1.凶虐俄かに古邑を襲い、隊士官命を受くるの事
《三月朔日木曜、夕刻》
「忿ってるな」
平素は行動的でない、いや有り体に言えば……怠惰極まる提轄官殿が、今日は先陣切って急行する。
「そりゃ、そうす」
「警官だものな」
犠牲者は年端も行かない子供だ。続く隊士も皆な……憤りで気が逸る。
「第一発見者が両親なのです。早く行かないと埋葬されてしまいますよ」
いや、提轄は……割りと醒めていた。
邑を一歩出ると大河が太古より幾度も河道を変えた名残……幾つもの小湖や沼澤が小暗い森を寸断する。一隊は難路を物ともせず疾駆した。
◇ ◇
当地の風習では、遺骸は魂魄の飛び去る西方を礼拝する姿勢で安置する。膝をつき拱手叩頭する姿勢だ。この姿勢では顔面に早く鬱血が出る。埋葬を急ぐのが……遺族の心情というものだ。
早朝うら寂しい泉のほとりで遺体を見つけ、物言わぬ我が子を連れて帰宅した両親の慟哭を、隣家の者が聞きつけ、異常を察して通報してきた。今は、もう夕暮れが迫る刻。こう後手後手に回った末に、遺体の検分も出来ずでは面目が立たぬ。それが……急く理由のようだ。小さな署でも上に立つ者は思考が妙に政治屋臭いというか……やはりあの食えない提轄官殿であった。
邑で三番手になる大族の墓所は山裾の大岩を穿った横穴で、入り口の左右に一族の者が横一列に並んで哭泣していた。空を仰いでは項垂れる。様式的な単純動作の繰り返しで思考そのものを止める。単なる悲嘆ではない。族の皆が愛した末子に突然降りかかった理不尽な暴力に対する、遣り場のない憤怒を抑制するには……是れは是れで良いのだろう。
「検分させろ捜査させろ、などと言ったら遺族の皆さんが変な方向に暴発しかねません。提轄官と巡邏隊ではなく、父の名代として弔問に来た邑長の倅とその取り巻き連中。この名目で墓所に入りますよ」
古式の礼装に身を包んだ家令が無言で丁重に出迎える。提轄が小声で簡潔に来意を告げて、横穴入り口の傍らに蕭然と佇んでいる本家の長老に一同一礼して奥へ進む。此度はお孫様の云々などと……とても声を掛けられた顔色ではない。
家令ずっと無言で同行し、先導する旨身振りで申し出るので一同一揖すると、紙燭を銜え竜骨の様な拍板を鳴らし乍ら治道舞を始めた。剽げた仕草なのに……何やら無性に物悲しい踊りだ。
幾つもに枝分かれした横穴を導かれ……暫し屈んで歩くと、幼な子の墓室があった。
羨道の向きと関係なく西向きに額づく遺体の周りに金襴銀襴の緞子を敷いて、大きな金皿が蜻蛉玉や……翡翠や金の細工物を盛ってぐるりと廻らされている。
葬送に参列する者は送魂舞でこれを三周する。哀祭文を誦えながら三歩に一度進行方向に深々と御辞儀の所作。先導してくれる家令に挙動を怪しまれぬよう留意しつつ、その合間に出来るだけの観察をするのだ。いや此れで、どうやって観察せよと……? いや、向こうも踊っているので……当方の挙動など目に入らぬであろうか。
既に終えて出口に向かう途中、墓室を閉ざす平石を手に手に入って来る一族の縦列とすれ違う。つまり……自分達が最後の会葬者だ。
◇ ◇
辞して林道に分け入り……車座になると、提轄が重々しく呟く。
「森は無害な小動物ばかり。この水郷では幼い頃から皆な泳ぎは達者。なんの危険もない筈でした」
暫し沈黙のあと……貌の恐い最古参隊士が渋面でぽつりと、
「非道いことしやがって」
普段はやたら軽口の多い副長格も……言葉少ない。
「白い襲衾に血痕の付着が無かった」
一番若手が続ける。
「中からの滲みも特に見えなかったすね」
「見えた外傷は左目から頬にかけてと、左喉元辺への滅多打ちでした。犯人の利き手は右ですね。凶器の刃渡りは子供の眼窩より稍や大きい程度で、縦斧の類いかも知れません。農具でも工具でもない、殺傷用の武器のように思えます。」
