53.憂鬱な曹長
《三月六日、未明》
東の空に低く太白金星が輝いている。
人気のないうち出発した。
馬車は使わない。
アッソの柩を担いだ一同が来ると、事情知って居る西門の衛兵は、未だ開門時刻ではないのに黙って通用口を通した。
皆で西の丘を登って行く。
叔父オトが葬列の先頭に立ち、父ティト・ボニゾッリが、椅子の肘掛けの下に天秤棒を支った即成の輿に乗せられて、棺に続く。
丘の上。
名誉ある市民の整備された墓地と、貧乏人が雑然と葬られる区画と、そしてまた別の一角がある。全ての名誉を剥奪された刑死者が葬られるーーとういうか、投棄されるのは谷の方で、そちらとも違う。
斬首された刑死者は、既に彼の犯した罪に相当する罰を受けているので、それ以上に名誉を傷つけられることはない。人の嘆きも、魂の安息への祈りも、みな平等である。
昨日のうちに用意された墓壙の前で、既に修道士が立っていた。いや、実は修道士ではなくグィレルミ助祭なのだが。
彼は他の人が敬遠しがちな仕事を進んでやる男だった。
暫て昇った辰星が陽の光に溶ける。
グィレルミ助祭の祈りが始まり、一同も祈る。そして皆で填める。
助祭が皆に一礼して先に帰ると、皆で墓を囲んだ車座になって朝食を食べる。アッソの分は 墓壙の上の皿が一つ置かれている。
葡萄酒を回し飲みする。
離れた物陰で手を合わせていた元家令のシルバが発見され、輪に引っ張り込まれる。一緒に葡萄酒を飲む。
うわ言を呟いている老ティトの焦点の合わぬ眼差しを見て、嘗ての威厳に満ちた姿を思い出した古株の使用人が泣き出す。
オトが弔辞のような世間話のようなのを訥々と喋り、皆がしんみり項垂れているとき、老ティトが大きな屁をする。
「弔砲」と、ボルンがひとこと。
耐えていたのに、ついに数人が吹き出す。
カミラが、ぱんぱんと景気良く手を叩く。
「あんたらっ! 若旦那は湿っぽいの嫌いだよっ」
若いのが数人起立して、弔いじゃなく、旅立つ友人を見送る歌を歌い出す。移民たちは皆な知ってる歌。手を叩いて、ちょっと哀愁漂わせつつも空元気ぎみな異国調のメロディーだ。そしたら老ティトが、皆の知ってるのと少し違う歌詞で歌い出す。「きっと何時かまた会おう」的な歌詞だったのが「もう二度と会えないけれど健やかに暮らせ左様なら」みたいな歌詞に変わっている。
みんな起立して手を繋ぎ、輪になって踊り出す。
◇ ◇
役所街のギルド。
「それ、必要でしょうか?」と、ミランダ。
「トルンカ兄弟が帰りましたから、昨日のうちに確実に第一報は届いています。今日の夕方にはご本人もお帰りになりますのに」
「組織の人間としちゃ、自分の第一報が入れたいんですわい」
「でも、お一人で飛脚を立てるのは不経済ですわよ」
「こちらの経費でそちらの組合員が潤うなら、良いことですじゃ。
そこへ一名参入。
「お次い手が有るなら有難い。エリツェの兄に急いで一報入れたいのです」
商人オロスが寄って来る。
「今日はよい代筆屋の紹介をお願いに来たんだが、ちょうど行く便が有るなら、私の手紙もぜひ乗せてください」
「折半じゃアレだから、経費は二八の八を協会が持ちましょう。うちらの町の案件には是非ともオルトロス街の探索者ギルドに御用命を」などとハンス氏、確り宣伝していく。
「代筆ですの?」と、ミランダ。
「法務絡みなら専門の書記を呼びますが、親書程度なら此処で受けますわ。待たせずに私でも、あちらの若い娘でも、すぐ出来ますわ」
ならばよとオロス、格安で馬車を入手できたこと、今週末から運行可能なこと、ミュラが頼りになりそうな男であること等簡潔にまとめて貰って署名する。
「本当だ。代書屋の爺さんの事務所で辛気臭い手続き踏まず、立ち話だけでこんなに簡単に出来るんですね」と頻りに感心している。
飛脚屋のチンク歩み寄って来る。
「仕事ありがてえ。家でゴロゴロしてると絞られて死ぬ」
妻にきりきり働けと叱咤されているのかと思い、皆なが同情する。
