78.憂鬱な猫の人
《三月八日、昼過ぎ》
南街道より外れた草地の中の窪地。野盗のアジト跡。
男爵、溜息をつきながら言う。
「嫌なものが有りましたね」
「髪色が違いますから、二人分でしょうか」
長い髪の束が保管されていた。伍長が略奪品類を改める。
「衣類や刀剣類が多く、穀物類も多数。宝飾品や現金は少しだけであります。馬も少ない。売り捌くルートが出来た品目に偏りがあるということでしょうか」
「此処が留守中、我々に発見されることを考えて、持ち出し易いものは持って出たのかも知れませんね」
「態と土埃を立てて出たなら、そうかも知れません」と、隊長。
「周囲が休耕地の間ずっと放棄されていた農作業小屋です。水場を探していて見つけたのでしょう。ということは川筋を辿って移動してきて此処を見つけた筈。とすれば、春耕の始まった東側を抜けて街道に出たのは作為的ですね」
「自分が目撃したベラスコ側の鹵獲品は馬十三頭で俘虜数と一致しておりました」
「一個分隊編成と一致しているな。うむ、輸卒や馬丁など非戦闘員の別班がいて別途金品を搬出させたかも知れません。川筋を中心に探索致しましょう」
「それがいいですね」
本音は少しでも討伐戦の参加実績を残したい男爵であった。
◇ ◇
エリツェの町。
得るところ無く公文書館を出たニクラウス曹長。
「まあ、単に近道のつもりだった」
葡萄が酸っぱいと言う。
館長の婆さん・・元が大貴族の侍女だったせいか口が硬いんだよな。すぐ世間話で誤魔化されちまう。
フェンリスに聞けばよかったかと少し後悔するが、彼との会話はつい遠慮してしまう。人柄的には嫌いではない・・好きな方だが、斜め上にどんどん話題のずれる彼との会話が、忙しい時には耐え難い。
「あ・・姑と婿で妙に似た者だ・・」
初めて変なことに気付く。
それより、先程フェンリスの口からフィエスコの名前が出て、関心がそちらに向いて終った。今は昨夜あの騎士を検屍した女医フィエスコに会いたい。
公文書館通りを五叉路まで出たところで、今朝はオルトリンデ・ダ・フィエスコが僧院の診療室に居る筈であることに気付く。
「なんで女医が寺町に居て、公文書館長がフィエスコ家に居るんだ?」
連中の人間関係が良く分からない。
寺町の方へ足を向ける。
◇ ◇
黒い箱馬車が東門を抜ける。
門衛が礼をする。
入市者の列を捌いていた者も手を止めて、直立礼を取る。
車中には黒髪の貴族と銀髪の青年。
ふと、貴族が青年の手を執る。
貴婦人の手に接吻をするような姿勢で、青年の手指をじっと見つめる。
「美しいな」
指の爪に手を触れる。
唇を近づけて、ふぅと息を吹きかける。
「ねえ君、此れを握ってみてくれぬかな?」
ステッキの銀の蛇の鎌首の辺りを握らせる。
銀のグリップを握った青年の手指に黒い瞳を近づける。
そしてついに青年の指先に唇を近づけ、爪をかりりと噛む。
「欲しいな」
青年がこくりと唾を飲む。
銀の蛇の紅い目が光る。
◇ ◇
寺町の広小路石畳坂を登り切るニクラウス曹長。
市内の最高地点だ。遠くに黒く北の山塊。
荒野のシエナ色に川筋の深緑。
振り返ると街並みが広がる。
市警本部も見える。
右手に僧院の門。
奥の尼僧院の白亜と緑青の丸屋根だけが、此処を廃墟でないと知らせている。
まあ「だけ」ではない。鐘楼も健在だ。だが変形バシリカの聖堂はどう贔屓目に見ても廃墟だ。
孤児院の子供らがボール遊びをしている傍らを、警吏が抜けて奥へ行く。
尼僧院長は施療院の再開を悲願に頑張っているようだが、目下のところは診療室が稼働しているだけだ。
仕事は色街の娼婦たちの健康管理ばかり。まあ病院というより保健所か。
オルトリンデ先生はボランティアに毛の生えた様な物だ。
市の防疫局が鑑札の更新を雀の涙で委託している。
いつもの変な尼僧の顔がちらちら見える。
顔は可愛い部類なのに唇を尖らす癖。
普段は見掛けない顔もある。
問屋街のルキア嬢だ。
