12.君子梁上に有り一同の宴席中座しましたる事
「……ワインがいいです」
「おお、大いに呑みたまえ。君は優秀な捜査官だが、今日は聖なる木曜日だぞ。晩餐だよ晩餐。去りにし友への供養に餞。潰れるまで飲むのがお作法だ」
……もうだいぶ出来上がってるのに頭が大丈夫なのは、さすがギルド長さんだと思う。
「……月末から忙しかった、というのは?」
「これ、もう言っちゃっていいかな時効だしね。『逮捕したダークエルフに罪状一切おっ被せて、もう事件幕引きしちゃえ』って強烈な圧力が来たのよ」
「……審問官問題ですか」
「いや、そっちはノープロブレム。北部で大問題が起きてて、あっち連中忙しくてさ。エルテスさんもガードしてくれたし。それより、圧力かけて来たお人が逮捕知ってるの早すぎの方が問題でしょ?」
「仕掛けられたんですかね」
「通報した人はシロだったな。洗ったけど空振り。別に尾行が居たんだろうなあ」
「……同じ相手を尾行していて、亡くなった同僚さん、ちょっと迂闊系ですね」
「いい奴だったけどね、ルーニー・・」
ギルマスさん、ちょっと悲しそうな顔して話題を変える。
「で、幕引き圧力を警視が防戦してる間に、僕が個人的ツテで市長んとこ行って、そんな形のモミ消し案に同意しないで!って説得してた」
「……個人的ツテ?」
「市長夫人が僕の叔母さんでガルデリ谷生まれ」
「血筋って最高ッ!」
「んで、そんとき圧力かけた参事を探りに回ったのがカト・・ じゃないクイントちゃんでね。僕ら二人とも忙殺されてダークエルフくんには会わずじまいだった」
「……お二人とも会っていないと……」
「その後もひと騒動さ。僕がお姉さんとゴージャスお屋敷で甘い日々を送ってた頃、死んだ同僚ったらダークエルフくんの身元探りに『うち』に来て大喧嘩しちゃっててさ、組織挙げての衝突寸前。ここって基本的に身元不問の実績主義でしょ? 聞かれても困るわけ」
「……記録がないのですか」
「きみたちの経歴だって記録どころか、聞いてもいないでしょ? 『うち』じゃ一緒に仕事して作った信頼関係が全てだから。ただ、ダークエルフくんには元いた傭兵団からの紹介状が残っててさ、使える魔法が書いてあったのよ。それがいかにも『奴はクロ!』って証拠固めに使われそうなヤバ目の奴だったから、頑として捜査に非協力貫いちゃったらしい。『うち』ってさ、兄弟を護るとなったら喧嘩上等、流血どんと来いだからね。捜査令状鼻先に突きつけられたら、それで洟かんじゃったっんだって」
「やりますわね当時の職員」
……イーダさん得意そうに笑わないでやって下さい。ギルド長さんの表情が複雑です。
「……その紹介状は?」
「だからハナかんで、じゃなくって紹介状か・・・わかんない」
「わかんない、ってッ!」
「ガサ入れ来るかもーって。どっかに蔵って、そのまま忘れたらしい」
「あ、あああッ・・ひでぇ」
……イーダさんも表情が複雑です。
「南部人ですわ」
「まぁだ大騒ぎは続くよ。疑惑参事の情報収集進めてたクイントちゃんが、同僚の不可解な『殉職』見て逐電。僕と違って生粋の町っ子だから辛かったろうね。そしたら、三週間もの間の調査書類ごっそり行方不明してるのが発覚した。それで『クイントちゃん犯人一味』説が外圧で決まりかけ。押し切られた警視に内部から非難轟々。椅子蹴った退職者続発。市警は崩壊状態さ」
