44.憂鬱な代言人
《三月五日》
聖ヒエロニムス修道院、東回廊第一会堂。
騎士フェンリスが、日課のように修道士らと問答している。
「つまり修道士は出家した時点で俗世では死んだのと同じ扱いですので、所有財産は相続人が受領します。前もって修道会に寄進する方も多いですが、修道士は個人財産を持ちません。物故者と同じですから、証人や代言人として法廷に立つことも出来ぬのでございます」と、宮廷法務官経験者っぽい修道士。
騎士が聞く。
「それですと、修道院長様が大司教を兼任されているエルテスなど、行政的に支障は無いのでしょうか?」
「選挙で選ばれた司教は教区それ自体の法的人格を代表するのでございます。大修道院長といえども修道士。個人として為政者にはなりませぬ。エルテスの修道会という修道騎士団を含む巨大な組織の象徴的存在として、ヴェナンツィオ師が大司教をお勤めになっています」
「王弟殿下と素直に言えばいいのに」
「げふんげふん」
修道士、咳をする。
「修道士が看做し物故者ということは・・では、何らかの刑事事件の目撃者が偶々修道士だと、世俗法廷は困ったことになりますね」
「その場合は、参審人が修道士に事情聴取を行なって結果を証言するのでございます。修道士は証拠品扱いになります、捜査官が、法廷に持ち込めない文字記録を読んで来たと証言するのと同じようなものですね」
「出廷することは無いのですか?」
「偶に有りますよ。喋る証拠品として」と、修道士笑いながら。
一転真顔になって、
「ご婦人方と同じでございます。得てして後見人が出廷し、ご婦人を『証拠品』として持ち込みます」
「喋る『証拠品』として?」
「『犯人は誰ですか』と問われて、びしっと被告を指差すとか」
「原告として証人を兼ねることは出来るのに、単独では証人に成れぬというのは、辻褄が合わぬ気が致します」
「難しいところでございます。覚悟の差と申せましょうか。真偽を問うて原告側の証人に決闘を挑むのは被告の権利で有りますれば、体格的に劣る女性が無言の圧力に負けて証言を差し控える惧れがこざいます。それでは公平な裁判が出来ませぬ」
「ふむ」
「告発側の参審人が証言する女性の盾になっているのだと考えれば宜しいのです。こうして証人は保護いたしますれど、自らの首も手も賭けられぬ者は安易に訴訟を起こす勿れという話ではござらぬかと」
「成る程」
「・・成る程」と、騎士フェンリス反芻する。
◇ ◇
西門広場。
朝市が賑わっている。
「エリツェの鉱泉水、ないの?」と、主婦。
「あれは直接買い付けにいかないと流れて来ないっす」
「えー? 確かに昨日、ここで売ってたわよ。間違いないわ」
「ここは土日だけ別の商店が立ってるんす。それがエリツェの業者さんなんじゃないですかね」
「週末だけなのかあ」と、奥様族。
その遣り取り一部始終、私服で巡回中のオルブリヒト警部が聞いている。
「探索者ギルドも東西交流を進めるという情報があったし、窓を開けて少し空気が換わるかな」
呟きながら去って行く」
◇ ◇
役所街のギルド。
「ミランダ君、わしは午後から裁判の傍聴に行くんで、頼む」
ギルドの公印を渡される。
「お預かりします」
「あ・・それ、今後渡しっぱなしで、よくない?」
「・・お預かりします」と、ミランダ。
ミランダ、ストラップを首から懸けて印をポケットに入れる。
ギルマスの座を示すストラップが、ミランダの首に懸かっている。
「おーい、そこの愛妻の作った朝飯でまだニヤケてる男!」
「もしかして、俺のことですか?」と。ファッロ。
「ニヤケてる自覚、あるのかなぁ?」
「・・かも」
「君って、字・・書けるよね?」
「韻文は勘弁してください。あれは駄目」
「話し言葉でいい」
「なら大丈夫」
聞いた女史、微笑む。
「法廷行って、ボニゾッリ関連聞き込んで来い。あれ、結構大ごとになるぞ」
「もう結構大ごとででは?」
「もうひと波乱な気がするのよ。だから気になったこと全部記録して来て!」
