58.憂鬱な敗北組
《三月六日、七つの鐘には未だ間がある頃》
ひとつの蹉跌から闇に堕ちる不運と、落ちた虎口のひと噛みを辛くも脱れる幸運を、ほんの数日のうちに味わった男が、遥か北の町アグリッパで新しい人生を掴んでいた。
同じ頃、プフスブルで役所街のギルドを訪れている男も、或いは似た様な境遇であったのかも知れない。本人は多くを語らぬが。
彼はロドルフォと名告った。
「申し訳ないが同名の組合員がいる。出身地でなくていもいい。『"何処そこ"のロドルフォ』式に宣って貰えないかな?」と、今はギルマス代行のミランダ。
「うむ。思えば、峠でこれに署名して頂いたとき、某は新しい自分に成ったと言えるかも知れぬ。ラズースのロドルフォで宜しいか?」
一枚の書状を見せる。
人相書である。
『此の者を捕縛するに当たり之を死傷せしめたる者には、一切の罪を不問る可』
欄外に、『本状を持参せる者は手配中の上記人物とは別人なること、何処の法廷にても証言することを此処に誓う者也。犯行現場目撃者、クレスペーレの騎士ロレンツォ』とある。
「あのお兄さんも面倒見いいわね」と、ミランダ。
「それは常時携帯してるといいわ。まあ、賞金懸かってない相手に率先して武器を向けるような輩は最初から話が通じないでしょうけど」
顔が似ているだけで死刑宣告するような物騒な手配書だが、賞金が鐚一文懸っていないのがせめてもの救いだ。それでも、最寄の官府に平和的に犯人を出頭させようと意図した此の制度は、数多くの理不尽な犠牲を生んできた。
「猜疑心と恐怖心に駆られ、物陰から突然狙撃して来るような輩が厄介で堪りませぬ」
もう一つの書類も改め、受け取って筒に収める。
「こちらはギルドの金庫で預かりましょう」
住民登録申請受理証だ。「初歳」と注記して仮登録の押印があった。冬至を過ぎるまで軽犯罪ひとつ無ければ本登録される。
「これって冬に来た人がお得なのよね」と、ミランダが笑う。
その時、戸口から大柄の男が這入って来る。
袖無しの上着から太い腕。
皆の会話が止まる。
墻になる。
パロの戦車に追われた人々の左右に出来た垣のように、皆が左右に分かれる。
その間を真っ直ぐに決闘人テータ、受付嬢ユリアナの窓口に行って依頼する。
「スパーリングの相手が欲しい」
「あは・は・・、先週の今日ですんで・・応募者がいなくても不快に思わないで下さいね」
「昨日の今日だろう。俺は大したことはない」
広間を再び横切って帰ろうとする彼がふと歩みを停め、ミランダと話している男の方に向き直る。
ラズースのロドルフォと目が合う。
「此処へ来て、最初の仕事は皆の避ける仕事にしようと思って居た」
「初めての仕事をしようと思っている人には、告知しておかなきゃ不好いね。彼とのスパーリング中に死んだ男を埋葬してから、今日は六日目だ。応募は奨めも制止もしない。自己責任だが事実だけ言っておく。定めにより契約金は人命金相当額の半額を下回っては不可い」
「・・(あ、このひとモルトんとき倍にボッてたよ)」
「(勝率で換算するのだよキミ)」とミランダが視線でユリアナに主張する。
「俺は決闘人として昨日法廷で戦った。取り押さえられて地に這った。もっと鍛えねばならない。五十両でよろしいか?」
「お受け致す」
「ちょぉぉぉっと待ったぁ!」と、ユリアナ嬢。
「応募は、私が掲示板に求人票貼り出してからにして下さぁい」
◇ ◇
役所街に近い『金の仔牛』亭。
「これはマッシリアのおりょうりなんだけど、ネアプーラでもよく食べまぁす」
ローラ、料理人たちの前で魚介のスープを煮込んでいる。
「南でも、おさかなとれない日には、飴で煮ておいたのを、こうしてまたスープで煮たり、くふうします」
「成る程、干物や塩漬けほど日持ち優先にしないで、いろんなやり方が有るのだなあ」と亭主。通いの料理人たちも興味津々な模様。
「みなさん、女房をよろしくお願いします。今日は顔見せですが、次から週一回フルにお邪魔しますんで」
「おう、その日は旦那さんも嬢ちゃんたちも食いに来い。賄い扱いだから俺らと一緒の食卓けどな」
「やたっ!」と三人組。
「にぎやかなの、だい好き!」
「なあ、明日からエリツェなんだって?」
「ええ、週末過ごしたら直ぐに帰って来ます」
