その10
紺野ツバメに多飯田ナツ、日向陽子、それから高菱才女、フミ、奈緒の6人はバラバラに分かれ、小岩加代の捜索を開始した。
才女達は、加代が連れ去られる現場は見たものの、その行方までは確認できていない。加代を担いだ謎の長身男は、人混みに紛れ消えてしまったという。
消えたのはスクランブル交差点の一角。よって交差点を中心に広がる通りを、それぞれ分かれて探さなくてはならない。大通りだけで4本、細い道も含めるとなると大変な捜索である。
しかし才女がソリアットらを見失ってから、まだそれほどの時間は経っていない。向こうが車などの移動手段を用意していたとしても、歩行者天国を抜けるまでは徒歩で行くしかない筈だ。
「だから絶対に見つけられる!」
散開前、ツバメはそう皆へ檄を飛ばした。絶対などとは到底言えない、むしろ希望的観測の感が強いが、今は僅かな可能性に賭けるしかない。
ツバメは口早に指示を出す。
加代を見つけたら、すぐに他のメンバーへ連絡すること。絶対に1人では敵に接触しないこと。
「そういうことで、日向さん以外は解散!」
「よっしゃ任せろ! ……いや何でじゃ!」
今にも走り出そうとしていた陽子は、ガクンと前につんのめる。四方に動き出した面々を見ながら抗議した。
「アタシだって捜すぞ!」
ツバメは焦りを抑えつつ言う。
「落ち着いてください。今の捜索メンバーの中でソリアットに対抗できるのは、現在ヒゲグリモーに変身中の日向さんだけなんです」
「じゃあアタシが真っ先に動かなきゃだろ」
「他の誰かがソリアットを発見した場合について考えてください。日向さんが遠くにいたら話にならないんです。ですから日向さんの役目は、どの方角からも等しい距離の位置、つまり交差点の中心で待機。そして発見の連絡があり次第現場に急行、ということです。ソリアットの撃退はお任せしますから」
「むう、……しょうがねえな!」
陽子は地面に腰を下ろすと、腕を組み胡座をかいた。
「絶対アタシに役目回せよ」
「はい」
ツバメは頷き、交差点から北へ伸びる大通りへ駆け出していった。
*
さて、他のメンバーが全速力で人を掻き分け、加代の捜索に当たる中、ダラダラと歩く少女が1人いた。
もちろんナツである。
「くっそ」
忸怩たる思いで彼女は独りごちた。
やる気がないわけでは決してない。
くどいようだが、彼女は走ることができないのだ。
走れなければ加代を見つけることはまず無理であり、万が一見つけたとて追い掛けることも不可能である。
役に立ちたい意志は十分にあるものの、実質上は蚊帳の外に近い。
紫色に染まる夜空の下。建ち並ぶビルやイルミネーションの明かりの中を、ナツは不機嫌な顔でチンタラうろつくことしかできなかった。
つい先ほどのプロレス騒ぎなど忘れられてしまったかのように、すれ違う人々は皆笑顔だ。
揃いの着ぐるみを被ったグループに悪魔のカップル。親子連れも多く、肩車をされる小さな怪獣や、車椅子を押す少女の姿も見える。
また別の事件、現在進行形の誘拐が起こっていることなど誰も知らない。
皆と分かれてから、そろそろ5分ほど経ったろうか。
ナツはふとスマホを取り出し、時刻を確認しようとする。
同時に、画面が光った。
直前に交換した電話番号からの、グループ通話の着信を告げている。
「いたいたいたいた!」
通話ボタンを押すと、すぐさま慌てた声が飛び出した。
聞き覚えのない声。才女とかいう子の後ろにいたどちらかだろうとナツは見当をつける。
「ノッポ男いたよ!」
「奈緒、あんた今どこ⁉︎」
これは才女だ。
「ハナマル薬局の前! まだ離れてるけど、あいつ背が高いから頭見えてる!」
交差点から北の方向、おそらく3、400mの位置だ。ソリアットの歩みが遅いのか、思ったより近い。
「本人で間違いない?」
「絶対あいつだって」
「そのまま尾行! 近づき過ぎないで、かつ見失わないように!」
ツバメが難しい注文を付けた。
「なんだ、どーした!」
陽子が遅れて通話に参加する。
「日向さん、ちゃんと交差点にいますか?」
「いるっつーの」
