63.憂鬱な姫さま
《三月七日、未明》
南街道のエリツェ近郊。
猫とアベル少年、驢馬の男を追って到達。
「彼奴、こんな時刻に町へ来て、何する気かな?」
「そりゃ、ひと寝入りするのにゃ。そこらの使われてなさそな農具収納小屋か作物貯蔵穴にでも仮のねぐらを作ってるだろうから、入るとこまで確認してソプラヴィ団の屯所にご注進。寝入りばなに踏み込んで貰ったら、本日の任務完了にゃ」
遥か東の山の端に太白金星が昇る。
◇ ◇
ヴェルチェリの民兵宿営地、望楼。
自分の出生の秘密・・じゃないけど、それっぽい話を聞いて、いく分悶々としているクリス。
「聞いたんだ・・」と、エステル。
「うん・・母さん死んだときの話・・」
「おじさん家に行ったとき私から話す予定だったんだけどね。アベルちゃんとも出会ったし、やっぱり今話すのがいいかなって」
「あの子の両親の仇のこともありますしね。あのとき証言を聞いた村の評定衆がそろそろ還暦に近づいた者が出てきてて、これ以上待つと訴訟で信憑性面を突かれます。クリスさんは今年の暮れで成人。マッサ家とトルンカ家が登り調子で発言力を増し、ファルコーネは衰運。切り札を切って勝負に出る時が来たと思うのです」
男爵も意を決した表情。
「長年のらりくらり逃げられ続けてたフィエスコ家所領の不法占有問題、今年で最後の勝負を決めたいの。それには、クリスちんに旗頭に立って欲しいんだ」
「(うう〜〜〜・・重たい話になってきてるー)」
◇ ◇
エリツェというと城壁の中を思い浮かべる。確かに「エリツェの町」とは城壁の中のことだが、エリツェプル市は城壁の外、四方の見附も含むし、離れた飛び地もある。町の参事会で決めた法律が適用される法域はもっと広い。
その西の外れ、ヴィンコ村との境近くにソプラヴィ団の屯所が在る。
猫は何度か来たことがある。
「結構でっかいんだね」
「四十人から住んでるしにゃ」
「おう、引き継ぎか?」と歩哨が挙手の礼。
「大将は?」
「作戦室で分隊長らとミーティング中」
「会えるかにゃ?」
二人、通される。
「野盗と接触して、たぶん奴らに情報流してる町のもんを追って来たにゃ」
「どこだ?」と小隊長。
「南街道東の半里くらいにある地下式穀物蔵。枯れ木に驢馬が繋いである所」
「行こう」
分隊ひとつ率いて出る。
◇ ◇
もぬけの空。
「驢馬と若干の慰留品を押さえたが、俺らの調査力じゃ何者かは不明だな」
「俺らも夜中に灯火を追って来たから、遠目に見た背格好くらいしか知らんにゃ」
「無辜の民の敵だ。ギルドに届けて賞金懸けてもらおう」
まあギルドも容疑だけで賞金は懸けらんないと思うけど、懸けて欲しいにゃ。貰える可能性あるもん。
少々離れた林の木陰。
「あっぶねえ! 紙一重だ。尾行られたか? ・・こりゃ東西と南門は張られてるな。少し時間潰してから町に入ろう」
◇ ◇
望楼。
夜明け前。
下では民兵たちが整列を始める。
背後から、階段を登って来る足音ふたつ。
老夫婦がいた。
「おおお・・なんたる奇しき縁・・」
なんだか、ご夫婦手を執り合って感涙に咽んでらっしゃる。
「かつて倅は義挙よと勇んでフィエスコ城に馳せ参じ、お母上の許で死力を奮いました者でございます」と、老人。
「今また孫が、フィエスコの姫さまの許で見事に散る栄誉を・・」
「いや生きてます! お婆ちゃん、アベル君絶対生きてますから!」
「嶺南一の女剣士様に怖気付いたる卑怯未練な悪鬼羅刹共、身重でいらっしゃる時を狙って執拗く執拗く襲撃を重ね、さしものお母上さまも姫さまを守らんとして十と五、六人斬り斃したれど多勢に無勢、遂には取るに足らぬ小物共の群れに害されなすった御無念也と、倅が申して居りました」
いや息子さんだいぶ盛ってると思うけど・・
「いやクリスちん、アル婆ちゃんは話盛ってないよ。クリスママほんと強かった」