「将来は、あっちに店持ったりとか、考えてるか?」
「うーん、俺の故郷だけど、あそこ競争相手多いしね。この町好きだし」
「んなら・・旦那さんの仕事にとっても、うちの店の常連客の顔覚えとけば決して損にゃならんと思うぜ。先々も宜しくな」
◇ ◇
アグリッパの町。
此処は北嶺寺社領とも似た当地の大司教領で、エリツェほど市長の力は強くなく、名目的な代官を会合衆が担いでいる。要はギルドが仕切っている自治都市だ。そして探索者ギルドが鬼っ子扱いされてもいない。探索者ギルドも商工ギルドや金融ギルド同様に市政に参加しているし、何より探索者ギルドが市の治安に大きく貢献している。ストレートに言えば、町が大手傭兵団の食い物にされないだけの軍事力を、探索者ギルドに属するフリー傭兵たちが提供しているわけだ。有事となれば将校として、徴兵された市民を指揮する役割も期待されている。
偽りの出生さえ隠しおおせれば、ラサルテスにも洋々たる未来が開ける。
であるからして、ヨアヒム・ローシーが此の町に来て今このとき必死で偽名を考えている。というのも由々しき事態なのだが、今は措こう。
ミュラに、商人オロスは大枚預けて仕入れを任せた。兄が共同経営者に迎え入れた者だとはいえ、初対面の男にぽんと大金渡すオロスも大概な奴である。或いは彼がミュラの、信用と契約を過剰なまでに重んじる性情を、感覚的に嗅ぎ取っていたのかも知れない。それが殺し屋時代に培われたミュラの特異な倫理観であることを知ってか知らずか、であるが。
今は店の手代ミュラが商品買い付けにアグリッパに向かい、ルーティ兄弟が雇われた案内人。ヨアヒムは空気という配役である。
「市に店を出せるのが週末だから、オロスがバイヤーとして扱える品目に限るのが正解だな。関所で免税になったんで価格競争力がアップした分、在庫を抱えても貸倉庫使う余裕が出た」
「ミュラさんは、俺らが紹介できる安いルートをひと回りするのと、あと新規開拓っすね」
「今回は余り時間が取れん。木金はエリツェへ買い付けに行かねば。ヨアヒム氏が此方に落ち着かれるのであるのなら、来週また来る時までに情報収集しておいて頂ければ、お互い都合が良かろう」
「俺と繋がりを残してて大丈夫なのかい?」
「カプレッティ男爵がどうにかされたら危機感を持てばいいさ」
「そうっす。多寡をくくっちゃダメだけど、雨が降っただけで雷怖がってもしょうがないっす」
◇ ◇
南部穀倉地域。
ダ・ヴェルチェリ男爵領、民兵宿営地の望楼。
監視中の民兵が何か見付ける。
「街道を北から三騎!」
周りの一同、わたわたする。
喇叭を吹こうとする民兵を慌てて止める男。
「待て! 落ち着け! まず先に傭兵姉さん起こそう!」
クリス、面倒になるので、皆には男爵夫人の従姉妹とか一切知らせてない。
眠りの浅い猫の方が先に飛び起きて来て、南街道のはるか遠方を望む。
「敵っぽくないにゃ」
一同胸を撫で下ろす。
クリス、寝ていた薄着のまま目を擦りながら起きて来る。にょっきり太腿が出ている。
「わっ!」と独り身の若い連中が両手で顔を覆うが、指の間から両目が出ている。
「おまえら、よく見るにゃ。あれ、普段の格好とぜんぜん変わらんにゃ」
「そう言えば、そうかも」と、若い連中。
「若い女性が寝ていた格好と思うから興奮するのにゃ。それ、先入観。街道を北から来る三騎が野盗に見えるのも先入観。あいつら、北部っぽいサレット被ってるにゃん」
「いや猫哥さん、俺らソコまで見えてないし」と民兵。
「とにかくお前ら落ち着くのにゃ。落ち着けばレギンス履いてる途中の傭兵娘のお尻がしっかり見れたのにゃ」
「しまった!」
「教練で教わった筈にゃ。平常心平常心。失なったらば命の危機、保っておれば三文の得」
「平常心平常心。失なったらば命の危機! 保っておれば三文の得!」
唱和する。
「あたし三文じゃないもん」と、クリス。
クリス、馬に飛び乗る。猫もお尻にしがみ付く。
さっと疾駆けて南街道へ。
向こうから来る三騎、右手を掲げて敵意ない意思表示。
「エステルの父親はモルデカイ? それともアビハイル?」とクリス。
「いいや、エルアザルだ」
「ソプラヴィ団ね」
「おう。様子見の先発組だ。宜しくな」と、騎兵。