「そこから西方面の通りを進んでください。ソリ……奴がいるそうです」
「方角で言うな! 西ってどっちだよ!」
「ハナマル薬局がある通りです」
「はあ?」
わからないらしい陽子へ、次々に声が飛んできた。
「フルーツパーラーのある道! 高級バナナサンドで有名な!」
「あと、招き猫印の大福屋さんの方!」
「夏だけワゴンで売りに来るカキ氷屋のとこあるでしょ!」
「わかんねえよ! どいつもこいつもスイーツばっか食いやがって」
「日向さんが道を知らないから教えてるんでしょうが!」
「少しはピンと来てよ、バカ」
「激甘ミルクティーの東雲紅茶店は?」
「いや東雲と言ったら、さつまいもパフェだよね」
「知らん! つーか今バカって言った奴誰だ」
「わちゃわちゃしない! いいですか日向さん、目の前にシタデルデパートありますよね。そのすぐ右側の道を下ってください。日向さんなら1分くらいで奈緒に合流できると思います」
「ああ。オッケーわかった」
ようやく伝わったらしい。
「日向、出動しまーす」
心なしか弾む声と共に、陽子がグループ通話から離脱した。
その直後。
「あっ、あっ、ちょっと待って!」
慌てた声。
ソリアットを追っている奈緒だ。
「なによ!」
「うそっ! おかしい!」
「だからどうしたのよ! やっぱり人違いだったら許さないわよ!」
「違うの! ノッポ野郎は本人! だけど小岩がいない!」
「ええっ⁉︎」
「赤ずきんもいない……。あの長身、1人で歩いてる!」
「はあ? 近くにも見当たらないわけ⁉︎」
「このふし穴! なんでそんなことに気付かなかったのよ!」
才女の怒声に、奈緒は泣きそうな声になった。
「だって……、前に人が沢山いたから見えなかったんだよお。近づくの怖いし。まさかあいつしかいないなんて思わないじゃん……」
たしかに思わない。
同情を示す皆の沈黙が流れた後、
「やられた」
ツバメが呟いた。
ナツにもその意味はわかる。
敵は非常に用心深い。たとえ女子中学生であろうと、ヒゲグリモーという存在を予想以上に警戒しているようだ。
ソリアットが1人で歩いている。
それは即ち、人混みの中でも目立つソリアットがこちらを引きつけ、その間にミチルが加代を連れて別の道を行っているということだ。どうやら奴らは、才女らに目撃されていたことに気が付いていたらしい。
しかし。
敵は何故そこまで加代を必要としているのか。
奴らの周到さを見ると、たまたま見つけたツバメの友達を人質として攫った、という風には思えない。まるで初めから加代を狙っていたかのようだ。
「変なコスプレの先輩は? 連絡できるの?」
陽子のことだろう。才女の尋ねる声に、
「ダメ! 日向さんの通話切れてる!」
ツバメが答えた。
「奈緒はもう追跡しなくていい、すぐに引き返して! ミチルと加代は別の道にいる! 誰か見てない⁉︎」
見てねえよ。
ナツは通話に乗らないほどの声で言いつつ、頭を巡らせる。
才女らの話では、加代は気絶させられているらしい。そしてソリアットは今単独でで動いている。
だとすると、単純に考えればミチルが1人で加代を運んでいることになる。
しかしどうやって? 2人は同い年で、揃って小柄だ。肩に担ぐわけにはいかないだろう。
では何かの道具を使っているのか。台車やリアカーに乗せて運ぶ? いや、目立ち過ぎる。
他に思い浮かぶのは、ベビーカー。それも違うだろう。いくら小柄とはいえ、加代が乗るベビーカーなどない。
もしくは…………。
「車椅子か!」
ナツは思わず叫んでいた。
「はあ? どうしたいきなり」
見た。ナツは見ていた。
仮装する人々の中を行く、ジャンパースカートを着た少女の後ろ姿と、彼女の押す車椅子に乗った影を。
あれはミチルと加代だ。
ナツは北へ、交差点から遠ざかる方向へと、全速力で歩き出した。
「ナツ! あんた加代見たの⁉︎」
ツバメが問う。
「みんな、ツリーレコード方面に急いで来て」
そう答えてナツは通話を切った。
ミチルの後ろ姿を見過ごしてから、どれくらい経つ? グループ通話を挟んで、おそらく2分くらいだろう。追い付けるか?