提轄の観察が格段に細かい。
「それと、右手中指先が第一関節から欠損、右眼窩に翡翠玉の義眼が嵌めてありました。ニート君、どう思います?」
「ええっと、身体の部位が足りないでは、お見送りの儀に縁起悪いですから……親御さん必死で探したと思うんです。でも足りないまま葬ったということは、ほんの短時間の間に運悪く鳥獣に喰はれたんでなければ…….その、私には犯人が持ち去ったとしか……」
黙っていたら向こうから振られたが……何とか答える。
「ですよねえ。ご両親、踏み荒らしちゃったでしょうねぇ、現場・・」
提轄が溜息をつき、
「諦めず、行ってみましょう」
◇ ◇
「この血溜まり跡ですね。子供の身長からみて頭がここ。そして右手が、ここ。血痕の飛散状況からみて、やはり子供が斃れてから意図的に右手中指切断、眼球摘出をしたんですね」
「子供相手に、なんて事しやがる」
「ニート君、何か見つけたのですか?」
提轄が……目敏い。
「人の……たぶんブーツの足跡かなと……」
「よく残っていてくれました。皆さん、状態の良い足跡を捜して下さい。総出で懸りますよ」
あ、珍しく自分でもやるんですね……。
「提轄、この刻印の様なものは……」
「異国の文字の様に見えますね。靴屋の屋号か何か。そこ、型を取りましょう」
「あ、土踏まずの其れもありますが、踵の後ろを……」
「成る程、これを君は刻印のようと感じたのですね」
皆が覗き込む。
「なんか蹴爪の跡みたいす」
「これは拍車です。変わった形ですが」
一同が、ほう……と息をつく。
「『外部者の犯行』で決まりですね。懸念事が一つ消えてくれました」
提轄が皆の思いを代表して言葉にする。
「拍車を着けて居るということは……」
「身を隠しながら密かに此の辺りを窺える場所は限られてきます。陽のあるうちに何とか騎獣ーーそうですね、たぶんエクイダーーを繋いだ跡まで見付け出して、本日は帰営しましょう。 ん? ニート君、何か?」
「あの……、眼球と指なんですが……」「心当たりですか?」
◇ ◇
帰路、宵闇の帳が降りて来る。見れば湖水の向こう岸を、墓所から帰る松明の列が続いていた。夕靄の中を……水面と陸の二列が無言でずっと続いていた。
邑落は古い廃城の二の丸跡地。頂きに逃げ城跡の残骸が覗く岩山を背に、苔生した巨石の壁が東西は未だ崩れずに残っている。遥かの昔に巨大な破城槌で突き崩されたと思しき南壁……土塁と薬研堀の空隍で補修されていたが、それも最早や跡形無きに等しく、子供が易々と抜け出せる程だ。岩山を回り込んで蛇行する川筋は木の根草の根も斯くやと幾つも枝分かれし、幾重にも三日月湖が囲む。凡て鬱蒼とした森に霧立ち込める中である。
一同は坂虎口跡をとぼとぼと登って番屋へ戻る。何の事は無い……邑長私邸の下男長屋を改装した庁舎だ。
◇ ◇
「歳星二巡前の年ですか」
「これ、誰も水難って疑わなかった件す」
「あの嵐の日か。そんな夜に、なんで子供が一人で家を出やがった? それも、家の者に気付かれねえで」
「前日に子供たちの宝探し遊びで、お気に入りの蝉形の翡翠玉を隠した侭だったのが、決壊した金塘池の近くだったらしいんす」
「気懸りで夜中にこっそり取りに行っちまったのか」
「子供の遺体に……同じく右手人差指と左眼球の欠損……」
「なんと謂うことでしょう。昨夜と同じ春分前の新月の夜です」
邑長の書斎で記録を紐解く隊の皆が……固唾を飲んだ。
提轄がじっと……こちらを見つめる。
予感はしていた。
「ええ、飛び回り嗅ぎ回るのは得手です……はい」
◇ ◇
《三月八日木曜、午後》
エリツェブルの町の探索者(Investigatorum)ギルド協会*会館に、緑がかった黒髪ひょろりと長身の青年アルベリッチが入って来たのは、もう昼下がりだった。
