インターミッション 本作の世界観36 ー 不自由ー
自由人について、人命金の観点から
諸侯Vorsten、
自由領主vrie herrin、
参審自由人schepphinbare luite
という三階層を『本来の自由人』と考えた場合、諸侯が自由領主からの派生系であるので、ここに殿方herrinと人々luiteという二極が先に発生しています。この全体が非征服民の上に乗っかった支配階級なわけです。上とか下とか言っても、相対的なものじゃありませんか。専制君主にとっては、高位の貴族だって下々です。ウンターターネンとかウンターザッセとかいう身分も『下』という接頭語が付いたからって下層と思い込むのは早慶戦です。
これまで、「騎士」とか「大臣」とかいう語彙が下層から成り上がっている歴史を見て来ましたが、これとて貴族の子供が騎士の見習いをやってて、ハルトマン軍曹みたいな騎士から「おい、小僧」と呼ばれている場合もあれば荘園の下働きが農民から「おい、小僧」な場合もあります。同じ語源のleuteが付いても自由か不自由か分からないですよ。
移住のできない不自由が、イコール土地を占有できる権利とコインの表裏だったかも知れません。あるいは、自由人が領地を代々世襲するのと、不自由身分者が永小作権を自動継続で相続するのと、どれだけの違いがあるでしょうか? 封地を相続する封臣が世代交代ごとに封主と託身の関係を更新する方がハードルが高いかも知れません。
しかし、グルーピングすると、α組(貴族A級、貴族B級、自由人A級)が一つの団子で、β組(自由人B級、自由人C級)の団子とは違う色で串に刺さっています。ここで人命金Wergeltはα組が十八プント、β組が十プントで半分強です。
この違いは、β組が非征服者起源の不自由身分から浮上した自由人だからです。ラーテの人命金は九プントで、β組と差がありません。そしてこの不自由身分層にも、下僕を使う富裕層から貧農まで格差があったと言われます。征服された他部族だったら、それが自然でしょう。中世末期の例ですが、不自由身分層の中でも四割が残り六割の者の平均五倍ほどの土地を占有する富農だったという調査例がありました。
この自由と不自由の不平等についてSachsenspiegelを表したフォン・レプゴウは、聖書に不平等の根拠を求める俗説を冷笑し、太古の昔から自己正当化してきた不公正な強制と不法な暴力が起源だと断じています。自分たちの祖先がチューリンゲン族を打倒し、領主を殺したり追放したりしても、農民は生かしたままにして土地を貸し与えたのだと。
一方で、零落した日雇いTagelöhnerや金銭支払いで処刑を免れた犯罪者たちに容赦がありません。
α組とβ組の間での婚姻については、婚姻期間中を通して妻は夫の身分になり、死別したら元に戻るとされます。
β組の男性がα組の女性と結婚すると、妻は夫の身分ですから階級ダウン。寡婦になったらα復帰ですが、子供はβ組のままで母方からは相続できず、妻の私有財産は実家に返納します。非征服側の家系は征服者側の財産を受け継げない仕組みになっています。
α組の男性とβ組の女性との場合は逆で、女性の身分が上がり、子供は上位の身分で相続人になります。
つまり、これは「人種差別問題ではない」ということです。ハプログループとか言い出さない限りは、男系も女系も血の交わりは同じですからね。
家名やご先祖さまの問題です。ここだけ劣等身分継承の原則が壊れているのも興味深いと思います。かつてローマ帝国では高級貴族の奴隷が優秀な秘書として出世し、やがて高級官僚層を解放奴隷が席巻しました。古代中国でも「隷」というのは役人という意味で、彼らが書く公文書の書体が「隷書」でした。首都圏のことは「司隷」と言います。
中世でも私有民が大貴族の側近として出世し、自由人として社会的地位を得て行きます。彼らの娘と結婚したがる貧乏男爵など、掃いて捨てるほど居たでしょう。
不自由、抑圧と解放は、いつの時代も社会を動かす原動力でした。しかし深刻なのは多数派であるウンフライではなく、常に少数派なウンレヒトだったでしょう。