気ばかりが逸るナツだが、彼女は歩くことしかできない。歩いているだけの今も、急いで動かそうとするだけで、足がもつれて転びそうになっている。
幼児よろしく、手を前に突き出しバランスを取りながら、覚束ない足取りで彼女は進む。
まるで呪いだ。
かつての友達を危険な場所に置き去りにした報いが鎖となり、足に絡みついて離れない。
「うわっ」
何もないところでナツはつまずいた。不恰好に前に転び、地面に這いつくばる。
恥ずかしさと情けなさに、ナツの目に涙が滲んだ。
自分は役に立たない。
すぐ近くにいる筈の加代を見つけることすらできない。一刻も早くツバメ達が来てくれることを祈るばかりだ。
アスファルトに手を付くナツは、道路の先を睨み付ける。
うつ伏せになった彼女の目の前では、車道を行き交う沢山の人の足が動いている。
その隙間に、ちらりと見えた。
横に並んだ2つの車輪と、白いストッキングを履いた細い脚。
いた。
距離は100m程あるか、車椅子はゆっくりと遠ざかっていく。
ナツは起き上がった。
「須永あ!」
不恰好な前屈みで、ナツは右足と左足を交互に繰り出す。
人々の間から、ミチルと車椅子の姿が小さく覗いた。向こうはまだナツに気が付いていない。歩行者天国の車道ではなく、歩道の端を悠々と進んでいく。
ぎこちない早歩きで追い掛けるナツ。
両者の距離は少しずつ縮まっていく。
あと50m。
不意に、ミチルと車椅子の姿が歩道から消えた。
道を折れたらしいが、そこにはまともな
横道などない。通り沿いに並ぶビルの隙間に入っていったのだ。
いま見失ったら終わりだ。ナツはそう直感し、思わず更に歩く速度を上げる。そして再び転んだ。
「どうなってんだよクソッ!」
ナツは自分の両脚に向かって叫ぶ。
どうして私の言うことを聞かない。塔子のことは全速力のダッシュで置き去りにしたクセに。今度は加代を助けるのを邪魔するなんて。加代はすぐそこにいるのに。あと少しでミチルを捕まえられるのに。そんなに私が悪いのか。いつになったら許される……。
いいや。
違う。
脚のせいなんかじゃない。
脚に意思なんかあるわけがない。呪いなど存在しない。
私だ。
私が怖がっているんだ。
加代を助けられないことが怖いんだ。
私と友達になろうとしてくれた加代。そんな加代ちんを、全力を尽くしても助けられなかったら。指先の差で掴み損ねたなら。私は今よりもっと自分が嫌いになる。許せなくなる。
それが何より怖いから。私は自分の脚にブレーキをかけているんだ。
トラウマで走れないなんて言い訳をして。ダメでもきっとツーちん達は、私の責任にはしないでくれて。私も一丁前に悔しがって見せたりなんかして。
「そんなの…………情けねーじゃん」
ナツはよろよろと立ち上がった。
「私しかいなんだから」
加代の作ってくれた魔女のローブ。その裾を腿まで裂く。
「やるしかないんだって」
ナツは、露わになった剥き出しの脚に向かって言った。
ふーっ、ふーっ、と呼吸を整えながら、彼女は姿勢を下げる。
そして。
右足を勢いよく踏み出した。
その衝撃に膝がガクンと曲がり、ナツはよろめく。
「うおっ」
が、すかさず左足を出し地面を踏み締める。そしてまた右足。左足。右足。
自らに転ぶ隙を与えず、両足を交互に繰り出し続ける。
私は走れないんじゃない。走ろうとしなかっただけなんだ。
走れる。走れる。走れる。
ぐらついていた上半身を前に倒し。直角に曲げた腕でリズムを取り。顎を引き、視線はまっすぐ水平に。踵から爪先への重心移動。上下の揺れは少なく。エネルギーはひたすら前へ。
左足。右足。左右左右左右左右。
「どけどけどけーっ!」
気が付けば、ナツは走っていた。
不安定ながらもそのフォームは力強く、そして速い。
長い髪で軌道を描きながら、人々の間を突風のようにすり抜けていく。
ナツは車道を斜めに突っ切り、ミチルの消えた地点に至る。そこには果たして、細い横道が存在していた。
道というよりビルの隙間だ。幅は狭く1.5m程度、両側の壁に貼り付く空調のパイプが更に侵入を妨げている。
しかしナツはスピードを一切緩めない。身体を倒して急カーブを描きながら歩道を横切ると、ビルの隙間に突入する。
そして見つけた。
約30m先、路地の突き当たりに向かって進むミチルと車椅子。
