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57.憂鬱な黒騎士

《三月六日、昼下がり》

 西区流通会館通り南、赤煉瓦亭。


「曹長殿、どうなさった? 雷に打たれて死んだ家鴨のような目をして」

「いや、尋常じゃないとは思っていたが、鮮明はっきり言葉で言われるとな」

「神がイブライに何を命じられたか、誰でもご存知でしょう?」と、ラツァロ・フィエスコ。

「それは子供の頃に習ったんで覚えてるよ。大人になってからは、あまり教会に行ってはいな・・くもないが、説教はあまり聞いていないんで覚束おぼつか無いが」


「神はイブライに呼びかけて、たった一人の愛する我が子イツハクを生贄に捧げるよう命じられました」

「其れは信仰の深さを試しただけ・・だったんだろ?」

「そう。それでイブライはナイフくるてを手に執って我が子を殺そうとしました」

「でも、神が止めた」

「いいえ、止めたのは天使です」

「そうだっけ? 俺なんて、ちっとだけど軍隊経験者だからな・・ほんとに最初の命令が撤回されたのか確認するけどな。天使が偽物だったらどうすんだ?」

 どこかの門番のようなことを言う。


「天使だって信用ありますじゃろ」と、法医。

「でも、直接に主人から命じられたことを中止するのって、それでいいの?」

「天使であることそれ自体が証拠なんではないかのう。諸侯が御旗を立ててるみたいな感じで、ぺかぺか証憑的なもんんが光っとるとか」と警視が妥協案提出。

「でも、直命の撤回が人てってのは、なんか気になりますねえ」

 ラツァロ、八の字寄せて首を捻る。

「天使は人じゃなかろ」

 法医も突っ込む。


「おい! ちょっと待ってくれ。神が『たった一人の愛する我が子』って言ったんだよな? 確かイツハクってさ、兄さん居たろ?」

 曹長突然別の観点で疑問に行き当たる。

「妾の子ですな」とラツァロ。

「じゃあ、庶子は跡取りになれないってのは神様が決めたのか!」

「正妻が追い出せと言ったら、妾と庶子は追い出せ。悪いようにんから的なお告げを下していますね」

「で、悪いようになかったのか?」

「母子が砂漠を彷徨い、渇きで死ぬ直前に水を恵まれました」

  「けちくせえ!」

(・・あ、汚い言葉使っちゃった・・と心中で反省するニクラウス曹長)

「成る程・・その子孫、何千年経っても戦争しちょるのぉ・・」


「そこらに異端審問官とか・・居ませんよね?」

「いや。割とそこらにおる」

「え!」

「今月はのう・・」と、警視。


 実は既にワインがふた甕目である。


                ◇ ◇

 割とそこらにいるが、幸運なことに近くではなかった。

 ちなみに、東区には審問官の放った工作員的な人物がひとり。三人従者を連れているが、従者らは堅気衆である。

 小洒落たテラスに場違いな四人組。常連客らの目が冷ややかだ。


「給仕は男しか居ないのか。料理は良いが色気のない店だな」

「居たって旦那様にゃ見せない気がしやす」

「旦那の場合は好色より変態が正面に出てやすからねえ」

 反論もしない。若造の割にブッカルト博士、隠す気もないほど割り切れている。


「旦那、飲まねえんですかい? 珍しい」

「当たり前だ。これから公文書館に行くんだぞ」

「酒臭かったら不可いけねぇと! 旦那も大人になったね」


「いや、飲んでて読んだら・・寝てしまう」


                ◇ ◇

 実は西区でも審問官の放った工作員的な者たちが活動中なのだが、安い飲食店を中心に情宣活動にいそしんでいたので、曹長らとは擦れ違いである。仮にニアミスしていたとしても、こちらは情報発信グループなので、物騒な事には成らなかったろうが。

 座長の「モンク」は十二人ほどの一味を三人四組に分けて、噂の拡散を図っていた。真ッ昼間なので岡場所系統ではなく、普通の飲食店や屋台に、ふた組。昼酒飲むような連中の溜まり場に、ふた組。しかし、これまで各地でデマを流す仕事は随分してきたが、本当のことを触れ回るのは初めてだ・・と「モンク」が呟く。


