は探っとられんのか。追ってるのは、子供の誘拐の方だけなのかな? 確かに別口な気もするし、余計な情報入れると混乱させちまうかもな・・どうしよう?
「クリスちゃん、ご実家の方の事件だけど、野盗が一網打尽になった話、スレナスのお兄さんから聞いとるよね?
・・え! そうだっけ? これ、知らんと事情通ぶった手前、恥ずかしいかな。
「スゴイデスヨネー」
「うちも野盗の誘拐被害者らしい女の子を保護しとっててさ・・」
「タイヘンデスネー」
アベル少年らが覗いている。




