56.憂鬱な従兄弟殿
《三月六日、昼》
エリツェプル市中央区、市警本部。
「警視、ヒントが欲しい」と、ニクラウス曹長。
「後で教えちゃると言っとろうに」
「待ちきれず、彼是思い悩んでしまうのです。ヒントだけ」
「有料じゃぞ。昼飯を奢れ」
「町指折りの富豪が、一介の公務員に『たかる』んですか?」
「わし、もう商会を息子に譲った隠居爺ィじゃ。所得も警視の給与だけじゃわい」
「高給のくせに」
ぶつくさ言いながら昼食に表へ出る。
◇ ◇
西区流通会館通り南、赤煉瓦亭。
「入場料制ですか・・高ッ!」
ホール中央の卓上に大皿盛りの料理が並ぶ。
山と積んである平たい堅パンに好きな料理を好きなだけ盛って席に帰る。
「其れで、事件なんですが・・」
「これこれ、周りに人ががいっぱい居るぞい」
「此処を選んだの、閣下では?」
「そうじゃ。喋らんで済む」
「(このジジイ)・・『邪論』とは何です?」
「"Άδικος λόγος"とは、正面から戦って勝てん時の法廷弁論術じゃ。勉強しとけ」
「弁論術ですか」
「相手に時間がないときは牛歩する。おしゃべりな相手には多くを語らせて矛盾を引き出す。お前さんにあんまり教えとうないときは、此処みたいに喋りにくい場所に誘う。みんな議論を善悪から引き剥がし、都合のいい不公平を作り出す技術じゃわ。それと『邪』は『邪悪』のジャばかりではないんじゃ。ナナメという意味もある。斜め上からの議論で掻き回す。これも邪論じゃろ?」
「あんまり勉強したくないですね」
「ねえちゃん、ワインひと壺!」
「閣下、勤務中ですよ・・って、酒は追加料金じゃねえかコラ」
◇ ◇
東区、御屋敷町。
丘の上のガルデリ子爵邸。
「昼飯が出る気配まったく無いな」と、ブッカルト博士。
「『町の公文書館に調べ物に来たから宿だけ貸して』って頼んだの、主様ですぜ」
「公文書館への紹介状貰ったのに、行かねえで昼飯出せって言っても無理でさぁ」
「朝飯でただけでも満足しねえと」
三人の下僕ら、口々に。
「仕方ない。出かけて街でどっか店探そう」
◇ ◇
オルトロス街、協会大広間。
飛脚屋チンク、昼前に着いて典礼主任からの報告書とプフスのギルドからの親書を渡し了えたところ。協会気付で預かった商人アルゲント宛の手紙も預けた。今は昼飯の列に並んでいる。
金を貯めて良い馬を買う計画はすっかり忘れて、午後から色街に行く気になっていると、壁新聞の話が耳に入る。残念ながら字が読めない。全く読めないわけではないが、逆にそれを手紙を預かる業者としての売りにしている以上は壁新聞など見に行けない。誰ぞ焚き付けて読み聞かせて貰う形にするかとか考えていると、入り口扉の近くに立ってもじもじしている農夫の姿が目に入る。若干気にはなっていたが、自分には関係あるまいと他所を向く。
受付の目鬘女史、すでに見咎めていて頭を抱える。
「うわぁ・・七人目、来てしまいましたわ」
◇ ◇
その頃、プフスの町。
ローラの部屋で五人が食卓を囲んでいる。
「なあ」と、ファッロ。
「この街に居着いて一週間。そろそろエリツェに帰ろうと思うんだが・・」
「え! ファロちんちん、帰っちゃうの!」と、カリナ。
「例の裁判も終わったし、誘拐事件のその後とか、調べてみたい事もある」
ローラが匙を取り落とす。
「あっちの俺の部屋、ここより狭いんだけど大丈夫かな」と、彼女の顔を見る。
「だいじょぶだよ!」と、一転して満面の笑み。
「いつ帰ってくんの?」と、三人娘。
「あたしらもう、ローラの飯がないと生きるの辛いし」
「今は俺がこの町で仕事の地固めする大事な時期だ。あんまり空けたくないから、すぐ戻るよ」
「ねえねえ、ラマティに寄る?」
「ラマティ?」
「こないだのお爺ちゃんが、ローラの戸籍の件で一度相談に来いって」と、ミラ。
