エピローグ
暗い。すごく暗いです。
9層に戻った3人を迎えたのは、環奈と綾の二人だった。彼女たちも疲れているだろうに、寝ずに待っていてくれたらしい。
「賀川くん!」
「うわっ!」
どれだけ心配だったのだろうか、環奈は千里を姿を見ると彼に抱きついた。まさかそういう関係か、とレンは推測する。
「よ、よかった……!」
「ちょ、渡辺さん? は、離れて」
どうしていいかわからず腕をわたわたさせる千里と、抱きついたまま涙を流している環奈。そんな2人をレンと由紀はニヤニヤと見守る。
「レン! 見てないで助けてよ!」
「助けて、は渡辺に失礼なんじゃないか?」
「うんうん! 環奈ちゃんすごく心配してたんだよ」
「……朴念仁」
一向に助ける気のない返答と、一言悪口。どさくさに紛れて千里をけなしたのは綾だ。
「行来さん? さりげなく貶すのやめてくれる?」
「さりげなく、じゃない」
「もっと悪いよ!」
「だって、環奈、すごく、後悔してた。見ていられない、くらい。そんな環奈の、こと、邪険に、扱うのは、許さない」
その声音は、真剣なものだった。彼女は環奈の親友であるからこそ、こんなにも怒っているのだ。それを感じ取って、千里は事がどれだけ大きなことだったのかを知った。
抱きついている環奈に優しく腕を回し、安心させるように頭に手を置いた。
「……ごめん、渡辺さん。心配かけた」
「……ううん。謝るのは私の方。ごめんなさい、力になれなくて。私のせいで、こんな目に合わせてしまって……」
「渡辺さんのせいじゃないよ。最終的に判断したのは僕だ」
「でも」
「ありがとう」
「……え?」
唐突な感謝に、環奈は顔を上げる。何を言っているんだという顔の彼女に、千里は優しく微笑んだ。
「こんなにも、涙を流してくれるほど心配してくれたのは君だけだよ。その気持ちは、すごく嬉しい。だから、ありがと」
「賀川くん……」
千里と環奈は至近距離で見つめ合う。彼らは今自分たちがどれだけ近い距離にいるのか、わかっていないようだ。
そんな2人をいたずらに見つめる者たちがいた。
「これはもしかして、キスシーンか?」
「えっ? 千里くんと環奈ちゃんってそういう関係だったの? 私知らなかった」
「私も、初耳。親友に、隠し事するなんて。いけず」
外野の3人はまるでドラマのワンシーンを見ているかのように、興味津々で2人を観察している。
その声でようやく我に返ったのか、千里と環奈はバッと離れた。
「ちょ、ちょっと君ら! 何有る事無い事噂してんの!?」
「ああ悪い。邪魔するつもりはなかったんだ」
「ごめん千里くん。私たちは隣の部屋に入ってるね。2人でごゆっくり」
「ま、待ちなさい! あなたたちは大きな誤解をしているわ! わ、私と賀川くんはそんな関係じゃ……」
「慌てる、怪しい」
「だから違うってば__!」
そんなこんなで散々からかわれ、千里と環奈は精神的にも肉体的にも相当な体力を消耗したのだった。
「__さて、からかうのはこれくらいにして」
「これくらいって、相当な時間無駄にしたよね……」
恨めしそうに千里はレンを睨みつける。それに対し、レンはいい笑顔だ。それからよくわからない理屈を口にする。
「俺が楽しかったから無駄じゃない」
「どんな理屈だ!」
「私も面白かったよ?」
「由紀ちゃんまで! もう、なんでこいつらは……!」
「はいはい、話が進まないから、これくらいにしましょう」
再び騒ぎ始めた仲良し3人を環奈が諌める。彼女はまるでさっきのことなどなかったかのような冷静さだ。千里もこれを見習うべきだろう。
レンは仕切り直して、扉に手をかけた。
「これから、多分もう気づいてるだろうが、皇たちに千里の無事を知らせる。そして、謝罪させる」
「……レン。別に、僕はあんまり気にしてないから」
「お前が気にしなくても、その周りはそうじゃないんだよ。それに殺されかけたんだ。謝って済むことじゃないけど、分別ははっきりさせたほうがいい」
曖昧にしておけば後で必ず面倒なことになる、とそう主張する。レンの言い分に、千里は黙り込んだ。
扉にかけた手に力を入れる。軽く開いたその扉をくぐれば、意気消沈した様子の修斗、秋也、ひかりがいた。彼らは部屋に入ってきた数人の姿を見て目を見開く。否、正確には死んだと思っていた千里の姿を見て、だ。
