20.憂鬱な太っ腹男
《三月二日、日暮れ頃》
プフスの色街、酒場とも宿屋とも付かない大部屋。
喧騒に包まれている。
いくつもの寝台くらいの大きさの長椅子で、客が女たちと談笑しながら飲み食いしている。いちおう衝立で区切られてはいるが、隣は何をする人ぞと覗き込むのも容易だ。
女たち、見事におばちゃんばかりである。
実に、この色街で十代の娘は元々四人しか居なかった。
それが今月に入って一人廃業してしまい、三人だけになった。
残るは、朝市の屋台で焼き饅頭売ってる人と同じくらい、おばちゃんである。
「あんた、五月蝿いよ! 大々年増の魅力がわからないなぁ洟垂れ小僧な証拠だ」
この女性が誰に腹を立てているのか、皆目見当が付かない。
北から来た商人五人の席にも、おばちゃんが二人付いた。既に客も女らも一杯加減で、くだらない冗談でも大笑いしている。
入り口の木戸で茫然自失しているラマティ村のボルン。
「何してんだよ、入んな! 入んな!」
おばちゃんに引っ張り込まれる。
給仕の男、小声で耳打ち。
「・・(見るからに貧乏人だから毟んなよ)・・」
「毟って良し!」と、後ろから声。
恰幅の良い中年男が入って来る。
こほんと咳払い。
「その貧乏人が毟られて有り金叩いて褌一丁んなったら、残額はわしが払う」
給仕や女や周囲の客達、声揃えて
「よっ! おっさん太っ腹!」
「俺、帰り道は褌一丁決定すか・・」と、ボルン。
◇ ◇
プフスの探索者ギルド。
ギルマスの執務室の応接兼用スペース。
「奴は、あの巨体から信じられないような機敏な動きをする。しかし剣技は大味な力任せの太刀筋だ。注意すべきは左手の盾。奴が持つと、まるで攻撃用武器だ」
武術教師が講釈する。
壁新聞で決闘観戦記事とか書いているらしく、資料持参である。マニアに需要でも有るのだろうか?
「奴は『殺人鬼』とか呼ばれてる割に、司法決闘で殺した相手の数は多くない。圧倒的なパワーで叩き伏せるから、素人目には暴力的な怪物のような印象が強く残るようだ」
「もしかして盾ぇ使うのは、殺さねえ為か?」と、クイント氏。
「見ていて、そういう印象は確かに受けるね。それが逆に凶悪イメージを生んでるのは皮肉なことだな」
「モルトさんって、すぐ死んじゃったよねー?」と、クリス。
「淡々としていたようで、やっぱり怒っていたのかな・・」ミランダさん溜息。
「いや、モルトの死体検案書を見たが、死因は刀疵じゃなかった。丸盾の中央に突き出てる鉄の突起。あれだ」
ギルマスもよく見ている。
「ふうん・・剣のテクニックが無いんじゃなくて、恐怖心を煽るため、わざとラフに使って見せてるのかも知れねえな」
クイント氏も考える。
◇ ◇
ローラの部屋。
まだ食卓囲んで駄弁っている。
「なあ、ファロちんちんがギルドで見たっていう生鮮食品満載の馬車ってさ、着いたの昼だよね?