「あれ、もう一重の底あるから、絶対」
◇ ◇
城内の代官所、政庁前広場。
仮設の板塀で法廷が仕切られている。南側に門が作ってある。ひと一人通れる隙間から回り込んで塀の中に入ると、もう何人か市民が着座している。
執行吏がファッロの身分証を改める。
「ええと・・ファルルス・バスキエヌス。エリツェプル市民の汝が本年度に於いて当市準市民の公民権を有することを此処に認定する。領市長天領プフスブル太守公印・・と。権利は傍聴のみだから、不規則な発言をすると罰金刑になるんで注意して下さいね」
要するにヤジ飛ばしたら罰金だそうだ。
決闘に手を出したら死刑なのは、説明が無くても皆が知っている。
決闘のリングはまだ出来てない。腰高くらいの衝立がいくつも運び込まれているから、あれで作るのかも知らない。
判事や陪席の座席はあるが、まだ誰もいない。
プフスの裁判集会が初めてのファッロは知らない事だが、本日設営された法廷は定例集会よりかなり大きく、そして席は少なめだ。
きょろきょろする。
いかにも下男な人たちが場所取りに勤しんでいる。見た顔もいる。いつぞやギルドで会った司法決闘ジャーナリスト(本業剣術教師)さんとか。ギルマスも来た。出かけたのはあっちが先なのに、何処へ寄っていたのだろう。
響めきが起こる。カプアーナの令嬢だ。みるみるうちに席が埋まって行く。
やがて判事補閣下が正面に着座する。
「・・(若いな。俺と同じくらい? )」
ざわついていた場内が一転静まりかえる。
「右陪席、本日は開廷するのに適切な日ですか?」と、判事補閣下。
「はい、裁判長閣下。いかなる祝祭日にも安息日にも当たらず、かつ前回の定例裁判集会で閣下がカブアーナ、ボニゾッリ両家の係争について再審を宣言なさいました期日でございます」
「左陪席に着座はありますか?」
「ございません。国王陛下が来臨なさいました場合に裁判長閣下が席を譲って着座なさいます為に左は常に空席でございます」
「参審人は着座しましたか?」
「七人着座いたしました」
「それでは、訴訟当事者の中途退席を含む、いかなる審理の妨害も禁止致します」
「閣下はその命令が正義と宣言なさいますか」
「宣言します。誰に対しても正しきを許し、不正を禁じます」
裁判長が掌を上にして参審人に向けて翳す『問い』のポーズ。七人の参審人が人差し指と中指を立てて裁判長を指差し、賛成の意を表する。
右陪席が集会に集まった市民に問う。
「それではカブアーナ、ボニゾッリ両家の再審は正午に開始する。それまで何か問題を抱える者は訴え出るが良い。悩み事を持つ者は自分の問題を持ち出すが良い。順に受理致す」
カプアーナ家のルクレツィア嬢が進み出る、
「本日を通し、代言人にエリツェプル市民のヨアンネス・ボンディを指名致したく存じます。当市出生で二十年以上市民でありました」
「受理します」
「尊き裁判長閣下、ただいま代言人を拝命致しましたヨアンネスです。正午より審理の始まります本訴で争われます証言の認否につきまして、司法決闘が予定されております。この決闘が引き分けであった場合、本訴の帰趨に如何なる影響を及ぼしますのでしょうか?」
「参審人」と、裁判長が掌を向ける。
「判決発見を致します」と参審人のひとり。
「提出された証拠への不服申し立てでありますれば、被告の代理人が勝利すれば証拠は不採用。それ以外の場合は証拠として採用して参審人が判決発見するものと存じます」
参審人のこり六人が二本指で裁判長を指さす。
「右陪席」と裁判長が掌を向けると、こちらも二本指。
「被告の代闘者が勝った場合は証言を無視、それ以外の場合は証言を踏まえて判決が発見されます」と裁判長。
「それでは尊き裁判長閣下」とヨハンネス。
「正午に予定される司法決闘の代闘者資格について申請致します。これなるエリツェプル市民クイント・ソールディは主の御歳数えて千と二十二年四月より十二年間当市に在住した記録がございます」
「少々お待ちを」
ヨアヒム・ローシーが現れる。