ユリアナ嬢一人だけ、くすりと笑う。
◇ ◇
エリツェ、オルトロス街のギルド。
目鬘の女史が気色ばんでいる。
朝一番に未成熟児童の捜索願が二件立て続けに舞い込んだのだ。
昨夜の悩み事が、愈々現実に成って了った。
男女を問わない。
共通項は、未成熟年齢。即ち十二歳未満の子供らが、三月朔と二日に五人行方不明だ。うち二人は誘拐であることが判明して居る。
ラマティ、ウルドゥ、カルドソとサリタ。この町の東と南を遠巻きにされたような分布だ。
もう一つ、共通点がある。
唯一、一つの村で二人攫われ、犯人も「存在した」ラマティでは村中で騒ぎになり、真剣な面持ちの村長が町まで来た。しかしウルドゥでは、行方不明者の親である下僕に泣き付かれた村役人が不承不承来た。いかにも余計な手間をと言わんばかりの迷惑顔だった。依頼料のことも渋りに渋った。今日の親たちに至っては、農作業の遅れを地主に折檻されるのを覚悟で抜け出して来た者まで居た。
なら何故安息日のうちに来ないかと不満げな彼女だが、主人が休んで家にいる日ほど下人が忙しいという、下々の事情を知らない身分の出身な所為であった。
露骨に下層階級が狙われている。騒がれ度く無いので、服装なので判断して社会的に影響力の無い下層階級を狙った。不法行為を多数行う為だ、と彼女は直観する。
ちょっとだけ離席することを同僚に告げ、七階へと向かう。
◇ ◇
市警本部の地下室で青い顔をして居る男性が一人。
法医のフィエスコ氏、もと騎士で凄惨な野戦も語るに耐え難い籠城戦もその身で知っている。法医になってからも色々なものを見てきた。しかし、この損壊の多い遺体が年端も行かぬ児童のものである事実は、なかなか生理的に耐え難かった。腐敗や鳥獣によるものは、まあそれが自然というものだ。彼に嫌な思いをさせたのは経験的に生前の損傷だと直感した箇所だ。
「これ、検案書に書きたくないな。単なるわしの想像なんだから、書かなくていいだろ?」
独り言をいう。
「見た事実だけ書けばいい。いや、それがわしの本来の仕事だし」
そして溜息混じりにいう
「昨夜来ないで正解」
こんな気分になるのが一日でも遅くて良かったと、つくづく思う。
同じ頃、気色ばんでいる男もう一人。
寺裏川の地下水道出水口。
筵を掛けられた戸板が一枚運び出される。
◇ ◇
市警の一室。
ここにいる男は気色ばんでいない。内心はともかく・・
「閣下、あちらの出方は?」
「一歩も引かん」
「・・ですか」
「正論じゃから従うしか無いのう」
「駄目ですか・・」
「正論に抵抗する術はただ一つ」
「それは?」
「それは邪論じゃわ」
「はあ・・」
「戦えば、必ず邪論が勝つ」
「いいんですか?」
「取り敢えず、打てるだけの手は打つ」
「どんな?」
「後で教える」と言うと、老人にひひと笑う。
「はあ?」
ニクラウス曹長、渋ぅい顔をする。
◇ ◇
西区外れ、歓楽街。
娼館『金曜亭』から、とびきりいい女と褌一丁の小太り男が出てくる。
「まあ、こういうのも含めて『遊び』だから」と、女。
「しかし、ここまで過酷な罰ゲームって俺、初めてじゃん」
「騎士さんとかは罰ゲームで笑って死んじゃうみたいだから、これくらい大したこと無いかもよ。世間広いし」
「騎士でなくて良かったよ。祖父さんは騎士だったんだがな、そういう死に方したらしい」
「『この町来て恥かいた男』番付って壁新聞あるんだってさ」
「ここまで来たら、一番にならんと不可ん気がして来た」
「成る程。あんた、騎士の血が流れてるんだね」
「死なねえだけ良いさ」
「ほんと、騎士じゃなくて良かったね。騎士だったら剣を門衛に預けずに帯剣してこの店に来てた。つまり剣も取られてた」
「なるほど。多少は運が良かったんだな」
「いや、でも・・褌一丁で歩いて帰るより、褌一丁で剣下げて帰る姿の方が笑えると思うから」
「番付の格も上がるな?」
娼婦ウーテとウルドゥの村役人フランツ・フォン・コプクランカイト、肩を叩き合って笑う。