いやエステルちん、心の声読むなよー・・
「いやナネットママと嶺南の双璧って言われてたんだから」
いやほら、それ絶対盛ってるから・・。ナネットママって、ほんわか系じゃん。
「いやいやクリスちん」
いやいやいや、読むなよエステルちん」
「フィエスコの姫さま、お母上さまの仇、わしらの家族三人の仇、そしてあの日に果てた此の村の戦士たちの仇でございます。どうかファルコーネに天誅を!」
「(うあぁぁ、ますます重いー)」
◇ ◇
南街道を町に向かう馬車。
「重たい話から一時逃避・・寝る」
「うん、寝るといい」と、エステル。
「成人したらの話だもん。鬼も笑うよ!」
・・仇だって爺さんみたいだ。ポックリ死んじゃって時間が全て解決したり・・
そういうことも有るかも知れないし。そう、あるある。
ギルドに着いたら裁判の結果聞いて・・勝ってるだろうけど。
来週は・・ミランダさんとお月見して・・
・・いや・・年内の事だから笑わないか・・
「少し寝なさいクリスちん・・着いたら起こすから」
◇ ◇
北門まで、ぐるり町を回り込んだ男、北門の見附前で草原に横になる。
「開門まであと少し。財布も無事だ、捲土重来捲土重来許して頂らいお願いだから」
やがて門が開く。
のろのろと門を潜る。
レヴェランスのようで違うお辞儀をステップ踏んでひとさし舞うと、門番が通す。
川端に停っている旅芸人一座の馬車を一瞥して怪訝な顔をするが、特に近寄るでもなく貧民街の坂を越えて行く。
「ここいらが穴場だ」
南からの流れ者でも、ちゃんと就職出来た連中なら街中に住んでられる。腕の立つ奴、手に職のある奴。御屋敷町や西町で警備の職にありついた者だって居る。そして脛に傷持つ連中は此処だ。坂のまち。
◇ ◇
中央区、市警本部前。
ブッカルト博士主従、虎箱からお解き放ちになる。
牢番の忠告どおり、守衛の脇の路肩にちんまりと座り込む。
「もう一回練習しとこう」
「応」
「右や左の旦那様、一文恵んで下しゃんせ ♪
勝ちて驕れる人たちよ、己れの死ぬる時を思え ♪
今日は慈恵を撒いておけ、明日は我が身と思い知れ ♪
左様すれ者きっと神様が明日のあんたを助けるぞ」
跪いたまま三人、手踊りする。
ブッカルト博士ひとり、不貞寝する。
◇ ◇
プフスブル城外、聖ヒエロニムス修道院。
「来ました! 院長、来ました!」と、修道士。
「来たのか」
「黒です!」
「黒か」
僧院便集配室。
「これか」
「エリツェプル聖アロイシア尼僧院附属孤児院宛・・子供らのための古着の寄付の箱に、こんなものが・・」
「善意の中に悪意を紛れ込ます・・絵に描いた様な悪徳でござりまするなあ」と修道士に扮したヴィレルミ助祭。
「あっ! お待ちくだされ。開封してはなりませぬ。まず、オルブリヒト警部に連絡を。それから公証人もお呼びして下され」
本職が動く。
◇ ◇
役所街のギルド。
「じゃ、週明け早々には戻ります」と、ファッロ。
「じゃ、親書を渡したら、あたしからのキスだと言ってローラがギルマスの頬にチュッとする。そしたら彼奴は必ず調子に乗ってお尻に触るから、その手をファッロが押さえるんだ。それで今後ファッロの便宜はガンガン図る様になるから」
ミランダが悪い知恵を授けている。
「うー、やだなあ・・ファロちん以外の人と・・」
「頬っぺだから大丈夫。だよなあファッロ?」
「ううっ、やだなあ・・」
「お前もか」
咳払いして・・それ、やっとけばエリツェでローラに粉かける男は一人も居なくなる。軽い麻疹で安全になると思って我慢しろ」
「じゃ、情報収集も頼んだぞ」と、警部。
皆で馬車を見送る。
そこへ灰色外套の警官が小走りで。
「警部・・」
耳打ちする。
表情が険しくなる。
◇ ◇
エリツェの町、西区流通会館通り南、赤煉瓦亭の五階。
朝食の皿を派手に取り落とす音。
若い女給の悲鳴が響く。