表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
196/686

73.憂鬱な名目人

《三月八日、朝》

 エリツェの町。西区馬車通り、フィエスコ館。

 西区は中央区チェントロ寄りに商工系各ギルドの本部が集まり、南には職人の工房街と親方衆の住む住宅街。そして低丘陵の上になる北側が、東区の御屋敷町に次ぐ高級住宅街だ。フィエスコの医院はその官庁街寄りにある。

 オルトロス街の探索者ギルド協会は中央区を跨いで丁度反対側なので、決して近くない。自宅持ちのクリスが協会会館の大部屋に初中終しょっちゅう泊まるのは、そんなわけである。


 なんか叔父の話が長くなりそうなのだが、ギルドで猫を待たせているし、湯も浴びたいし就中なにより早く着替えたい。ナネットが一緒に湯を使いたがってるが、新婚の悪影響か最近妙にひとの体に触って来て困る。

 叔父の話も興味はあるが・・

「出来れば短か目で」


「話せば長いことながら・・」

「叔父様ひとつ巻き気味で」

「生まれたお前は妙に尻の大きな赤ん坊で・・」

「掻い摘んでください」

「お前の両親の仇はヴァルテマル・ダ・ファルコーネ男爵だ」

 ・・また随分掻い摘んだな。


 ・・ん? 両親?

「あのー、親父が死んだの一昨年ですけどー」

「アルテミシアが斃れた後、赤子のお前を庇いつつ脱出しようとしたオルランドじゃが、其の時メイスを頭に一発食らっとるんじゃ。最初は軽い記憶障害だったんじゃがのお・・」

「名剣士と謳われたオルランド兄貴の晩年が・・あれ、さ」

「なるほどー・・それで仇か・・確かになー」


「そん時の襲撃がファルコーネの郎党だって証人がアベル君の父さんだ。アベル君の両親は口封じで暗殺された・・」

「うああ、重いよ」

   暫し沈黙・・。

「美談もあるんだよ。アベル君のお父さんって・・」

「ナネットも知ってたの?」

「そりゃ、ルジェ叔父さんやラッツァ叔父さんと一緒にパパも駆けつけた仲間だもん。昔語りは聞いてるわよ」

「・・もしかして、アベル君のお父さんって・・」

「お前の想像通り、襲撃組の一人じゃ。受けた命令の非道さに耐えかねて、アルテミシアの手からお前を受け取りオルランドに渡した・・」

「・・それ、今になって何故あたしに言うんです?」


「ヴェルチェリの先代が匿っておったアベル君の父親が、覆面の侵入者の襲撃を受けた後、暫く息があってな。村の七人名主ラーテンが遺言の証人になった。その証人がそろそろ還暦でなあ。

「其の話は向こうで聞いた。あたしの成人に合わせて訴訟するって話・・」

「エステルからか」

「お前を仇討ちの『名目人』に担いで実力行使フェーデって話が、郎党方面にゃ根強くってなあ。両親の話を聞いたお前が『その気』になったとか・・噂ひとつでも、状況が雪崩うって動き出してしまう。だからお前にはギリギリまで蚊帳の外に居て欲しかったんだよ。で、成人するまでは本人には秘密だと周知した。そして最近になって、やっと・・」

「『剣抜く前に訴訟しましょ』って説得が効く情勢に、漸くなって来たのよ」


「実力行使はまずいからな」

「仇討ちってまずいの?」

まずい」

「だってヴァルテマル・ダ・ファルコーネ男爵・・お前の祖父じいさんだから」


「うわわわわっ、重すぎ!」


                ◇ ◇

 同じ西区。少し西寄りの閑静な住宅街には、中庭しか無いクリスの家とは違って庭に囲まれた屋敷が多い。


 高級織布製造業者の親方マリオ・フォルツァは、ギルド役員にまでは届かぬが未だ四十代前半の若さ。一個の職人といての腕前は勿論のこと富豪お歴々との人脈れ有り。将来はギルド長と褒めそやす人もいる一方で、狷介よ狭量よと誹りも亦た多い。見た目も五十前には到底とても見えぬ。