「……けたくそ悪いとは、このことでしたか。赤……クイントさん助かったのですか?」「告発されたけど、伯爵の箝口令逆に盾に取って、義叔父さんが握り潰してくれた」
「そして、ル・・、警吏に一服盛って『殉職』させたのは『うち』だとか対立煽りがすごい中、警視がとうとう胃病で亡くなった。変なコネで続々入ってきた連中に上級職が占められてきてね。僕も辞めた。叔母さんも『あそこ辞めたら!』って」
「それが……紆余曲折を経て、今はこちらのギルド長さんとは」
「いや、市警辞めてすぐ来たら、えらく歓迎されたよ」
「変なコネですよねッ!」
……悠然と無視して
「まあ、市警もひと世代回って、またいい若手が育ってくれてるよ。あの頃生まれてなかった子たちがルーキーだもん」
「……もしかして今の市長さんって……」
「ん、イトコでガルデリつながり。あんまり言っちゃダメだよ参事会うざいから」
……上が犬猿な筈が、そのまた上が繋がってる人間社会に辟易しながら……
「……私も飲んで了いましたので、最後にギルド長さんが多分一番答えにくことを聞いてしまいます。万一ですが今もし、ガルデリ衆さんが蹶起したなら、貴方はどういうお立場を取りますか?」
「あ、それ全然答え難くない。僕なら『血の兄弟』と『誓約の兄弟』の間に流血起こさせまいと命懸ける。どっちも兄弟だからね。乾杯しよう、誓約の兄弟くん」
……このときは、ギルド長さんが少し格好よく感じた。 ……まだ誓約してないが……
◇ ◇
「あの、イーダさん……」「(もぐっ)?」
宴席で一心に考え事をしていて急に何か思いついたニートは、うっかりポロ鳥腿焼き柑橘ソース掛けにかぶり付いた瞬間の女性に話し掛けてしまった。
「用心棒さんが片付けた首さん達なんですが……あまりお酒が進まないうち確認しておいてはと……」
「飲み食いをちょっと中座してモルグに行く気のきみの神経、仲々ですわね」
◇ ◇
探索者ギルド会館裏隣にある酒類卸売業者の倉庫。
屋根裏部屋に下宿している男が「酒屋の御用聞き」だとは、商工ギルドの連合会平役員である卸売業者主人も知らなかった。主人は商工系ギルドの親方には珍しく探索者ギルドを「ギルド(あるて)」と呼ぶ人物である。ひとえに探索者ギルド協会の酒房が大口客だからであるが。
倉庫が施錠されているときは屋内の階段から屋根裏部屋に上がって行けないため、件の屋根裏部屋の借家人は非常階段出口の合鍵を預かっており、その階段で行ける最上階の先は屋根に架った梯子伝いに曲芸しながら自室に帰ることになる。一杯加減で帰宅したら墜死も免れなそうな居宅だが、住宅事情の悲惨な貧乏職人は別に珍しくもない。町中には珍しく夜中も喧騒の絶えないオルトロス区には、酒の誘惑も含めて一日の疲れを癒す安眠の敵が多い。ゆえにこれは、住宅としての人気芳しからぬ中での、劣悪側の一つの頂点ではあるが、である。
だから、この「酒屋の御用聞き」は、さして他人に怪しまれることなく破風の蔭の絶好のスポットに上がることが出来るのだ。
何が絶好かといえば、雨風にも人目にも晒されず探索者ギルド会館の大概を見張る場所として、である。破風のたまさか入り組んだ構造の、外からはすっかり蔭になって見えない場所に、板切れと襤褸布で人の二人くらい雑魚寝できる空間を作り、彼らは交代で常時監視していた。
何を、か?