なんかカリナの目が輝いてる。
「今日がエリツェの『鳥と魚の日』だって知ってる?」
「何それ?」
「神様が鳥と魚を創造された金曜日。三月の最初の金曜日にエリツェで『鳥と魚の日』ってイベントがあるんだって、南の漁港で朝取れた魚をドンと買い付けて、特急馬車で運んで来て、晩に魚料理のフェスやんのよ。もしかして・・」
「今朝獲れた生の魚がこの町にも届いてたら・・」
「干物じゃない魚がこの町でも食べられる!」
「どうせお貴族さんの晩餐に直行だろ」
「ファロちんちん夢がない!」
「広場、行ってみようよ!」
◇ ◇
西門広場。
がらんとしている中、割といい場所に差掛けの天幕が立っている。これは普段は無いことだ。
「行こ!」
四人娘が走る。
商人オロス、木箱から鮮魚を取り出している。
「それ!」
「ああ、今朝早く南部の漁港で揚がった海鮮だ。珍しいからお得意様にお分けして、少し残ったから傷んじまう前に店に並べようと思ったけど、もう人通りも無くってなあ」
「お得意様にも、あんまり売れなかったんだぁ。何故? 珍しいのに!」
「料理人が海鮮料理できねえってさ」
「もったいなぁい」
「ローラ、できるの?」
「あたし、ネアプーラのうまれだもん」
「何処それ? ゲルダン?」
「トスキニアよぉ! 有名よ!」と、ミラ。
「へー、ローラってトスキニア生まれだったんだ」
「お嬢ちゃんら、とびきり安くしとくぜ。持って行な!」
「わーい」
「驚いたなあ、海鮮なんてエリツェだって珍しいだろ」と、ファッロ。
「実ぁそうでもない。ちょっと前にフル河三角州のウニョーリが伯爵に内附してから、フロラン通運の特急馬車が通って伯爵家の上屋敷に鮮魚を届け始めて、お余りが多少市場に出るのよ。まあ普通のルートじゃコスト倒れで持ってこられないが、今日は美味しい偶然が重なってな」
「そうか、今日着いたあの荷は、あんたのか」
「他の品は明日朝に売り出すつもりだけど、鮮魚は獲れた日のうちに売りてえから、助かったよ」
「わーい」
「こんどまた、おさかな入ったら、ローラがつくってあげるよ」
「出張料理人できるじゃん」
◇ ◇
色街大部屋。
下品な噂話で盛り上がる。
「そんで誰とは名前は言わないが町一番の美女のお嬢さん、一発やられちまったのは間違いねぃってさ」
口さがないおばちゃん連である。
「間違いがあったのは間違ぇねえってか」
町一番の美女と言った時点で名前を隠す意味は既う無いのだが、北から来た商人は地元の常識を知らない。
「誰よ?」
「誰って、いかにも一発やられそうな名前のお嬢さんさ」
「名前にそんなの、あるのか?」
「あるある、あるわ」
・・そんなもんなのか?
「んで、近々決闘んなるらしいんだわ」
「物騒だな」
「物騒じゃないわよ、代官所前の特設リングでやるんだもの」
「決闘なら、どっちか一方死ぬんだろ、物騒に決まってるじゃねえか。
「股倉に一発ぶち込んだ報いなら剣を胸倉に一発ぶち込まれなきゃ合わないわよ」
「一発だったのか?」
「十発かも知らんけどさー」
「それに、ぶち込まれるのが細剣じゃ勘定合わないよ、馬上槍ぶち込んだのに」
「おばちゃん、そいつって馬上槍なの?」
「そらもう! あたしらみんな、よく見て知った馴染みさね」
・・って、ここの常連客かい!
「でもあれ、柔らかい稽古用の槍だぁなあ」
「柔らかいのか?」
「そうさなぁ、木綿の切れ端ぃ袋に詰めた感じかねえ」
「それ、突っ込めなくないか?」
「軟くても入ったらきつい、お嬢さんにゃ」
「軟きゃどうやって入るんだよ」
「入らないなら冤罪だわさ」
「おばちゃん相手だから軟いんじゃね?」
「町一番の美女だったら鉄の槍んなるだろさ」
「端切れの袋詰めだったら犯行不能で被告勝訴じゃないのか?」
「そこは難しい話だな」
「でも、そいつ代闘者たててんだぜ」と太っ腹男。
「せこいな」
「せこっ」
「代闘者が負ければ斬首だけどな」と、太っ腹男。「勝っちまうと困る」
「もげろっ」
「もげろ」
「金払って首を守ることだって出来る」
「切られろ」
「払うな」
「払わせない工夫が必要だよねえ」
「あいつ、馬上槍なのか・・知らなかった」
太っ腹男、呻く。
◇ ◇
エリツェの寺町。
「食ったら寝ちまった。子供だな」
刺客な御者の横で短髪娘が小さな寝息を立てている。
袖無し膝下丈の白い長下着から、細っこい脚が出ている。
隣で扉の開く音。
階段を降りていく足音。
「おかみさん、あの蜂蜜酒ある?」
寝酒か・・
階段を登って来る足音。扉の閉まる音。
「うひっ! 冷てぇ」
寝酒じゃねえのか・・
「うひっ! うひっ! うは・・」
野郎、気持ちの悪い声出しやがって。
「エリツェ最高〜!」また喧しい ・・近所迷惑だ。
隣で、娘が目を覚ます。
「あー。あれ、やってんだぁ」
「連れがうるさい奴で、すまんな」
「ねぇ、お風呂行かない?」
「風呂?」
「気持ちいいよ」
「風呂があるのか?」
「中庭の向こうが蒸し風呂なんだ」
「そいつぁ悪くないな」
連れ立って出かける。
中庭に出て振り返ると、女が二階の窓から上半身を乗り出している。
「ずいぶん美人を引き当てやがったな」