「あら警吏さん、見回りですか?」
「そんなもんだ。嬢ちゃんは?」
「繕い物のご奉仕です。今日は子供たちが集まるから」
「そうだった。木曜は飯振る舞いの日だったな」
浮浪児大集合の日だった。賑やかになるな。
◇ ◇
箱馬車の中。
「当家に来ぬか? 歓待しよう」
「……せっかくのお誘いですが……私はギルドに用事がありまして」
「左様か。それでは、此処が我が処居だ。何時でも好きなときに訪ねて参れ」
カルタの様な物を渡す。
「有難うございます」
馬車が停まる。
銀髪の青年、降りて優雅な礼をする。
中央広場である。
青年、ギルド連合会館に入って行って、断られる。
「ここは……違いました」
◇ ◇
東門に荷馬車が入って来る。馭者台まで幌が覆う長旅仕様だ。
「鑑札は?」
「プフスで中古の出物を買って来たんで、まだ鑑札はありません。アルゲント・メタッロが商売の手を広げますんで宜しくお願いします」
「ああ、アルゲントさんの仲間だったっけな。準市民権とるの?」
「プフスの準市民なんで、こっちに戸籍移すかどうか、いま考えてるところです」
「転入するなら資格取りやすい時にやっちゃった方がいいよ。アルゲント商会の組織変更届のときはチャンスだから」
アルゲント商会といっても兄弟二人だけであるが。
「アドバイス有難うございます。アルゲントと相談してみます」
見違えた様に社交的になったミュラ、既う全然商人らしい。
「連れの二人は?」
「プフスのギルド仲間でルーティ兄弟と言います。二、三日オルトロス街に草鞋を脱ぐ予定です」
入市審査が厳しいようで、紹介者があると芋蔓式で簡単に入れるエリツェの町であった。
◇ ◇
北の城壁。
外周警備巡回中の門衛が変なものを見付ける。十歩は有ろうという濠からほぼ垂直に聳り立つ外壁の中腹に、男が一人粘り付いている。
「おい! お前! そこで何をしている!」
「『何を』も何もッ! 落ちないよう頑張ってるのッ! 見りゃ分かるでしょ」
「いや、だから・・なんでそんなとこに居るんだ」
「だから、見りゃ分かるでしょッ! 上から落っこちたのが」
「落ちたのか?」
「だから、見りゃ分かるでしょッ! 服も濡れてないし、濠飛び越えて此処に張っ付く訳もない」
「なんで落ちたんだ?」
「迷い猫探しの仕事してて、猫が城壁の矢狭間の上を歩いてて、捕まえよとしたらこの始末」
「落っこちるなよ」
「ひぇ〜い」
「落ちたら入市審査やり直しだからな」
「っていうか、死ぬし」
「大丈夫だ。落ちて溺れたらロープ投げてやる」
巡回の門衛、草むらに腰掛けて見物を始める。
◇ ◇
ベラスコ館、二階。
「よかった・・私達、生きてます」
深呼吸する。
「もう終わりかと思いました・・成人も迎えないまま、下卑た男たちに囲まれて、ぐっちゃんぐっちゃんに陵辱されて短い人生を終わるのかと」
「お嬢様、その表現って淑女らしくありませんわ」
「でも、淑女らしく死ぬ事ほとんっっッど望み薄でしたわよね」
「生きてたんだから淑女らしく為ましょうよ」
「そうね・・『ぐっちゃんぐっちゃん』は端手なくってよね」
「はい、かなり」
「でも、彼らが襲って来て・・屋根裏部屋に隠れてた時、ほんとにリアルにイメージしちゃいましたの」
「お嬢様の耳年増には若干の責任を感じますけれども、全責任は負い兼ねます」
「あの本の責任ですわ」
グィレルミ助祭にだいぶ責任があった。
◇ ◇
階下、ベラスコ氏が長椅子で両脚を投げ出して脱力している。
リッピが襲撃された跡を見たときは、血の池に浮かぶ死体の山を見て本当に竦んだ。
町のギルドに駆け込んで、とにかく一番の腕利きを紹介してもらうというのは、生存を賭けて咄嗟の行動だったが、最良の選択だった。荘の皆もよく耐えてくれた。町に使いに遣った者も、少し羽根を伸ばして来るといい。
帰って来たら、皆でお祭りだ。
ちょうど迎春の初満月があるかないか。
その頃、ヴェルチェリの偵察軽騎兵が、何か発見していた。