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87.憂鬱な曹長ふたたび

《三月八日、夜更け》

 エリツェの町、西区外れ歓楽街。『金曜』亭の一室。

 典礼主任ハンスが鰻を食っている。

 壁に左耳を付け、左手に料理の皿。そして右手に串の棒。

 聞こえて来る睦言が次第に身の上話になるのを聞いている。


「その頃、俺の家はとにかく金が無くて、叙任式典が開けなかった。もう騎士になるのは諦めようと思った矢先だったのさ。老いぼれて彼岸に行ったときご先祖様に不甲斐無い自分を詫びようかと、な」

「其れ、そんなに大事な事だったのかい? 別に御身分ひとつ格が上がるとかいう訳でも無いんだろ?」


「解らんかなあ。上が詰まってる社会ってのは、おんなじ位置にいた積りでも、他の誰かが上に行ったら自分はズリ下がってるのさ。あのとき俺はあせってた」

「そういうもんなのかい?」

「商家の者だって人に使われる番頭で一生終わるのと、暖簾分けてもらって旦那と呼ばれるのと、人生違わないか?」

「そうたとへて貰うと少し理解わかる気がするかな」

「まあ皆が悩むところさ。お披露目が出来る甲斐性が無いんじゃ、一門を率いる侍と見ちゃ貰えぬ。従者のまんまさ」

「侍って従者の意味じゃん」

「だから『侍』と『お侍』の違いだよ」

「わかんないわ」

「じゃ、『家人けにん』と『御家人ごけにん』が違うのは分かるか?」

「わかんないわ」

「うーん」


「ま、肝腎なとこが金次第なのは理解わかった」

「不本意な理解わかられ方な気がしてならねえ」


                ◇ ◇

 また寺町坂下。

 南側角地には『坂下亭』という割と格式ある店に灯り煌々と賑っているが、はす向かいは寂れた飲み屋。

「いねえぜ・・」

「ロブの奴、何処ぉ行っちまったんだ」

 界隈は探した。

はぐれたら彷徨は禁物だ。此処で宿とって待とう」


「お前ら、日が落ちたのにいる場所を未届だ。罰金刑だぞ」と、ニクラウス曹長。

「わっ! 突然出た」」

「南無南無」

「拝むな手前てめえ! 化け物じゃねえ。罰金とる市警だ。ちなみに死刑にはしない」

「届けに行ったら、旦那留守でやんしたぜ」

「そうだ、居なかった」

「届けらんねえ」

「俺に届けろと言った様に聞こえたなら俺の手落ちだ。今日は許すが明日から届けろ。署の誰にででも良い」

「それより旦那、ロブが居ねえ」


「迷子か?」


                ◇ ◇

 ニクラウス曹長が反省する。

 ・・目先の騒動に忙殺されて、俺はもっと根の深い問題を忘れていなかったか? 俺はもっと大所高所から、あまねく広く情勢を見るきじゃなかったのか?

「こういうとこ、クヨクヨ悩むって・・俺が地元に馴染めてないとこだよなあ」

 溜息つく。

「もっと馬鹿になんなきゃ」

 馬鹿とか言ってる時点で馴染めてないニクラウスである。


 賑わう坂下亭の店先に入って行く。

 農村の衆が盛り上がっている。


 警視の姿を見付ける。

 酩酊なさってる。


 おいおい! ここって戦略的に重要なポイントだから押さえたんじゃないのか?

 仮本部でも立ててるのかと思ってたぞ。

 これって只の飲み会だろ。

「あ、ニクラウス君。いいとこ来たのう」

「オルトロス街の連中が来週の『松明行列』だと称して事実上の軍事行動ですよ。分かってらっしゃる?」

「そんなの囲炉裏の中で薪がぜた程度じゃわ。蝿がたかる前に生物なまものが燃えて呉れれば重畳じゃわい」

「生物? 何の事です?」

「ブッカルト、片付いたじゃろ?」

「昼に現場検証した、あの案件ですか?」

「あの蝿が寄って来たベレンガー家の掃除も済んだ」

「門衛局長が慌ててた『あれ』ですか? 片付いたんですか?」

「綺麗に片付いたとは言い難いが、エルテスに飛んだ早馬は到着しておる筈じゃ」


「あの事件と繋がるのですか?」

「ブッカルトは、審問官が摘発を始める前に、予め『動かぬ証拠』を仕込んどく燐寸まっち工作員なんじゃわい。それが始末されたら、あとは仕込み途中のネタを焼き捨てときゃ宜しい」