彼らは何も言わない。かける言葉が見つからないのだろう。それとも、責められるのを恐れているのか。
「残念か?」
レンがかけた言葉は、それだった。ふと思いついた言葉だったが、それが適切であろうと思ったのだ。
心情を問いかける言葉に、彼らはビクついた。その様子を見て、更に言葉を続ける。
「千里を殺そうとしたお前らにとって、この結果は残念だろうな。辛い思いをしてまで実行した作戦が、水の泡になったんだから」
嘲るように、心底軽蔑するように、レンは彼らを見た。
「千里のことについて、お前らを責める気はない。ただ、同じ人間として同等に扱うつもりもない。せめて人間として扱ってほしいなら、謝れ」
「……何を言ってるんだい? なんの権利があって、そんなこと」
パチン、と指を鳴らす音が響く。その瞬間、炎の矢が修斗の顔のすぐ横を通り抜けていき、壁に当たる。炎の矢と接触した壁は、溶けて爛れていた。それがどれだけ高温だったのかが見ただけでわかった。
「俺はいつでもお前らを殺せる」
「そ、そんなこと。何の根拠があって……」
修斗は怯えながらも、反抗的な瞳を向けてきた。まだ反省はしていないらしい。もっと脅さないとダメだろうかと、レンは服の内ポケットを漁り、ついさっき得たある生物の角を取り出す。
「これは迷宮王の角だ。迷宮王はさっき俺が殺してきた。__これでわかったか?」
人の命を奪うことになんの抵抗もないと言ったら嘘になる。しかし敵対するのであれば容赦なく殺す、と。そのことをレンは言外に告げた。
「お、俺をどうするつもりだ……?」
「言っただろ。謝れ」
「……悪かったよ」
「俺じゃない。謝るのは千里にだ」
その謝罪にレンは苦言を申し立てる。気に入らない。修斗の態度も、声音も、謝罪の言葉も。レンは怒鳴ってこそいないが、これでも結構怒っているのだ。
細かく言うつもりはなかったが、レンの考えていることが伝わったらしく、修斗、それから秋也、ひかりが千里の目の前に来て、頭を下げた。
よほどレンのことが怖かったのか、その体は震えていた。
「「「ごめんなさい」」」
声を揃えての謝罪。千里はまさか謝るとは思っていなかったらしく、若干面喰らう。しかしすぐにその顔を柔らかいものへと変えた。
「……いいよ」
許されてホッとしたのもつかの間、千里から冷たい言葉が浴びせられる。
「ただ、僕はよくても他の人がダメみたい。これから僕はレンを頼って上層に行こうと思うんだけど、ついてくるなら彼らの了承が必要だ。まあ、簡単に許してくれるとは思わないけど」
良くも悪くも、友達思いの彼ら。一言謝っただけでは済むと思えなかった。最悪許してもらえなければ修斗らはこの9層に置き去りだ。当然彼らの実力で8層、並びにそのまた上層を突破することはできない。
事実、迷宮王を倒したというレンの実力は本物だということはその場の全員がわかっている。その彼に見捨てられるということは、すなわち死を意味する。
それをわかっているのだろう、彼らは顔を青くした。
「自分たちがどれだけのことをしでかしたか、それをちゃんと理解して。そして反省して。でなければ、ここで一生暮らすんだね」
その胸の内が変わらなければここで死ね、と千里はいう。ここにある食糧は有限だ。いずれ尽きる日が来るだろう。
彼の言葉に頷く3人を見ると、千里は視界から彼らを外した。自分でも思っていたより怒りを感じているらしい。あんまり気にしていないとは言ったものの、正確には嘘だったようだ。
この重苦しい空気を払うように、パン、と手を叩く音が響く。
「みんな、この迷宮を出るのはいつにしようか?」
レンの言った、みんなには修斗、秋也、ひかりの3人が含まれていないのは明らかだ。そんなことは気にせずに、由紀がパッと答える。
「今日はもう疲れたし、明日でいいんじゃない?」
「そうだね。ここでの生活も飽きたし、早く地上に出たい」
「ええ。私も明日がいいわ。天月くんには負担をかけるけど……」
「私、もう寝る」
各々自由に発言する。一人早速寝たのがいるが、皆の意見は一致したようだ。レンはその答えに頷いた。
「わかった。じゃあ、明日は忙しくなる。もう休もうか」
その言葉に、4人は寝る準備をするのだった。