もちろん彼らが決してギルドとは呼ぶ事のない「職人宿のごろつき結社」を、である。
◇ ◇
西の空の晴れ間から傾いた上弦の月が覗くが、室内から溢れ出す光が仄かな月明かりなど掻き消す程に会館の中庭を照らし、煌々と明かり灯した室内の喧騒が破風の蔭まで届いて来る。
「まーだ酒盛りやってますよ」
「直き二更、天辺越えちまうぞ。彼奴ら、明日も聖月曜日にする気か」
「今日は木曜ですって」「ものの喩えだ。煩く言うな」
「しかし、どっか焼き討ちでも懸けるのかと肝を冷やしましたよ。
「ああ、一時ゃ生きた心地が為えなんだ」
「でも、お隣の兵隊崩れが街中で事件を起こさないでいるのが、彼奴らのお蔭だって認めないのって、人としてダメだと思いません?」
「ダメだな。警備長すっかり現実逃避しちまってら」
「でも、ああ飲んだくれててもダメですよね」
「いや、好きなとき好きなだけ飲んでりゃいいのさ。彼奴ら、街の治安に責任負ってるわけじゃないんだから。あれで十分抑止力に為ってる」
「兵隊崩れの愚連隊共が少しは萎縮して呉るといいんですが」
「するさ。多分ずずんと効いただろう。ダメ押しに、賞金首を狩ったのも松明行列やったのも先週奴らに殴られた夜警の件の意趣返しとか、ガセの噂を流しとけ」
あくまで松明行列である。
「武器帯同集合」とか言って了えば、取り締まらなかった市警が職務放棄で糾弾される。
火の用心と帰宅を促す夜回り仕事は市民の持ち回りだ。軽い夜食分くらいの薄謝で面倒至極な深夜の見回りをする『夜警』には、皆が敬意を以て接するのが市民の常識である。その日の輪番が当たった一人は熟練工の大工で、仕事疲れの父の為、若手職人だった息子が代役で夜回りに出ていた。
別に権柄づくな態度で命じた訳でもない。法的には外出禁止時刻の徘徊で罰金刑相当な相手に、大声で喚き騒ぐのを婉わり制止して、穏やかに帰宅を促しただけの事だった。それがゲルダン酔漢達に袋叩きされた。市民達には衝撃だった。外国人とは言っても同じ出自の南部人同士だから自分たちの常識が通じるという楽観の蹉跌であった。
「うわー、曹長殿が悪い顔してる」
「だから『疑問形』で流せばいいんだよ。『大晩餐会が始まったのは、夜警やってて殴られた見習い大工の親戚らが彼奴らに酒樽届けたから?』とかな」
「彼、見習いじゃなくて一人前の職人ですよ」
「細けえことはいいんだよ。その方が噂らしいだろ」
「対立煽っちゃうんですか?」
「馬鹿野郎、逆だ。この間の一件以来、また目に見えて夜警を引き受けるのを渋る市民が増えた。この儘じゃ必ず、こっそり銭金払って彼奴らに代役を頼む奴が出て来る。
「市民が自分の責任、自分の出費で傭兵雇って呉るなら、市の財政負担にもならないし結構なことじゃないですか」
「阿呆、小遣銭でまともな傭兵が雇えるか。お使いの駄賃程度で無印の何でも屋ぁ雇うに決まってるだろ。愚連隊どもに蛸殴りされるのがオチだ。そしたらお前、どうなる? 『血の報復』で有名なシケリ人も裸足で逃げ出す連中さ。松明行列じゃ済まねえぞ」
「本格抗争になる前に釘を刺すと」
「本格『抗争』程度で済みゃ恩の字だ。あそこに怪物何人いると思う? デブ騎士辺りが出たら『戦争』だぞ。奴に晒された生首みて卒倒する市民が出るより、酔っ払って寝ててくれる方が皆の倖せだ」
「う・・」
「覚えとけよ。犯罪を無くすのが俺たちの務めだが、どんな犯罪も戦争よりマシだ。彼奴
らは抑止力止まりで居てもらう」
「彼奴らを覗いてると、熟づく町は変ってかなきゃ不可いと思いますよ。我々もギルドの若い徒弟衆の手を輪番で借るような自警団体質から早く抜け出さないと先がないし」
「彼奴らもダメだ。やくざな稼業から足を洗おうと町に来たあの兄弟に、鉄火な仕事ばかり回しやがって。なんで堅気にして遣うと骨折って与らないんだ」