その先には扉が見える。本来ならビルの非常口か何かだろうが、半開きになった扉の向こうは血のように赤い。
ランボーが現れたときと同じだ。あの扉は異空間に続いている。ナツはそう感じた。
扉を超えられたら終わり。あの向こうは敵の領域だ。
文字通りのレッドラインに今、ミチルは辿り着こうとしている。
ミチルの押す車椅子が、開いた扉の下枠に付く。
「待て須永ぁ‼︎」
全速力で駆けながらナツは叫ぶ。
両者の距離は20m。1秒でもミチルの足を止める必要があった。
背後の声にミチルは振り向き、猛スピードで迫り来るナツに目を見開く。
「ええ⁉︎」
自分が見つかり、そして追い付かれたこと。更にその相手がナツであること。
それは全く予想していなかった展開らしい。眉を上げ、口をあんぐりとさせるミチル。
ここまで素直に驚くミチルは初めて見る、とナツは場違いに感じた。
「加代ちんを返せ!」
ナツの叫びに、ミチルは目的を思い出したのか、急ぎ前に向き直って進もうとする。
しかし慌てたせいか、車椅子の前輪が扉の下枠に引っ掛かり上手く乗らない。
もとより非力なミチルである。一度止まった車椅子を動かすのもままならない。仕方なく少し引いてから、勢いを付けて押す。ガコンと揺れながら、小さな前輪が扉を越えた。
その間に、ナツは距離は10mまでミチルに迫っていた。
追い付ける。
そう確信した瞬間、ナツの足が滑った。
足元は暗くて見えないが、捨てられたビニール袋か何かを踏んだらしい。
ナツは大きく体制を崩しながら宙を舞った。斜めに倒れていく視界の中、ミチルと目が合う。
既にミチルは赤い空間へと滑り込んでいた。息を切らしつつ、内開きの扉を閉めようとしている。
細くなっていく赤い光。その中からこちらを嗤う、歪んだ目。
ここまで来たのに。
もう少しだったのに。
やけに間伸びした時間の中、ナツの視界がじわりと滲む。
あとは無様に地面へと衝突するだけだ。溢れた涙が横へと流れる。
そのとき、何かが彼女の脇腹に体当たりした。
「うおっ」
柔らかくて温かい感触が手に触れる。それが何かを確認する余裕はない。しかし下から突き上げるような体当たりの勢いに、ほぼ真横まで倒れていたナツの身体が立ち直った。
足の裏が地面を捉える。ここまでの勢いは死んでいない。よろけながらも前に進む。
そして、ナツは跳んだ。
糸のような赤い光を残す扉に体当たりを食らわす。
「きゃあ!」
向こう側のミチルを薙ぎ倒しながら扉は開いた。ナツは赤い空間へと転がり込む。
爛れたように赤く広がる空。地面を覆う枯れた芝と、周囲を囲むように伸びる高い生垣。点々と転がる朽ちた墓石。
ビルの裏口の向こうに広がるのは、異様な光景だった。
車椅子の上、毛布の隙間から覗く加代は静かに眠っている。
そして。
揃って地面に突っ伏すナツとミチル。2人の荒い呼吸だけが、この世界の音だった。
「や……、やるじゃん」
コブでもできたのか、側頭部を押さえつつミチルが言った。
「まさか……ナッちゃんがここまで来るなんて」
ナツはまだゼエゼエと息を吐いている。なにしろ久しく走っていなかったため、返事もできない。
「あーら、何よミチル」
いつの間にか、ミチルの傍らに男が立っていた。
影帽子が立ち上がったかのようにヒョロ長く、面長の顎はヒゲの剃り跡で真っ青だ。
こいつがソリアットだとナツは感じた。どうやら別ルートでやってきたらしい。
「侵入者を許すなんて情けないわねえ」
「いやいや……いやいや……」
ミチルは苦しげに手を振った。
「私だって頑張ったんだからさあ」
「言い訳はナシよ。あなたの作戦なんだから」
ナツは芝の上に座り込んだまま、ソリアットとミチルを見上げる。
ここまで来たはいいが。
どうやって加代を取り戻す。
この男はランボーと同じく、ビアードとかいう組織の一員らしい。とても力で敵うわけも……。
ナツは気が付いた。
いつの間にか、自分が手に何かを握っていることに。
箸のように細長い、棒状のものが2本。色は黒く、濡れたように艶がある。よく見れば、それは細く固められた毛の塊だった。
あのときのあいつだ。無我夢中のうちに渡されたのだ。転びかけた自分に体当たりをしたついでに。
「ウィスカーちん……」
可愛い顔して、厄介な任務を押し付けてくる。
ナツは手の中の棒を見ながら苦笑した。
これが噂の、魔法の付けヒゲだ。