68.憂鬱な継体君
《三月七日、午後》
エリツェの町、オルトロス街の協会大広間で、男どもの噂話に花が咲く。
「ボルサ家の身代はおっ母さんが継いでんだよな?」
「先代の一人娘だからな。寡婦か一人娘ってのは、女の身でギルド親方を継げる特例よ。ま、中継ぎ継体の君ってことだけどな」
「困ったな」
「おっ母さんも五十手前くらいだろ? そうそう万一の事もあるめぇが、あったら大変よ。顔も見たことの無ぇ親類が何処からかゾロリ湧いて来て、家屋敷も貯金もそっくり持って行ちまうだろうよ。相続権のないルキアちゃんは傘一本で追ン出される運命だ」
「可ぁ哀想に・・幼い子供抱えて寒空の下ってかよ」
「いやまあ夏かも知れんが」
脇で聞いていた男。
「あんたら、そんな万一の話で思い悩んでも仕方なかろ」
「しかし起こっちまってから慌てても打つ手が無いんだよ。訴訟だって起こせねんだから」
「要するにあんたら、暇なだけか・・。本気で心配してんなら、お母さんにプロポーズして来いよ」
「それで片が付くのか・・」
「だからお前が行ってルキアちゃんの弟作って来いよ。それでお姉ちゃん大好きっ子に育てるんだ。本気で心配してんなら、そのくらいの事ぁやって来いよ。四の五の言ってねえでさ」
「あのおっ母さん・・けっこう美人だよな・・」
なんだか、やる気を見せる男。
「求人掲示板見て、しっかり結納金稼いで来な!」
◇ ◇
ヴェルチェリ領内三ヶ村の一つ、クプファー村の西側外れ。
「閲兵式、見ててくれましたかね?」と、馬上の村長。
ウィレム伍長、にやりとする。
「斥候くさい人影は有りました。これからは我々と民兵隊の合同閲兵式を週に一回、我々だけの朝礼で男爵閣下に訓示を頂くのを毎日。野盗の連中にしっかり見せ付けてやりましょう」
「うちの村は東の入会地の森に一番近い。連中が徒歩で忍び寄って来るとしたら我が村を狙うでしょう」
「望楼で目を光らせていますんで、延々と森の向こう側まで匍匐前進してでも来ない限り、村に近づく前に早期発見出来るでしょう。念のため夜間には歩哨に村を巡回させます」
「ありがとうございます」
「日のあるうちに一個分隊を村の集会場に行かせます」
「それでは皆を集めて、取り敢えず面通しで村の者に皆さんの顔を覚えさせます」
クプファー村、西の牧草地辺りに近づく。
「ここらの耕地は、一筆ごとに男爵様と自治村の持分が半々になっています。我らの心構えも閣下の領民として半分、自治村の自由人として半分。祖父の代頃に奴僕から解放して頂いた者たちで、結構忠誠心の高い土地柄です。兵役経験者が多いので、団の皆さんと上手くやって行けると思います」
「心強いですね」と伍長。
◇ ◇
再びエリツェの町、東区御屋敷街。
モノクルの若造博士と下男たちが丘の上に戻って来る。
「門・・開いてるっすね」
「昼間だからな」と、若造博士。
「最初に来たときは閉まってたっすよ」
「結構なことだ。開いてた方が入りやすいだろう」
玄関扉を叩こうとする。
扉が勝手に開く。
「開いたっす」
「ノックする手間が省けた」
ブッカルト博士を先頭に、入る。
薄暗い室内の奥の方、天窓から射し込む光で浮き立つような場所。
そこに執事が立っている。水色の膝丈上着に膝当てのついた黒い長靴。
「公文書館でのお調べ事は終わりましたか?」
「鋭意調査継続中だな。面白いことが分かってきた」
「左様ですか」
「ご主人にお会いしたいのだが」
「留守です」
「では、面会をセッティングしてくれ。いつ会える?」
「お会いする予定は御座いません」
「なぜだ」
「留守ですから」
「ちゃんと紹介状を持って訪ねたんだが?」
「当家の主人と面会なさる件は、何もご紹介は賜って居りません」
「はあ?」
「当家にて宿泊したい。当市公文書館で資料閲覧したい。此の二点、承って居ります。ご満足頂けたかと」