「でも今日一日で兵隊崩れ共を二十人近くです。東門じゃ四人をひと睨みで黙らせた。あそこまで凄腕だと、左官屋の職人に紹介する馬鹿はいないでしょ。しかもチャンバラは外でやって呉れるだけの常識持ち。」
「だから、ウチで欲しい」
「んじゃ、曹長が早く出世して副警視にでも為って下さいよ」
「2階級上がれって、俺に死ねと言うのかコラ」
「動いた!」
「龍殺しのリッター=アラン、監獄棟に向かいました」
「俺たちのメッセージに気づいてくれると好いがな」
◇ ◇
ギルドのモルグ。
探索者ギルドには当然の事ながら警察権も逮捕権も無い……が、王国が重犯罪者に懸けた賞金の支払いと罰金徴収の事務代行委託を請け負った折に、仮監獄と霊安室のある別館を建てた。最寄りの代官所から刑部のルテナンか巡察判事補が来るまで、生者も死者も押収財産も……一時預かる必要からだ。事務棟、食堂や簡易宿泊所棟、寄宿舎棟などに囲まれて、奥まった北の寂しい所にある半地下の建物だ。
今日も今日とて……最近南部を荒らし回っていた凶悪犯が繋がれていて怒号やら悲鳴やら喧騒轟々。彼らの食餌に薄い豆スープの大甕を運ぶ職員とすれ違い、その日々屠城鏖殺せる蛮兵の如き風貌を、つい目で追う。
蠅避けの真っ暗な……長い廊下を抜け、霊安室に向かう。
「おぇ」
アルくんは……やっぱり駄目だった。
「所持品はこんなものか。普通にゲルダンの強襲歩兵だな」
検屍役の医師が今日中は無理で未着手。服と所持品だけ壁際の棚に整頓されている。
だが専門職が診るまでもない。
「拳や指の胼胝といい、武具の使い込まれ具合といい、戦さ慣れした古参兵六人。其れが残らず一太刀。対人の荒事には矢張りスレナス兄弟ですわ」
「姐さんたら屍体の傷口に顔近づけてそんな舐めるみたいに見て、ぼくもう姐さんとキッスできないッ!」
「する予定ありませんわ」
「しかし、これ片手間の小遣い稼ぎで片付けちゃう奴らって、どんな化物ですかねッ!」
「小手に一打を喰つて居るのが一人、あとは致命傷の一撃だけ。同じ太刀筋。剣に血脂が付きにくい独特の。是れ、一人でやってますわ。長兄一人の仕事です」
「どんだけ化け物よッ!」
「はは、此処の六人と、先っきの夜道に同じくらい潜んで居たろう? 猫スカウト情報で御坊と我々を一ツ時に押さえようと1個分隊二手に分けたわけだな」
「たわけだねッ!」
「なら、この中に伍長がいる。も少し持ち物を調べるか」
「部隊丸ごと国外流出して清掃業に再就職の叶った皆さんですかね。うっぷ」
……筋肉の付き方なども触診している。
「小さいわね」
「死んだ人かわいそうだから、やめてあげてッ!」
イーダさんが検分を終えて……備付けの大甕から火酒を汲んで盥に注ぎ、両の手を浸す。猛烈な酒の芳香が部屋に充満する。
「外国の……兵隊……」
靴底を改め、意を決して……あれを見せる。
「此の文字……判読りますか?」
「靴屋の刻印だな。作った職人の所属する靴屋ギルドの印が枠で、中に名前を刻むのはゲルダン流だ。ここいらじゃギルドのマークを刻んだ右下に文字を入れる」
「……あちらの人の足跡と云うことですね?」
「この兵士らのより上等な靴ですわ。工房の名前じゃなく個人名が入ってますもの。『マイスター謹製』の高級品です」と、盥に手を浸しながらイーダさん。
「あの国、禄でも無い政権が立っては倒れ立っては倒れて、そのたび暴政の手足になっていた豺狼共が国に居られなくなっては流れて来る。ははは」
器用なことに、笑いながら……露骨に嫌な顔をする。
「敵対してた派閥同士が両方とも此っ地に流れて来て勝手に抗争したり、迷惑窮まり无いですわ」
アランさん、溜息ついて
「で、何だね? 次の小出しは?」
「此の絵のようなかたちの拍車なんですが……」
イーダさん手を拭きながら絵を鼻で擦って
「昨夜見たばかりですわ」
:扨て此の拍車、人々を如何様に駆り立て事態を進ませまするかは、且く下文の分解をお聴き下さいませ。