「せっかくファロちん自由市民でしょ? 子供のこと考えたら早めに手を打っとこうって、なんか真面目に考えてくれるみたい」
「ありがたい話だ。帰りに必ず挨拶に伺おう」
ローラ、嬉しそうだが、多分意味はわかってない。
◇ ◇
ギルドからほど近い「金の仔牛」亭。
「えー、結局なんの役にも立ってない俺じゃなくて、代言人として活躍したハンスさんと、そして何より勝訴の功労者である騎士クラウス殿の慰労をメインにして頂きたいわけで、いや有難う御座いました」
自分の交際相手の男であるかのように振る舞えと姉から言い含められている騎士、襤褸を出さぬには余計なこと言わぬに限ると寡言。
ぼそっと、
「誰ぞ、那の男に『強者と戦えて満足』と申して居ったと伝言を頼みたい」
「本日はカプアーナ家からも参加なさりたいと御声掛け頂きましたれど、クラウスへの金品授与と見咎められる危険の芽は無きが宜しいと丁重にお断り致しました。よって感謝の言葉のみ承って参りました」
ミランダが仕切る。
送別会やろうと突然言い出したのは毎度どおりゼードルフ老であるが。
その頃・・
ギルドのホールでは職員全員の数だけ食事が出て、エマの小遣いが増える。
加えて今夜の予約も済ませている。
◇ ◇
南部穀倉地帯のただ中、ヴェルチェリ男爵の控え目な居城。平山城で館に近い建物の、陽当たり良い二階テラス。
男爵夫妻とクリスがランチ中。ちなみに猫は宿営地で寝ている。
「そーいうわけでー、伏兵を置いて野盗一名捕らえてみる価値は十分あると思うなあ。でも、しなくていい抗争の引き金になっちゃう可能性を考えると、見逃す方が正解かも」
「伝令の下っ端君ひとり捕まえて抗争勃発じゃ、割りが合わないものね」と、男爵夫人エステル。
「灯火を隠すテクとか見ると、多分ベテラン。でも、明日には傭兵団が来ることを考えると、今夜は静観かなあ」
男爵微笑む。
「明朝未明、民兵が配置に着くのと交代で、馬車で町へお送りします」
「傭兵団の到着まで居て引継ぎした方が良くない?」
「それでは三夜の約束で無理言って来て頂いたのに、ずるする引き伸ばすようで心苦しいです」
エステル相槌、
「私が一緒にギルド行って謝金払って、その足でおじさん家に行くの。そこで厄介になってる父を回収して戻って来ると傭兵団到着時刻にぴったりってスケジュールなんだよ」
「そーか、んじゃ今夜はラスト。気合入れて見張るかー」
と、ハーブ味のパスタもりもり食べる。
◇ ◇
西区、赤煉瓦亭。
吊る下がった炙り肉を切り取ってパンの皿に盛っていたニクラウス曹長、向かいで肉を切っている人物の顔を見たら、知り合いと瓜二つ。つい繁々と見ると、向こうも怪訝な顔。と、思ったらその背後に瓜二つの元が居た。
「あら、法医どの」
空いた四人掛け席へ素早く移る。
「最後の従兄弟ラツァロ・フィエスコ参審人。一人娘を嫁に出しちまって、うちも姪ひとり。近々消滅する一族ですわい」
なんだか鬱な紹介をする。
「此やつ、剣士崩れのくせに博物誌なんぞに詳しくてな、ほれ、曹長殿にあの話してやれ」
「あの話?」
「左様。蛮族の風習だが、我らの国にも聖教伝道前の古代には存ったと言われる古俗の話です」
「お聞かせいただけますか?」
「祭礼で神に捧げる犠牲獣を飼う間、聖別の印として片目を潰すのです」
曹長が膝を乗り出し、警視は葡萄酒をちょっと吹く。
「古い伝説などでも、異教の神殿で暮らす片目の子供たちの逸話が、東西問わず各地に残っています」
「遺体があのような有様じゃで、この話で断定する気は毛頭ないが、四体とも左眼窩の左手上から右手下にかけ、骨に及ぶ損傷が認められる。これは証拠ある事実じゃ」
ニクラウス曹長、いま切って来た肉をじと見る。