 なんで其んな人物が財界上層と懇意なのかと疑問に思う向きも多かろうが、内情を知れば納得しよう。知る人は少ないが。

 要するに彼は、町を牛耳る金貸しプロスペローの犬だったのである。


「そうだ、犬だ」

 ほら、本人も言っている。

「いや、独り言だ」

 独り言だそうだった。

「はいはい旦那様、突然何を言い出すのかと思いましたよ」


 家政婦の老婆が感情の籠もらぬ棒読み口調で答えるが、内心は嬉しそうだ。単に主人が昼食を要らぬと言ったから、今日の彼女の昼飯が豪華なのを喜んでいるだけだが。

「今日は午後から帰って良い」

「はいはい有難うございますです」

 彼は独り身で、使用人は日暮れ前に全員帰らせる。

 彼には人との交わりが無い。だが、家での使用人は勿論のこと、職人や徒弟にも評判がいい。

 面倒見は良くもないが、寧ろ悪いが、余計な仕事はさせず、仕事に口も出さず、やった仕事はきちんと評価するからだ。彼が徒弟時代に随分と嫌な思いをした所為せいだ。

 自分がされて嫌だったことは他人にしない。これが彼の数少ない、というか唯一の美徳だった。

 随分と嫌な思いをしたのだった。


 どれくらい嫌な思いだったのかと言うと、そうだ・・人殺しをするくらいだ。秘密だが。

 家政婦が去ると、戸棚から火酒の瓶を取り出し、昼間から一人で盃を傾ける。酒に溺れはしないが、手放せない男だった。


 十七、八の頃、彼は親方のもとで稼ぎ頭の職人より既に腕が上だった。だが、彼は徒弟身分のままで夜遅くまで低賃金で随分とき使われた。彼が使用人に遅くまで仕事を言いつけないのは、そんな事情がある。親方に疎まれてもいたし、親方のことも大嫌いだった。しかし殺したのは親方ではない。まあ、彼が殺したも同然だが。

「俺は犬だ」

 まだ言っている。


 もっと嫌いだったのは、織物問屋のギルド長だった。

 昔も今もだが、織物問屋ギルドと生産者ギルドは犬猿の仲だ。流通を握っている問屋ギルドの方が力が強く、無理難題を言うからだ。織物問屋のギルド長からは直接何をされたわけではないが、織物職人たちは皆な揃って彼がとても嫌いだった。憎んでいた。

 自分たちが貧しいのは親方の賃金支払いが渋いからだが、渋いのは問屋ギルドが商品を買い叩くからだ。特にそのギルド長は傲慢な男なうえ、職人たちを侮蔑する言動が多かった。


 だが、一番嫌いだったのは、富豪たちの御曹司連中。十五、六で技術もないのに特選抜で一人前の職人身分になり、じき親方身分になるのも確定している連中だった。修行どころか仕事もせず、金遣いも荒く遊び呆けて、自分ら徒弟を虫けらのような目で見ている。顔を見るだけで虫唾が走った。

 それが今は、そいつらの犬だ。今は自分に虫唾が走る。


 そして、一番より一段もっと嫌いなのは、こんな蛆々した自分のことだった。

 犬だなんて、犬に済まない。


                ◇ ◇

 クリスは思う。風呂桶で思う。

「明日明後日の事じゃなし、当面忘れていよう。日々をなんか懸命に仕事してりゃいい。都合よく明日の風が吹いてくれるかも知れんないし」


「クリスちゃーん!」

 やっぱり遠慮なく入って来やがる、この腐れ幼馴染ぃ。

「ほおっ、成るほど垢だるま」

「そんなこと無いやいぃ。エステルちんのお城とこでも入浴はいってたもんー」

 傍若無人に胸揉みゃがってこいつ。 ・・って、傍に人いないか。


 親父の弟の嫁さんの兄上の娘だ。従姉妹だがぜんぜん血は繋がってない。ミランダ姉さんのボディタッチに抵抗が無かったのは絶対この幼馴染の責任せいだ。お前って諸悪の根源じゃん。報復に乳揉んでやる。

「きらきら顔の旦那さんに毎晩可愛がられてんのは、ここか! ここか!」

「いや、断然こっちです」

 流石にそこは触らん。

 (嘘です。姉さんとは触りっこしました)


                ◇ ◇

 ヴェルチェリ領、南の支城。

「ちらちら見えますね」

「来てますか」

「それは気になるでしょう。傭兵を見たら、まず相手が番犬型なのか猟犬型なのか、その辺りを見定めます。対処の仕方が変わって来ますから」

「成る程」と、男爵。

「今まで見かけた民兵隊は当然ながら番犬型配置ですから、新たに傭兵が来たならば、彼等は先ず『自分たちを狩りに来た猟犬かどうか』を疑います。騎兵の数を数えて我が方の機動力を測ります。だから今日は騎兵総出で索敵巡回をして、番犬型アピールをしておきます」

「敢えて知らせるのですね?」

「追い詰められると思って敵さんが捨て鉢の反撃に走るリスクを、こうやって予防して置きます」

「奴らを討伐すれば君たちの名も上がるのに?」

「守ると決めた村のリスクを最小にします」


「(岳父殿ちちうえが見込んだとおり、か)」

 男爵微笑む。

「ちなみにこの城、なんという名前なのですか?」

「エウグモント城と言います」

 なんか嫌な予感のする地名だなぁと思う隊長。


「ん? あの土煙は?」


ちなみに、ヴァルテマル・ダ・ファルコーネ男爵の名前の由来は

ヴラジミール・ハルコンネン男爵です、

どんな容姿で登場するかご期待ください。(出オチ)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