「で、ご主人にお会いしたいのだが」
「留守です」
「ご主人のためには、俺と会った方がいいと思うんだがね」
「それは残念で御座います。留守なもので」
「どういうことなんだ?」
「当家にて宿泊したい。当市公文書館で資料閲覧したい。此の二点、ご要望を賜りましたので便宜をお図りさせて頂きました。此の二点、ご満足頂けたと存じます」
「虎箱にも寝たっすけど」
「当家の主人と面会するというご要望は賜っておりませんので、主人留守中でも先の二点についてご要望にお答えする事は可能な事故、便宜をお図りさせて頂いた所で御座います。只今御客人に於かせられましては主人との面会をご希望なされられましたが、お答えする事は叶いません。留守ですので」
「伯爵世子の取り巻きにベリンゲリウスって奴がいる。そいつが黒魔術使いだ」
「町でそう名乗っておられる方ですな」
「名乗っちゃってるんすかぁ?」
「堂々とぉ?」
「ご実家の薬局で商う家庭常備薬の効能書きに、そう署名しておられるとか」
「それ、便秘に効きやすかね」
「お通じでお悩みかな?」
「へぇ、実ぁ・・」
下男ロブ、地図を描いてもらってベレンガーの実家へ便秘薬を買いに行く。
◇ ◇
オルトロス街。
ちょっと傑作な男と知り合ったクリスと猫、一旦ギルドに帰って来る。
猫が怪訝な顔。
「どしたのー? 何か見つけた顔ね」
「あの男、今朝の遺留品っぽく臭うにゃん」
「あれ? あの頭巾に鍔広帽子の男? アベルと徹夜で追っかけてた奴?」
「十中八九、あれにゃ」
「ひゃうっ!」
クリスの大声に注目が集まる。
「ギルマスったらー、モロにピンポイントは駄目ですよー」
ギルマスがオーパーアクションで登場、背後からクリスのお尻を撫でた模様。
「(クリスちゃん、真っ直ぐ見過ぎ。あっちもプロなんだから気取られるよ)」
ギルマス、なおもソフトにお尻を触り続ける。
「反撃しますよー」とクリス、ギルマスのお腹の脂肪を鷲掴みする。
「(万事了解! 尾行はこっちで誰か付けとくから)」
逆に派手に騒いで誤魔化せた模様である。
◇ ◇
ファッロがローラをエスコートして自宅に帰ってくる。
東区の御屋敷町がある丘の裾、南斜面の上り坂を段々に割って瀟洒な集合住宅が建っている。上り坂は擁壁に突き当たって御屋敷町までは続いていないのだが、雰囲気は御屋敷町的。袋小路なことを逆に利用して、入り口に町内会で雇った衛兵を置き、治安がとても良い。それが、一戸一戸が小さいので割と安いのである。それでもファッロの収入ではとても買えた物ではなかったのだが、そこはそれ情報屋である。破格の出物が出たとき無理して買った。それで準市民から正市民に審査を滑り込んだ。
もっと良い出物があったのでそっちに思わず飛びついて、此処を馬鹿安値で手放した迂闊なお調子者がマリウス・フォン・トルンケンブルクなのをファッロは知らない。まあ知っていても別に利も害も無いが、である。
「わあ、すてき!」
「ちょっと狭いんだけどね」
ちょっとではなく、可成り狭い。
なのに、割とゆったりしたテラスが付属している。
「あら、ファッロさん。とうとうお嫁さんを?」
彼、此処でも年齢より老けて見られている模様である。
お隣さんは若くて品の良い女性。どこぞの大貴族家の御殿女中らしい。
矢張り此処を買って市民権を手に入れ、口煩い御実家の制約から自由になった口のようだ。
「すみません長々と留守してまして。今後もプフスと往復暮らしになるんで、家を開けてる間に不用心になったら御免なさい」
「あら奇遇。わたくしも長々と留守してたんですの。長患いなさっている貴婦人の看護に手が足りなかったらしくてお呼びがかかっちゃって」
「それはお疲れでしょう。看病なさっている方こそご自身を大事になさってください」
なぜだか、どこかに潜入しているような人が多い。




