①
ある日、森の中、くまさんに出会った。
僕らは酔っぱらいで、生い茂った深い森の中をふらふらと歩いていたが、ふと気がつくと、彼はそこにいた。森の中の、ぽかりと開いた鯉の口のように、薄暗い森の中にわずかに開けた空間。その中に小さな切り株が三つと大きな切り株が一つ。くまさんはその大きい方の切り株に腰を下ろしていた。
全身毛むくじゃらの彼は、完璧に、どう見てもくまさんだった。おまけに胸のところに白い三日月があるところをみると、たぶんツキノワグマの一種に間違いないだろう。
困った。というか、なんで僕らは森の中にいるのだろう。
そこで初めて自分たちが薄暗い森の中を歩いてきたという事実に気が付く。おかしい。さっきまで住宅街の真ん中を歩いていたはずだ。「僕ら」と断ったとおり、僕はひとりではない。僕の横には姉さんが佇んでいる。
佇んでいるというのは、ただ、立っているという意味ではなく立ち止まっているという意味だが、正確には彼女は僕にもたれ掛かるようにしてかろうじて立っている。少し前にお店を出たときは、酩酊状態だったのが、ようやくぼんやりと意識が戻ってきたというところだ。彼女は止める僕にかまわずふらふらと足を進めると、彼の側にある小さな切り株に腰を下ろした。
僕もそのころには、突然の事態に酔いは吹き飛び、意識が覚醒していたから、混乱の局地に突き落とされていた。
なんだ、なんでこんなところにくまさんが?そもそもここはどこなんだ?なぜくまさんと向かい合ってるんだ?たくさんの疑問が浮かんでは消え、僕は呆然と立ち尽くす。
……あ、きれいだな。ぽっかりとと光が落ちてる……現実逃避した僕は、柔らかな月明かりがあたりを銀色に染めているのに気が付く。
足下には綺麗だが儚げな小さな花があちらこちらに咲いていた。夜になり少し肌寒かったが春めいてきたんだなあ……ああ、現時逃避してもなにも解決していない。
姉さんが大欠伸をしている。「うーん」と声を出し、両手を伸ばして大きく伸びをしながら息を吸うと辺りを見回し、そのまま固まった。どうやら気が付いたらしい。
くまさんはといえば切り株に腰掛けたまま、無表情にこちらを見ている。くまさんの表情というのもよくわからない話だが、顔色一つ変わっていないというように見える。
というか、表情がまったく読めない。
わからない。
「えーと、何事かな?」
姉さんが困ったように言った。
僕に言ったのか、誰に言ったのかもわからない。
けれども、声が少し甘ったるくなっていて、ろれつも少し回ってないように聞こえた。まだ、酔いは抜けていないようだ。
姉さんは僕を見つけると、切り株に腰をかけたまま、何かを訴えるように見つめてきた。ほんのり頬が赤いままだ。
いや、突然振られても、僕もさっぱりわからない。酔いは醒めたとはいえ、頭も身体もお酒は残っていてぐるぐる回っているのだから。
僕は首を振って姉さんに答える。
姉さんの表情があからさまにがっかりしたのがわかった。さっきまでまとめられていた肩までの髪は解かれ、汗で少し頬に張り付いている。
まずい、あとでお仕置きされるかも?あ、でも、ここを無事に帰ることができなければ同じか。
前門のくまさん、後門の姉さんか。いや、うまくない。
姉さんはがっかりしたままもう一度口を開いた。
「なんなのこれ、この状態?くまさんがいるけど本物?」
今度はっきり僕に言った。そうだと思うんだけれども……僕が答えようとしたとき、しかし、それを制するように声がした。
「概ねそうだね。正確には違うけれど」
はい?くまさんがしゃべった?僕の聞き間違いか?
「くまさんがしゃべった~!?」
姉さんは驚きとも嬉しさとも判断の付かない声を上げた。