「大将、そろそろ満腹が顔に出る。怪しまれっぞ」と、大男。

「いい仕事っすけど、限界は有りゃあすね」

「そうだな。撤収指示を伝えろ。夜に備えて皆で昼寝だ」

「けけっ。まっこと良い仕事でやんす」


 彼らもエリツェは何度か来て知っているが、活動の中心は北部諸州である。此処の寺町には評判の湯屋があるので昼間から遊郭にも客足が絶えないのを知らなんだのは、然し勿体ない事をした。


                ◇ ◇

 赤煉瓦亭。

 話題がだいぶ脱線したところで、警視がぽつり。

「あの子ら、市民の墓地に入れてやる決定が取れた。防疫局とだいぶやり合ったが、火葬するという条件で折り合い付けた。

「火葬かぁ・・」

「仕方なかろうなあ、市民が疫病を怖がるから。検屍した当のわしがぴんぴんして居ってもな」と、法医。

「このあと、西の川端じゃ」


「そろそろ食べ放題タイム終わりでーす」と若い女給。

「あ、シメに茹で麺。茹で麺食おう」

 四人一斉に立つ。他の客も立って、大いに賑わう。

 亭主、倏忽たちどころに軽食皿盛りひとつ仕上げ、若い女給へ。

 女給、奥の階段を登って行く。

 貸切用個室の階と従業員や店主家族の居住階を過ぎて、下宿人部屋のある五階に着く頃、少々息が切れている。

「ちょっと体力落ちたかなぁ」などと呟きながら、騎士の部屋の戸を叩く。

「誰だ!」と声。

「誰だも何も、私ですぅ。軽食!」

 内鍵を開ける音。

 扉が小さく開いて、彼女の目の前に騎士の胸というより腹に近い筋肉の壁が出現する。

「うひゃ!」

「済まぬ。楽な格好をして居ってな」

 襯衣しゃつの胸元が多少はだけているだけだが、彼女は今夜から恋人の胸板がたるんで見える気がする。

「誰も訪ねて来なかったか?」

「特に誰も」と、娘。

「部下が来ても、『忙しいから取り次ぐなと固く言い付けられている』と言って、追い返してくれ」

「はぁ」


 娘のすぐ後ろに、浮浪児ふうの少年がついて来て覗いているが、二人とも気が付かない。


                ◇ ◇

 百里西、プフスブルの町。

 役所街のギルド。元騎士のグイ・オシリスキー留守番をしている。

 違った。グイ・ド・クレスペルであった。

 職員一同『金の仔牛』亭から帰って来る。

「留守中にヨアンネスさんの馬車が返却されました。馬車の破損、馬の疲弊なし。現状復帰義務には特に問題なし追加精算不要と俺様が判断したんで、チェックしてくれ」

 無精髭のお兄さん寧ろユリアナ嬢よりもちゃんと仕事が出来ている。


 玄関前。

 職員一同並んで見送る。

「クラウス! 惜別の接吻をしよう」と、ミランダ。

 小声で「そこまでやるのか?」と黒騎士、実にいやそう。

 敢え無く屈したら熱烈な口づけをされる。

 流石練達の騎士、顔色ひとつ変えない。いや、少し蒼い様だが光線の加減かもしれない。

 磨墨に騎乗して風のように去る。

「姉上が舌まで入れて参ったぞ。今夜の夢見が悪そうだ」

 ハンスとクイントの馬車も出立する。クイントの体重分、馬が辛そうだ。


 西門前にカプアーナ家の馬車。

 前でルクレツィア嬢がレヴェランス。

 黒騎士、片足を鎧から外して目礼で答える。

 だいぶ遅れてハンスらの馬車。二人手を振って笑顔で。

 天蓋を全開した馬車の中では、家政婦長に付き添われたカプアーナ老が胸に手を当てる敬礼。体調がだいぶ良くなった様だ。


                ◇ ◇

 代官所。

 太守執務机に判事補リンドルフ・フォン・キルヒャーハイム侯子の姿。

 ダ・マッサ先男爵夫人に礼状をしたためている。


 追伸にさりげなく、自分もお嫁さんが欲しい様な話を、くだけた調子で書き添える。


                ◇ ◇

 アグリッパの町。

 騎馬を探索者ギルドの馬丁に預け、正面玄関へと入って行く一人の男の姿。

 傭兵団の除隊者紹介状を手に、探索者の新規登録を済ます。

 ここは北海地方への入り口に当たる近い大きな町だ。荒事のできる探索者の需要は多い。

 餞別に乗馬まで頂いた。

「自由を有り難うございます」

 決闘人の過去を消した男ラサルテスは、南の空に深々と頭を垂れる。


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