「始末? 誰が?」

「言わぬが花じゃ。言わせるな」

「蠅の類がぶんぶんと嗅ぎ付ける臭いものとは?」

「我らも嗅がぬが吉じゃ。何せそりゃ、くーさいからのう」

 はぐらかされてしまった。


「この、オルトロス街の連中の馬鹿騒ぎも、掃除だと?」

「そうじゃ。掃除じゃ」

「此れが、閣下の仰っていた『邪論』ですか!」

「そうとも言う。我々で手が負えん物には羽根伸ばさせて、勝手にもっと大きなものに打撞ぶつかって潰れて貰う」


 わけ理解わからないことが多すぎる。

「ベレンガーの遺体は寺裏川を流れて行ったそうじゃ」

「それも市警は蚊帳の外ですか」

「誰か死体を見たのかな? 誰か訴え提出したかな? 市警の出張でばる幕は無い」

 そんな大所高所にゃ立ちたくないなあ。俺じゃすぐ墜ちて死にそうだ。


 見回すと、戦略ポイント押さえた此の場に、警視と一緒にいるのは・・情報系の私兵か。また何ともクセの強そな連中を揃えている。暗躍しまくりの食えない爺さんだ。


 聞いてりゃ、なんか手下を連合会館に潜入させる話になっている。

 もう勘弁してくれよ。俺、現職警官なんだから。


 勘弁して貰えなかった。

 女エージェントのバクアップを命じられた。

 しっかし是の女、凄い格好だ尻が出ている。貞操観念とか無いんだろうか?

 そういえば、さっき閣下とえらく仲良さそうだったなぁ。閣下、年齢弁えろよ。

 だいたい此の娘、たぶん未成年だろ。閣下、犯罪ですよ。とんでもないジジイだ。あ、汚い言葉使っちゃった・・


 言われるが儘にいて行ったら、役所のすぐ裏、閣下の自宅スパダネーロ家に行ってなんか荷物を受け取ったその足で、女医の家に着いた。ここも絡んでんのか。昨夜の仏さんもアレか、蝿対策なのか?

「あら、クリスちゃんお帰り。なに? 曹長と一緒なの?」

「んばんわ。失敬!」

 なんだよ! もしかして警視閣下、フィエスコ家の娘を愛人にしてんのか? とんでもない人脈持ってんな。

「こんばんわ曹長さん。クリスちん忙しそうね」

 昨夜の犯人二号も、何食わぬ顔をして飯など食っている。

 検屍の結果に依れば右フック一撃で大の男ひとり撲殺したと思われる細っこい娘の姿を、じっと見る。

 しっかし此の家も貞操観念無いのか? 顔見知りの警官とはいえ、深夜に娘の部屋に平気で通すって・・それとも、あの娘のように、不埒な男が寄って来たら一発であの世まで行かす女達なんだろうか。


 娘の部屋に行くと、男の目が有るというのに、ぱっぱか服を脱いで着替え出す。

 オルトロス街の連中というのは、みんな如斯こうなんだろうか? いや、美しいが。

「ぱんつ・・ぱんつが無い。どうして?」

「見つからない時って、見つからないものだよ」

 いつの間にか、犯人娘が来ていて話し掛ける。気配、感じなかったぞ。

ぱんつすぶりがが無いよ。どうしよう」

 全裸でこっちを見る。前くらい隠せと言いたい。

「構わないんじゃない? 普通誰も穿いてないもんだし」

 目を逸らして話す犯人娘の挙動が不審なのは何故だろうか。


 裸の上に薄い布製の佩盾はいだてのようなものを着けるが。前は丸見えのままだ。腹にコルセー的な物も着ける。

「はっふうぅ」

 左右の脇腹をレースアップして硬く装着する。

 オルトロス街の女共って、露骨に鎧着てない奴らは下にこんなの着てるんだろうか。いい勉強になった。

「クリスちんったら、こんなので胸を持ち上げてたんだ。ズルだ」

「だから防具だって! おなか刺されると苦しいっていうから」

「嘘、それは武器ですわ。それも破壊力抜群の」

「何その理屈!」

「心臓刺されたら死んじゃうのに。胸は丸出しじゃないの」

「おっぱいと肋骨があるから・・って、揉むな!」


 お前ら、ここに二十代の男が居るの、忘れてないだろうな」

「ああ、貴方にはこれ。はい、傭兵っぽい外套」

「そうじゃなくって、早く服着ろ」

「なに、あなたって女の生殖器は毛で隠れて見えないのに、欲情するのー?」

 ・・こいつ、医術者の家で育って常識がズレてるのか?・・

「そういう人って、下着を着れば下着が見えるから欲情すると言い、ガウンを着れば体の線に欲情するって言うのよ。きっと靴でも欲情するんだよ、だなー」

 他人ひとを勝手に変質者にしながら、スパダネーロ家から貰ってきた包みの中の服を着る。

 エプロンも着けると、紋章入りでスパダネーロ家の御女中らしきが出来上がる。


「うっわー、クリスちんが女装した! 今日は雨ふるっ!」

 馬鹿か、今日はあと数刻だ。


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