第2話 廃人
「私って、本当に廃人……」
マスターズオンラインをAFK状態にして、私はエリスから草壁恭子に戻っていた。
1人暮らしをしている私の生活は、はっきり言ってしまえば杜撰だ。
高校を卒業後、女子ならではの抜け道というべき『家事手伝い』という職業を選んでいるくせに、実家からは独立している。
いや、両親から金銭的な援助は受けているので、完全に独立したとは言い難い。
1K6畳のアパート、風呂とトイレは一緒、地方の田舎町なので家賃はこれで25000円。
そこに光熱費や食費が含まれたとしても、生活費は月に10万を超える事は無い。
ちなみに、実家からは月に10万の仕送りを受け取っている。
『女なんだから、いずれか良い相手を見つけて嫁に行く。それまでの間だ』
などと父は言っていたが、今の所その予定は全く無い。
強いて言うなら、【マスターズオンラインさんと恋人になりました】と言った所か。
もっとも、遠い未来の事であると信じたいがサービス終了してしまえば、一方的に別れを告げられる事になるのだが。
ゲームを放置している間は、SNSやブログでマスターズオンラインの情報を集めている事が大半である。
水曜日の午前中に行われているメンテナンスの直後は、アップデートが入る事が多く、これまでの常識がガラリと変わるなどMMOの常だ。
だからこそ、そういう最先端の情報には敏感になるし、それによって『仕事』がしやすくなるかどうかにも影響してくる。
私の私生活は、食べる、寝る、風呂に入る、トイレを済ます、それと同レベルでマスターズオンラインが入ってくるのだ。
このマスターズオンラインというゲームは、基本無料でアイテム課金で成り立っているゲームだが、正直アイテム課金をしても戦闘力には影響を与えない。
つまり、Pay to Win ではなく、Play to win であり、長時間プレイしているプレイヤーの方が強くなれるのだ。
かと言って、私も完全に無課金を貫いているわけではない。
『仕事』に役立つと思えば、その為の課金は惜しまないつもりだし、通常のプレイの時もやっぱり冒険をサポートしてくれる課金アイテムは手にしておきたい。
さて、話を少し過去に戻すが、私がマスターズオンラインに出会ったのは17歳、高校2年生の頃だ。
リアルの私は、クラスで1人や2人は必ずいる、本ばっかり読んでて物静かなタイプであった。
好き好んで友人を作ろうとも思わなかったし、外見もどうにかこうにか並と言えるレベルだったので、男を作るなんて事は全く考えてなかった。
もっと言ってしまえば、あまりに交流が無さ過ぎて修学旅行で私をどこのグループに所属させるかで、クラスメイトが譲り合った程だ。
……つまり、私はいらない存在だったのだ。
そんな矢先、偶然にも私は『MMORPG』という言葉を知る事になる。
自宅にインターネット環境のあった私は、その言葉で検索して1番興味を引いたのがマスターズオンラインだったのだ。
それから、私の人生は大きく変わった。
『リアルなんてクソゲーだ』なんて名言があったが、まさにその通り。
私は進学という選択肢を投げ捨て、かと言って就活もしない。
担任の教師に、『やりたい事が見つかるまでフリーターでいたい』と面と向かって言った程だ。
当然、勉学もスポーツもやる気を完全に失った私の成績は急降下、正直高校の卒業もギリギリだった。
だけど、それでも私は充実していたのだ、何故ならマスターズオンラインがあるからだ。
つまり、受験生達が英単語を必死になって頭に叩き込んでる間、私は必死になってマスターズオンラインの知識を頭に叩き込んでいたわけだ。
「……まあ、アルバイトをしようと思った事も無いわけじゃないけど」
若い女というだけで採用をくれるなんて噂を聞いたが、私は少しだけ受けたアルバイトの面接で大半は落ち、一部は自分から断った。