時刻も時刻なので、トリンクハウス大広間の大壁にある求人の掲示板に被り付いて長々と独り占めしていても咎め立てる者は無い。だが、彼がこれぞと目を付けた貼り紙へ、同時に伸びたもう一つの手があった。
振り返ると、見上げるような位置に、猫背気味に屈んで立っていても優に頭ひとつ高い、これまた線の細い銀髪の美青年がいた。
気圧された訳でもないが性分で、
「あのぅ、ぼく無資格の無等級で、取れる仕事限られてるもんで、できたら譲って頂けると嬉しいんですが、駄目ですかね」と、アルが下手に出ると、
「私も資格無し路銀も無しで……何とかこの仕事を請けられれば、と……」柔和な声。
低レベルの戦いが発生していた。
「そんなの、二人で受付行って細かい条件聞いてから、どっちが降りるか決めりゃいいじゃねぇか。上手くすりゃ二人共々雇われるかも知れねぇぞ、給金安いんだから」
陽気な大声……。見れば、気の良さそうな短躯猪首の赤ら顔中年男。掛けていた長椅子から体ごと振り返り笑っている。まだ日も高いので、夕食どきまで閉まっている筈の厨房から、どうやって持ち出したのか、エールの小樽と粗雑に山盛りした酒肴が卓上にある。
向かいには、やはり何処からか持ち出してきた場違いな肘掛け椅子に、でっぷり太った老騎士がずるりと腰掛けて……とうに酔い潰れた従者二人をオットマン代わりに、関心なさそうな顔をして飲み続けていた。
掲示板前の二人……申し合わせたかのように揃って男らに軽く頭を下げると、お互いチラリと顔を見交わす。そして剥がした張り紙の左右端を夫々摘んだまま、二人して広間奥の衝立の先に、手を繋ぐかの様にして進んで行くのだった。
赤ら顔男が見送って、「うまくやれよ、新人」
路銀がなくても求職活動中は協会に何泊か出来る。兄弟団系の有難い仕組みを銀髪青年が知らぬ模様だと小耳に挟んで、早速のお節介であった。
◇ ◇
奥では美人職員がひとり……休憩中の札を立てて悠々と香り茶を飲んでおり、必然的に二人は更に進んで奥の、もう一つの窓口に向かった。
ヴァリャーギ風軍装の蜥蜴面男がちょうど成果申告を終えて立つところだ。アイアスの盾を横にしたような、奇妙な目鬘的なものを装着した大柄の女性が、窓口の中にいた。眼窩を中心に額から頬骨辺までを覆う……葡萄酒の瓶底*のような左右一対の円盤状のものは、読書石に類する魔法具か何かであろうか、それとも異国の雪原で狩人が用いるという遮光器の類であろうか、光沢ある黒硝子越しに切れ長の目らしき陰がうっすら見える。
彼女、腰を浮かせて……私らの持ってきた貼り紙に、形の良い鼻梁を擦り付けんばかりの奇妙な仕草で瞥見して徐に、
「ああ、この求人依頼ですね。ドラゴンスレイヤーの助手ですが、応募動機は?」
「……危なくない仕事だと……」
「資格・等級不要、住み込み賄い付きで最低三ヶ月継続雇用保証、というのがとても魅力で、できたら採用頂けると嬉しいんですが、駄目ですかね」と、アルが。
「お二方とも細かい説明文までお読みになれるようですが、ドラゴンスレイヤーの助手で『危険がない』仕事という点に、疑問は感じませんでしたか?」
「……危険がないという前提の求人ですから……」
「それを、まるっとお信じになった?」
「危険があればお給金だけ頂戴できるかと……」
「存外毅然なさってる。ええっと?」
「ニートです。ニート・ガミシュ……」
:扨て、毎日仕事に励んでいても名前はニート巡邏隊士、どんな無理難題を押し付けられましたのかは、且く下文の分解をお聴き下さいませ。
註*:探索者ギルド協会:Societas Artium Investigatorum
註*:葡萄酒の瓶底:参考 ”The Speyer wine bottle”
4世紀前半のガラス製葡萄酒瓶。ラインラントで発見された