何故なら、土日祝の夜にシフトに入ってほしいなんて言われたからだ。
冗談じゃない、そんなホットタイムを逃してネトゲプレイヤーが成り立つものか。
目先の小銭に釣られて、週に1回のワールドボスを逃すような真似は私のプライドが許さなかった。
そう、だから私は廃人なのだ。
食事もコンビニが大半で、しかも1日1食の日も全然珍しくない。
これはと思ったイベントの期間中なんて、1日の睡眠時間が3時間弱くらいだった時もある。
もっと猛者になると、想像を超越した人種もいるらしいが、流石にそこまで人間を捨てる事は出来ない。
たとえば、超レアが出るまで48時間まったく休憩をせずに狩りをするとか……。
「……電話? 亮子かぁ。ボイスチャットを使えば良いのに」
『もしもし、お姉ちゃん? ちゃんとした生活……は、してないよね』
電話の相手は、私の妹である草壁亮子。
私とは年子で現在20歳、短大に通っていて外資系の会社から内定を貰ったらしい。
……こんなネットゲーム廃人とは見えている世界が違うのだろう。
っと、普通の人は思うかもしれない、だがそうじゃない。
この草壁亮子という女には、もう1つの名前がある、それは『ミント』だ。
私が実家にいた頃、マスターズオンラインに夢中になっているのを彼女は見ていた、そして興味を持った。
廃人がもう1人出来上がりかと思ったら、亮子は要領が良く学業とゲーマーの二刀流をこなしていたのだ。
それに比べれば、私は一途過ぎるのだろう。マスターズオンラインに出会ってから、学業も何もかも捨てているのだから。
「相変わらずだよ、マスターズオンラインと最低限の生活さえ出来れば、あとは何も望まないよ」
『まあ、それは知ってるけどね。それよりもお姉ちゃん、晒されてるよ!』
……ほう、PK連中の間でも私は噂になってきたという事か。
まあ、こんな『仕事』をしているのだから、遅かれ早かれこういう事になるとは思っていた。
匿名大型掲示板で、マスターズオンラインの晒しスレを見てみると、確かにそこには私に『殺された』事をぼやいている書き込みがあった。
だが、そんな事で『仕事』を放り投げるはずがないし、もっとも晒されるという事は知られるという事。
私からすれば、多少知名度が上がれば依頼も増えるだろうと言った所だ。
なので、そこに罵詈雑言が書かれていたとしても、負け犬の遠吠えにしか思えないし、むしろ快感すら覚える。
自分の『仕事』によりキツいペナルティを受けたであろうという事が容易に想像出来るからだ。
「アカネも、流石に殺した覚えも無いプレイヤーに殺されると色々と思う所があるようだね。もっとも、それが『依頼』だって気付くのは難しいだろうけど」
『それはそうなんだけど、このままだとお姉ちゃんもPKとして扱われる事になるんだよ? ……大丈夫なの?』
亮子は亮子なりに私の事を心配しているのだろう。
でも、私には『大義名分』がきちんとある。
「それでも、『エリスは赤くない』から問題ないよ」
そう、私が倒すのはPKプレイヤーだけ。
アカネを倒しても、自分がアカネになる事は無い。
だから、私は周囲のプレイヤーから見れば『ブルー』、即ち安全なプレイヤーとして扱われるわけだ。
『今度狩りする時に、私まで巻き込まれる事にならないと良いけど』
「……その狩りに私が同行する事は決定事項なのね」
その後は、ゲームの話で軽く盛り上がり30分くらいで電話が切れた。
さてと、AFKもそろそろ終わりだ、私はエリスに戻らないといけない。
仕事の依頼は……来ている。
どうやら、晒された事も無意味ではなかったようだ。
これで、またしばらく飯の種に困る事は無さそうだ。
「AFKしていました。仕事の依頼でしょうか、ターゲットを教えて下さい」
そう、私は廃人で良いし、それが本懐なのだ。
誰にも指図されたくない、ここが私の本当の居場所なのだから……。